第10話 初めてのお客さんと芽生えた自信
ギデオンさんの「明日から、お試しで出してみるか」という言葉は、私の心に甘く香ばしい熱風を吹き込んだ。自分の作ったお菓子が、ついに「樫の木亭」の商品としてお客様の元へ届けられる。その事実に、期待と緊張で胸がいっぱになり、その夜はなかなか寝付けなかったほどだ。
翌朝、私はいつもより早く厨房に立ち、昨日完成させた「カモミールとリンゴのハニービスケット」と「ローズマリーとレモンのハーブマフィン」を心を込めて焼き上げた。焼きあがったお菓子を丁寧に籠に並べながら、ギデオンさんやエルマさんと一緒に、どうやってお客様にお出しするかを相談した。
「名前はどうする?『リリアーナの気まぐれ薬膳菓子』なんてのはどうだ?親しみやすくて良いだろう」とギデオンさんが提案してくれた。少し気恥ずかしかったけれど、その名前がなんだか今の私にぴったりな気がして、素直に頷いた。値段は、ハーブティーとセットで少しお得になるように設定された。
開店時間が近づくにつれ、私の心臓はドキドキと早鐘を打ち始める。厨房の隅に立ち、表の宿場の喧騒に耳を澄ませる。最初のお客様は誰だろうか。どんな反応をしてくれるだろうか。まるで試験の結果を待つ学生のような気分だった。
お昼が近づき、宿場が賑わい始めた頃、ついに最初のお客様が現れた。ハーブティーを注文した、恰幅の良い商人風の男性だった。ギデオンさんが、いつものぶっきらぼうな口調ながらも、どこか誇らしげに私の薬草菓子を勧めてくれた。
「旦那、今日はちっと珍しいもんがあるんだ。うちのリリアーナが焼いた薬草菓子なんだが、ハーブティーと一緒にどうだい?旅の疲れも癒えるかもしれねえぜ」
商人は「ほう、薬草菓子かい?そいつは面白そうだ。じゃあ、一つもらおうか」と、興味深そうに注文してくれた。
エルマさんが、ハーブティーと小さな籠に入ったビスケットとマフィンを運んでいく。私は息を殺して、厨房の扉の隙間からそっとその様子を窺った。商人がまずマフィンを手に取り、香りを確かめるように鼻を近づけ、そして一口齧る。私の心臓が、きゅっと縮こまる。
次の瞬間、商人の眉がぴくりと上がり、そして目が見開かれた。
「……む!こ、これは……!」
商人は驚いたような声を上げると、立て続けにマフィンを頬張り始めた。そして、ビスケットにも手を伸ばし、ポリポリと軽快な音を立てて食べる。その表情は、明らかに「美味しい」と言っているように見えた。
「ギデオンの旦那!この菓子は美味いな!なんだか体がしゃんとするような気もする。ローズマリーの香りが、こんなに菓子に合うとは思わなかったぞ!」
商人の大きな声が、宿場に響き渡った。それを聞いた他のお客様も、「なんだなんだ?」「そんなに美味いのか?」と興味を示し始め、次々と「リリアーナの気まぐれ薬膳菓子」の注文が入り始めた。
私は、厨房の隅で顔を真っ赤にしながら、その光景を信じられないような気持ちで見つめていた。自分の作ったお菓子が、見ず知らずの人々に喜ばれている。その事実が、じわじわと胸に広がり、言いようのない感動が込み上げてきた。
もちろん、全てのお客様が絶賛してくれたわけではない。
「うん、美味しいけど、俺には少し薬草の香りが強いかな」と言った若い冒険者。
「もう少し甘い方が、子供たちも喜ぶと思うよ」とアドバイスをくれた子連れの母親。
「このビスケット、もう少ししっとりしていたら、年寄りにも食べやすいんだがねえ」と笑った老人。
それらの様々な意見を、私は一つ一つ真摯に受け止めた。全ての人を満足させるのは難しい。けれど、お客様の正直な感想は、次への大きなヒントになる。私は小さなメモ帳を取り出し、寄せられた意見を懸命に書き留めた。
夕方になり、宿場が少し落ち着いた頃には、用意していた薬草菓子はすっかり売り切れてしまっていた。厨房に戻ってきたギデオンさんは、私の肩をバンと叩き、ニカッと笑った。
「リリアーナ、たいしたもんだ!お前さんの菓子は、大当たりだぜ!明日からは、もっと多めに焼かねえとな」
エルマさんも、「リリアーナさん、本当におめでとうございます!お客様、みんな笑顔でしたわ!」と、自分のことのように喜んでくれた。
その日の終わりに、ギデオンさんは私に数枚の銀貨を渡してくれた。それは、今日売れた薬草菓子の、私への取り分だった。昨日もらったハーブティーの報酬とはまた違う、ずっしりとした重みを感じる。自分の手で何かを生み出し、それが人に喜ばれ、そして対価を得る。そのサイクルの確かさが、私に大きな自信を与えてくれた。
「お前さんの菓子は、ただの気まぐれじゃ終わらねえかもしれんな」
後片付けをしながら、ギデオンさんがぽつりと言った。
「この町には、お前さんのような薬草の知識と、それを美味いもんに変える才能を求めてる人間が、案外いるかもしれねえ。まあ、焦るこたぁねえが、いつか自分の店を持つってのも、悪くねえ夢かもしれんぜ」
自分の店――その言葉は、まだ私には遠い夢のように感じられたけれど、ギデオンさんの言葉は、私の心の奥深くに小さな種を蒔いた。いつか、このハルモニアの町で、私の薬草菓子を専門に扱う小さなお店を開けたら……。
その夜、私は自分の部屋で、今日お客様からもらった意見を読み返しながら、新しいお菓子のアイデアを練っていた。窓の外には、ハルモニアの町の優しい灯りが広がっている。
(もっと色々な種類のお菓子を作りたい。もっとたくさんの人に、私の薬草菓子を届けたい)
私の胸には、甘く、そして力強い希望が満ち溢れていた。この町で、私は確かに自分の足で立ち、自分の力で道を切り開き始めている。その実感が、私を新たな挑戦へと駆り立てていた。例えば、もうすぐやってくる収穫祭に合わせて、何か特別な薬草菓子を作ってみるのも面白いかもしれない。そんなことを考えると、自然と笑みがこぼれた。
リリアーナの薬草菓子作りの道は、まだ始まったばかりだ。
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