第8話 芽吹く想いと薬草菓子の夢
リリアーナ特製ハーブティーは、瞬く間に「樫の木亭」の人気メニューとなった。「夢見鳥の誘い」を飲んで穏やかな眠りにつけたという旅人、「赤竜の息吹」で体の芯から温まり、風邪を引かずに済んだという冒険者、そして「森の妖精の囁き」で胃腸の調子が良くなったという商人。そんな嬉しい声が、私の耳にも届くようになった。
私の日常は、ハーブの仕入れとブレンド作業が中心となった。朝一番に市場へ向かい、新鮮なハーブを選び、宿屋に戻ってからはギデオンさんが用意してくれた厨房の一角で、黙々と調合に励む。時には、カウンターに立ってお客様に直接ハーブティーをお出しすることもあった。最初は緊張で声が震えたけれど、お客様が「美味しいよ、ありがとう」と笑顔を向けてくれると、それだけで胸が温かくなった。
ギデオンさんは、私の働きぶりを黙って見守りつつ、時折「リリアーナ、このハーブはもう少し乾燥させた方が香りが立つぞ」とか、「あの商人、最近胃が疲れてるみてえだから、消化を助けるブレンドを勧めてみろ」などと、的確なアドバイスをくれた。給仕係のエルマさんも、「リリアーナさんのハーブティーは、本当に心が安らぎますわ。私も毎日いただくのが楽しみなんです」と、いつも優しく声をかけてくれる。二人の存在は、私にとって大きな心の支えとなっていた。
市場へ通ううち、顔見知りの商人も増えてきた。以前、子供を助けた母親は、会うたびに「うちの子、リリアーナさんのハーブのおかげですっかり元気よ!」と満面の笑みで報告してくれるし、薬草売りの気難しい老人でさえ、私が顔を出すと「おお、リリアーナの嬢ちゃんか。今日はどんな珍しいもんを探してるんだい?」と、少しだけ口調が柔らかくなった。時には、薬草の保存方法や、軽い不調に効くハーブについて尋ねられることもあり、私の知識が少しずつこの町の人々の役にも立っているのを感じて、嬉しかった。
ハーブティーの仕事は充実していたけれど、私の心の中には、宮殿にいた頃から抱いていたもう一つの夢が、再びむくむくと芽生え始めていた。それは、「薬草を使ったお菓子」を作ること。人々の心と体を癒やすだけでなく、食べた人が笑顔になれるような、美味しくて体に良いお菓子。
市場には、色とりどりの果物や、地元で採れた蜂蜜、香ばしい木の実などが並んでいる。これらの食材と、私の薬草の知識を組み合わせたら、どんなお菓子ができるだろうか。カモミール風味のビスケット、ラベンダーの香りの蜂蜜漬け、ローズヒップと林檎の甘酸っぱいジャム……想像するだけで、心が躍った。
ある日の午後、仕事が一段落した時、私は思い切ってギデオンさんに話してみた。
「あの、ギデオンさん。私、薬草を使ったお菓子にも興味があるんです。もし、厨房の隅をお借りできれば、少し試作してみたいのですが……」
ギデオンさんは、私の言葉に少し驚いたような顔をしたが、すぐにニヤリと笑った。
「ほう、薬草菓子か。そいつは面白そうだな。ハーブティーがあれだけ評判なんだ、お前さんの作る菓子なら、きっと美味いものができるだろう。いいぜ、厨房は好きに使え。ただし、火の始末だけはしっかりな。あと、変なもん作って俺に毒味させるんじゃねえぞ」
軽口を叩きながらも、その目は私の新たな挑戦を応援してくれているようだった。
エルマさんにもその話をすると、「まあ、素敵ですわ!リリアーナさんのお菓子、ぜひ食べてみたいです!」と、目を輝かせて喜んでくれた。二人の温かい後押しを受け、私の薬草菓子作りへの情熱はますます高まった。
早速、私は市場で手に入れたライ麦粉や蜂蜜、新鮮な卵、そして数種類のハーブを使って、簡単なお菓子の試作に取り掛かった。最初に挑戦したのは、カモミールとレモンバームを練り込んだ素朴なビスケット。薬草の分量や焼き加減が難しく、最初の数回は焦がしてしまったり、ハーブの香りが強すぎて薬臭くなってしまったりと、失敗の連続だった。
(薬草の調合とは、また勝手が違うのね……でも、面白いわ!)
薬草の効能を最大限に引き出すことばかり考えていた私にとって、味や食感、そして見た目の美しさまで考慮しなければならないお菓子作りは、新鮮な驚きと発見に満ちていた。火加減一つで風味が変わり、材料を混ぜる順番で食感が変わる。その奥深さに、私はすっかり夢中になった。作業台は粉だらけになり、私のエプロンや顔にも、いつの間にか小麦粉やハーブの粉がついていて、それを見たエルマさんにくすくすと笑われることもあった。
数日間の試行錯誤の末、ようやく納得のいくビスケットが焼き上がった。見た目は少し不格好だけれど、サクサクとした食感と、口の中に広がるカモミールの優しい甘い香り、そしてレモンバームの爽やかな後味が心地よい。
「で、できたわ……!」
私は恐る恐る、そのビスケットを一枚、自分で味見してみた。
(うん、美味しい!これなら……!)
自信作とは言えないまでも、確かな手応えを感じた。私は焼きあがったビスケットを数枚お皿にのせ、ギデオンさんとエルマさんの元へ持っていった。
「ギデオンさん、エルマさん、試作品ができたのですが……もしよかったら、味見していただけませんか?」
私の緊張した面持ちを見て、二人は顔を見合わせ、にっこりと頷いた。
ギデオンさんは大きな手でビスケットを一つ掴むと、豪快に口に放り込んだ。そして、むしゃむしゃと数回咀嚼した後、大きく目を見開いた。
「……ほう。こいつは……意外といけるな!カモミールの香りが良い。甘さも控えめで、俺好みだ。ただ、もうちっとだけ、歯応えがあってもいいかもしれねえな」
エルマさんも、小さな口で上品にビスケットを味わいながら言った。
「本当ですわ、とっても優しいお味ですね。紅茶にも合いそうです。もう少し、蜂蜜を増やしてみても美味しいかもしれませんわね」
二人の的確なアドバイスは、とても参考になった。まだまだ改良の余地はあるけれど、最初の試作品としては上出来と言えるだろう。何よりも、自分の作ったお菓子で、二人が笑顔になってくれたことが嬉しかった。
「ありがとうございます!もっと美味しいものが作れるように、頑張ります!」
私の心には、薬草菓子作りへの新たな炎が、力強く燃え上がっていた。このハルモニアの町で、私の薬草の知識を活かした美味しいお菓子を、たくさんの人に届けたい。その夢に向かって、また一つ、確かな一歩を踏み出せたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます