第7話 初めての依頼と特製ハーブティー
ギデオンさんからのハーブティー開発の依頼は、私にとってまさに渡りに船だった。自分の知識を活かせる機会を与えられた喜びと、期待に応えたいという強い気持ちで、私の胸は高鳴っていた。その夜は、どんなハーブティーを作るか、あれこれと構想を練るのに夢中になり、ほとんど眠れなかったほどだ。
(「樫の木亭」のお客様は、長旅の商人や冒険者が多いとギデオンさんは言っていたわ。きっと疲れているでしょうから、まずは心身の疲れを癒やすリラックス効果のあるものが良いかしら。それから、辺境の町は朝晩冷えることもあるから、体を温めるブレンドも喜ばれるかもしれない。食後には、消化を助けるすっきりとした味わいのものも……)
頭の中に次々とアイデアが浮かんでくる。王宮では、父である国王陛下や母である王妃様の体調に合わせて特別な薬湯を調合することはあったけれど、不特定多数の人に喜んでもらうためのブレンドを考えるのは初めての経験だ。それは、私にとって新たな挑戦であり、大きなやりがいを感じさせるものだった。
翌日、私はギデオンさんから預かったお金を握りしめ、再び薬草市場へと向かった。昨日とは違い、明確な目的がある足取りは軽い。まずはリラックス効果のあるハーブティーの材料として、カモミール、リンデンフラワー、そしてバレリアンの根を少量。体を温めるためには、ジンジャー、シナモンスティック、そして少し珍しいけれど、この地方で採れるという「火蜥蜴(サラマンダー)の舌」と呼ばれる、ピリッとした辛味のある赤い実。消化促進には、ペパーミント、フェンネルシード、そしてレモンバーム。
市場を巡っていると、昨日串焼きで食あたりを起こしかけた子供の母親が、元気に走り回る子供の手を引いて歩いているのに出会った。
「あら、昨日の……!坊や、すっかり良くなったのね」
「ええ、お陰様で!本当にありがとうございました。この子ったら、もう懲りたかと思いきや、また何か食べたそうにしてるんですよ」
母親は笑いながら私に礼を言い、子供は私の顔を見てぺこりとお辞儀をした。ささやかな善行が、こうして誰かの笑顔に繋がっているのを見るのは、やはり嬉しいものだ。
いくつかの露店で目当てのハーブを買い揃えていく。以前見かけた、質の悪いカモミールを売っていた強面の商人の店も覗いてみたが、やはり購入する気にはなれなかった。ちゃんとした品質のものを選ばなければ、良い香りのハーブティーは作れない。
「おや、嬢ちゃん、また来たのかい。今日は仕入れかい?」
声をかけてきたのは、昨日私が薬草の効能を説明した時に興味深そうに聞いていた、少し年配の薬草売りの男性だった。
「ええ、宿屋で出すハーブティーを頼まれたんです」
「ほう、そりゃあ大したもんだ。どれ、何か珍しいものでも探してるのかい?」
男性はそう言って、店の奥から乾燥させた青紫色の美しい花を取り出して見せてくれた。「これは『星詠(ほしよ)みの花』といってな、夜に飲むと不思議と心が落ち着くんだ。ただ、少し扱いが難しくてね」
その花は、私が王宮の書物でしか見たことのない貴重なハーブだった。まさかこんな辺境の市場で実物にお目にかかれるなんて。私は目を輝かせ、その花の特徴や効能について男性と熱心に語り合った。結局、その「星詠みの花」も少量だけ購入することにした。新しいブレンドのヒントになるかもしれない。
「樫の木亭」に戻ると、ギデオンさんは厨房の一角を私に使わせてくれた。そこには大きな作業台と、薬草を刻んだり乾燥させたりするための道具がいくつか用意されている。
「さあ、思う存分やってみろ。火の扱いだけは気をつけろよ」
ぶっきらぼうにそう言いながらも、ギデオンさんの目には期待の色が浮かんでいるのが分かった。
私はまず、買ってきたハーブを丁寧に選り分け、不純物を取り除くことから始めた。それから、それぞれのハーブの特性を最大限に引き出せるよう、刻み方や乾燥度合いを調整する。まるで実験室にいる科学者のように、私は夢中になって作業に没頭した。時折、顔にハーブの粉がついてしまうのも気にせず、様々な組み合わせを試していく。
最初に試作したのは、リラックス効果を狙った「安らぎのブレンド」。カモミールとリンデンフラワーをベースに、少量のバレリアンと、香り付けにラベンダーをほんの少し。お湯を注ぐと、ふわりと優しい香りが立ち上る。
ギデオンさんに試飲してもらうと、彼は大きな体を揺すりながら、ううむ、と唸った。
「……確かに、落ち着くような気はするが……何というか、少しぼんやりするな。これじゃあ、長旅の疲れで気が張ってる冒険者連中には、ちと物足りねえかもしれん」
的確な指摘だった。王宮では主に就寝前に飲むことが多かったので、鎮静作用を強くしすぎていたのかもしれない。
次に、体を温める「火照(ほて)りのブレンド」。ジンジャーとシナモンに、例の「火蜥蜴の舌」を数粒砕いて加えた。これは試飲したギデオンさんも「おおっ、こりゃあ体がカッカするぜ!寒い日にはたまらねえな!」と満足げだった。
消化促進の「目覚めのブレンド」は、ペパーミントとフェンネルの爽快感に、レモンバームの柔らかな酸味を加え、後味をすっきりとさせた。これも好評だった。
試行錯誤を繰り返し、それぞれのブレンドの配合比率や抽出時間を細かく調整していく。時には、ギデオンさんの他に、宿屋で働く数少ない従業員であるおっとりとした性格の給仕係の女性、エルマさんにも味見をしてもらい、意見を聞いた。彼女は「とっても良い香りですわ。お客様もきっと喜びます」と優しく微笑んでくれた。
そして三日後、私は自信を持って三種類のハーブティーを完成させた。
一つ目は、「夢見鳥(ゆめみどり)の誘(いざな)い」。カモミールとリンデンフラワーを主体にしつつ、バレリアンを減らし、代わりに「星詠みの花」を少量加えることで、心を穏やかにしつつも、優しい幸福感に包まれるようなブレンドに仕上げた。
二つ目は、ギデオンさんお墨付きの「赤竜(せきりゅう)の息吹(いぶき)」。体の芯から温まる、力強い味わいだ。
三つ目は、「森の妖精の囁(ささや)き」。食後にぴったりの、爽やかで軽やかな風味。
ギデオンさんは、完成した三種類のハーブティーを改めてじっくりと味わうと、大きく頷いた。
「リリアーナ、こいつはたいしたもんだ。どれも個性的で、実に美味い。よし、明日から早速、宿の新しい名物として客に出そう!」
その言葉に、私は心からの安堵と達成感で胸がいっぱいになった。自分の力が、この町で初めて認められた瞬間だった。
翌日、早速「樫の木亭」のメニューに、私の考案したハーブティーが加えられた。「女将特製ハーブティー」という、少々気恥ずかしい名前で。
最初に注文したのは、長旅を終えたばかりの疲れた顔の商人だった。彼が「夢見鳥の誘い」を一口飲むと、その強張っていた表情がふっと和らぎ、「ほう、これは……実に心が安らぐ味だ」と呟いた。
別のテーブルでは、屈強な冒険者風の男たちが「赤竜の息吹」を飲み、「おい、こいつは効くぜ!体がポカポカしてきた!」と声を上げている。
その光景を厨房の隅からこっそり見ていた私は、人々が自分の作ったもので笑顔になったり、安らいだりしているのを見て、言いようのない喜びを感じていた。これが、私がやりたかったことなのだ。
その日の仕事が終わり、ギデオンさんは私の前に小さな革袋を置いた。
「リリアーナ、これは今月のハーブティーの売り上げの一部だ。お前さんの働きへの報酬だ。たいした額じゃねえが、受け取ってくれ」
中には、数枚の銀貨が入っていた。自分の力で初めて稼いだお金。それは、王宮で与えられていたどんな高価な宝石よりも、私にとっては輝いて見えた。
「ありがとうございます、ギデオンさん!」
私は深々と頭を下げた。ハルモニアでの生活は、まだ始まったばかり。けれど、この小さな成功体験が、私に大きな勇気と自信を与えてくれたのは間違いなかった。
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