第12話 祭りの熱気と初めての看板娘
収穫祭の朝が来た。ハルモニアの町は、夜明け前から人々の喧騒と活気に満ち溢れていた。家々の軒先には色とりどりの飾りが施され、広場には見たこともないような大きなテントや見世物小屋が立ち並び、陽気な音楽があちこちから聞こえてくる。空気そのものが、お祭り特有の高揚感でキラキラと輝いているようだった。
「樫の木亭」の店先には、ギデオンさんが用意してくれた小さなテーブルと布製の屋根が設置され、私のささやかな「お店」ができあがっていた。手作りの看板には、エルマさんが可愛らしい文字で「リリアーナの薬草菓子工房」と書いてくれた。その文字を見つめていると、緊張と期待で胸がドキドキと音を立てるのが分かる。
「リリアーナさん、準備はできましたか?とっても素敵なお店になりましたね!」
エルマさんが、焼きあがったばかりの「温もりカボチャのハーブパイ」や「キラキラ木の実の蜂蜜がけ」、「月の祝福アップルクッキー」をテーブルに手際よく並べながら、にっこりと微笑んでくれた。パイの香ばしい匂い、蜂蜜の甘い香り、そしてリンゴとハーブの爽やかな香りが混ざり合い、道行く人々の鼻をくすぐっている。
「はい、エルマさん、ありがとうございます。なんだか、夢みたいです……」
自分の作ったお菓子が、自分の名前を冠したお店に並んでいる。その光景は、数ヶ月前には想像もできなかったことだ。
開店時間になると、最初は遠巻きに眺めていた町の人々や、祭りにやってきた観光客たちが、珍しい薬草菓子と甘い香りに惹かれて、少しずつ私たちの小さな店の前に集まり始めた。
「おや、これはまた可愛らしいお菓子だねえ」
「薬草菓子だって?どんな味がするんだろう?」
人々の好奇心に満ちた視線を感じ、私はごくりと唾を飲んだ。エルマさんに背中をそっと押され、勇気を出す。
「い、いらっしゃいませ!ハルモニアの恵みをたっぷり使った、リリアーナ特製の薬草菓子はいかがでしょうか?こちらはカボチャと数種類のハーブを使った温かいパイでございます。体を温め、消化を助ける効果も期待できますのよ」
最初のうちは声が少し震えてしまったけれど、一度言葉を発すると、自然と熱がこもってきた。それぞれの菓子の特徴や、使っている薬草の効能、そして収穫祭のために心を込めて作ったことなどを、一生懸命に説明する。
すると、子供連れの一組の家族が、興味深そうに足を止めてくれた。
「まあ、カボチャのパイ、美味しそうね。ハーブも入っているの?子供でも食べられるかしら?」
「はい、お子様にもお召し上がりやすいよう、優しい味わいに仕上げております。シナモンやジンジャーが、ほんのり香る程度でございますわ」
私の言葉に、母親はにっこりと微笑み、「じゃあ、一ついただこうかしら」と言ってくれた。初めてのお客様だ!
その家族を皮切りに、次々とお客様が訪れ始めた。物珍しさから手に取る人、私の説明を熱心に聞いてくれる人、そして以前「樫の木亭」で私のハーブティーやお菓子を味わってくれた顔なじみの客も、「リリアーナ嬢ちゃんの新しいお菓子かい!そりゃあ見逃せないな!」と応援に駆けつけてくれた。市場の八百屋の主人や薬草売りの老人もひょっこり顔を出し、「頑張ってるな、嬢ちゃん!」と声をかけてくれる。
「このマフィン、ローズマリーの香りが鼻に抜けて、なんとも爽やかだね!」
「木の実の蜂蜜がけ、見た目も綺麗だし、滋養がありそうだ。旅の供にしよう」
「アップルクッキー、リンゴの甘酸っぱさとハーブの風味が絶妙だわ!お土産にも買っていこうかしら」
お客様からの嬉しい言葉が、私の何よりの励みになった。
中には、少し身なりの良い、遠方から来たと思われる上品なご婦人もいらっしゃった。彼女は私の並べたお菓子をじっと見つめ、そして私の顔を見て、ふと何かを感じたように小さく首を傾げた。
「あなた……とても丁寧な言葉遣いをなさるのね。それに、このお菓子の包み方やリボンのあしらいも、どこか洗練されているわ。どこかで専門の教育でもお受けになったのかしら?」
その言葉に、私は内心どきりとした。王宮で叩き込まれた礼儀作法や、母から教わった刺繍やリボンの結び方といった細やかな手仕事の技術が、無意識のうちに現れていたのかもしれない。
「い、いえ、ただ、お客様に喜んでいただきたくて、心を込めてお包みしているだけでございます」
私は慌てて笑顔で取り繕ったが、ご婦人は「そう……でも、とても素敵よ」と優しく微笑み、数種類のお菓子を買い求めてくださった。自分の過去が、こんな形で滲み出ることもあるのだと、少しだけ緊張感が走った。
お昼を過ぎる頃には、私たちの小さなお店は常に人だかりができるほどの盛況ぶりだった。私はエルマさんと二人でてんてこ舞いになりながらも、笑顔を絶やさず接客を続けた。時折、ギデオンさんが「樫の木亭」の中から心配そうに様子を窺い、差し入れの水を持ってきてくれたり、「リリアーナ、無理するなよ。疲れたら少し休め」と声をかけてくれたりする。彼の不器用な優しさが、とてもありがたかった。
夕暮れが近づき、祭りの灯りがハルモニアの町を幻想的に照らし始める頃、私たちが用意したお菓子は、ほとんど全てがお客様の手に渡っていた。空になった籠を前に、私はエルマさんと顔を見合わせ、大きな安堵のため息をついた。
「リリアーナさん……やりましたね!全部、売れましたわ!」
エルマさんが、自分のことのように目を潤ませて喜んでくれた。私も、疲労感よりもずっと大きな達成感と、胸がいっぱいになるような喜びで、言葉が出なかった。
初めて自分の力で、自分の名前で、こんなにも多くの人に喜んでもらえた。それは、王宮での何不自由ないけれど閉ざされた生活では、決して得ることのできなかった確かな手応えだった。
「リリアーナ、大したもんだ。今日はゆっくり休め。収穫祭は、あと二日あるからな」
後片付けを手伝ってくれたギデオンさんが、私の頭をくしゃりと撫でた。その手は大きく、温かかった。
「はい!ギデオンさん、エルマさん、そして、お菓子を買ってくださった全てのお客様に……本当に、ありがとうございました!」
私は深々と頭を下げた。心からの感謝の気持ちが、溢れて止まらなかった。
自分の小さな工房から始まった夢が、ハルモニアの町の温かい人々に支えられ、今、確かな形となって花開こうとしている。明日もまた、心を込めてお菓子を焼こう。そして、もっとたくさんの人を笑顔にしたい。私の胸には、収穫祭の灯りのように明るく、力強い希望が灯っていた。
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