第11話 祭りの灯とカボチャ色の夢
「樫の木亭」での日々は、薬草の香りと焼き菓子の甘い匂いに満ちていた。私の作る「気まぐれ薬膳菓子」は少しずつ町の人々にも知られるようになり、ハーブティーと共に注文してくれるお客様が増えていた。自分の作ったもので人が笑顔になる。その喜びは、何物にも代えがたいものだった。
そんなある日、「樫の木亭」の談話室で、常連客たちが賑やかに話しているのが聞こえてきた。
「おい、聞いたか?今年の収穫祭は、例年より盛大にやるらしいぜ!」
「ああ、領主様が気合を入れてるって話だ。新しい見世物小屋も来るらしいし、こりゃあ楽しみだ!」
収穫祭――その言葉に、私はぴくりと耳をそばだてた。ハルモニアの町では、秋の実りに感謝し、冬の到来に備えるための収穫祭が、年に一度、最も盛大に執り行われるのだという。様々な露店が軒を連ね、特別な催し物があり、町中が数日間にわたってお祭りムードに包まれるのだそうだ。
(収穫祭……!)
その響きだけで、私の胸はなんだかワクワクしてきた。王宮にも季節の祝祭はあったけれど、それは厳格な儀式と貴族たちの社交の場で、庶民が心から楽しむようなお祭りとは程遠いものだった。
「リリアーナも、収穫祭には何か特別な菓子でも作ってみるか?」
私の興味津々な様子に気づいたのか、カウンターで帳簿をつけていたギデオンさんが、ニヤリと笑いながら声をかけてきた。
「はい!ぜひ挑戦してみたいです!」
私は目を輝かせて即答した。こんな大きなイベントで、自分の作ったお菓子をたくさんの人に食べてもらえるかもしれない。それは、私にとってまたとない機会だ。エルマさんも「素敵ですわ、リリアーナさん!私も何かお手伝いできることがあれば、言ってくださいね」と、優しく微笑んでくれた。
その日から、私の頭の中は収穫祭のお菓子のことでいっぱいになった。収穫祭のテーマは、やはり秋の恵み。カボチャ、栗、木の実、リンゴ……市場には、色とりどりの旬の食材が溢れている。これらの食材と、私の得意な薬草をどう組み合わせるか。考えるだけで楽しくて、夜な夜なアイデアをノートに書き留める日々が続いた。
「カボチャとシナモン、ジンジャーを使った温かいパイはどうかしら。体を温める効果もあるし、収穫祭の雰囲気にも合うと思うの」
「栗と蜂蜜、それから少しだけ鎮静効果のあるカモミールを混ぜた甘露煮もいいかもしれないわ。見た目も可愛らしくて、子供たちも喜んでくれそう」
「あとは、リンゴとローズヒップのジャムを練り込んだクッキーとか……あ、それなら、体を温めるクローブも少しだけ入れたら、風邪予防にもなるかしら!」
私のアイデアは尽きることがなく、ギデオンさんやエルマさんは、目を丸くしたり、感心したりしながら、私の話に耳を傾けてくれた。
「リリアーナ、お前さんの頭の中は、薬草とお菓子のことでぎっしり詰まってるんだな」
ギデオンさんは呆れたように笑いながらも、私の試作のための材料費を快く出してくれた。
早速、私は市場へ向かい、収穫祭向けの食材を吟味し始めた。顔なじみになった八百屋の主人に、一番甘くてホクホクしたカボチャを選んでもらったり、木の実売りの老婆から、珍しい種類のクルミやヘーゼルナッツを分けてもらったり。薬草売りの気難しい老人も、私が収穫祭用のお菓子を作ると聞くと、「ほう、そいつは面白そうだ。なら、この『太陽草(たいようそう)の蜜』を使ってみるといい。ほんの少し加えるだけで、風味が豊かになり、滋養もつくぞ」と、貴重な蜂蜜を少しだけ安く譲ってくれた。
町の人々とのそんな温かい交流も、私のお菓子作りの大きな力になった。以前助けた子供の母親は、「リリアーナさんの収穫祭のお菓子、楽しみにしているわね!」と声をかけてくれるし、私が市場で熱心に食材を選んでいると、「嬢ちゃん、それならこっちの店の方が良い品があるよ」と教えてくれる人もいた。ハルモニアの町の人々の優しさに触れるたび、私はこの町に来て本当に良かったと心から思うのだった。
しかし、特別なイベントのためのお菓子作りは、一筋縄ではいかなかった。カボチャのパイは、ハーブの分量を間違えるとカボチャの風味が消えてしまったり、逆に薬草臭さが際立ってしまったり。栗の甘露煮は、煮崩れないように火加減を調整するのが難しく、何度も鍋を焦がしてしまった。
「うう……なかなかうまくいかないわ……」
厨房で頭を抱える私に、エルマさんが温かいハーブティーを淹れてくれた。
「リリアーナさん、焦らないで。きっと大丈夫ですわ。あなたの作るお菓子は、いつも心がこもっていて美味しいですから」
その言葉に励まされ、私は再び立ち上がることができた。
そんなある日、収穫祭で使う予定の特別なハーブ、「月桂樹(げっけいじゅ)の祝福」という、香り高く、保存性を高める効果のある葉が、天候不順でハルモニアにはほとんど入荷していないという問題が持ち上がった。これがないと、私が考えていたメインの焼き菓子の風味が決まらない。どうしようかと途方に暮れていると、ギデオンさんがどこからか情報を仕入れてきてくれた。
「リリアーナ、隣町の市場になら、まだ少し残ってるかもしれねえ。俺がちょっと馬を飛ばして見てきてやるよ」
「本当ですか、ギデオンさん!でも、ご迷惑では……」
「馬鹿野郎、迷惑なもんか。お前さんの菓子が成功するかどうかは、この『樫の木亭』の評判にも関わるんだ。それに、俺だって、お前さんの作る美味い菓子を、もっと食いたいからな!」
ギデオンさんはそう言って、悪戯っぽく笑うと、本当に馬に乗って隣町まで出かけてくれた。そしてその日の夕方、彼は見事に「月桂樹の祝福」を手に入れて帰ってきたのだ。その時の感謝の気持ちは、言葉では言い尽くせなかった。
様々な人の助けと、数えきれないほどの試行錯誤の末、ついに私は収穫祭向けの特別なお菓子をいくつか完成させることができた。「温もりカボチャのハーブパイ」「キラキラ木の実の蜂蜜がけ」「月の祝福アップルクッキー」、そして数種類のハーブコーディアル。どれも秋の恵みがたっぷりと詰まった、自信作だ。
「リリアーナ、こいつは……今までで一番の出来かもしれんな」
試食したギデオンさんが、目を細めてしみじみと言った。エルマさんも、「本当に素晴らしいですわ!見た目も華やかで、収穫祭にぴったりですね!」と手放しで褒めてくれた。
そして、収穫祭の数日前、ギデオンさんが私に思いがけない提案をしてくれた。
「リリアーナ、今年の収穫祭では、『樫の木亭』の店先を少し使って、お前さん自身の名前で、その菓子を売ってみるか?お試し期間はもう終わりだ。これからは、お前さんの菓子は、お前さんのものとして、ちゃんと客に届けるべきだ」
「私が……自分の名前で……?」
その言葉に、私は息を呑んだ。それは、私がぼんやりと夢見ていたことではあったけれど、こんなに早く実現するなんて思ってもみなかった。緊張と、それ以上の大きな期待で、私の胸は高鳴った。
収穫祭当日まで、あと三日。私は、ギデオンさんとエルマさんに手伝ってもらいながら、小さな売り場の準備を始めた。手作りの小さな看板には、「リリアーナの薬草菓子工房」と、少し照れくさいけれど、私の夢を込めた名前を記した。
ハルモニアの町は、日に日に祭りの熱気に包まれていく。私の心もまた、カボチャ色の温かい夢と、ほんの少しの不安、そして大きな希望で満たされていた。
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