第6話 薬草市場の喧騒と知識の片鱗

翌朝、私はギデオンに薬草市場の場所を教えてもらい、期待に胸を膨らませながら「樫の木亭」を出た。ハルモニアの町は朝から活気に満ちており、荷馬車が石畳を鳴らし、パンを焼く香ばしい匂いや鍛冶屋の槌音があちこちから聞こえてくる。昨日より少しだけ町に慣れた私は、人々の流れに乗りながら、迷うことなく市場へとたどり着いた。


薬草市場は、町の中心広場の一角、ひときわ賑わっている場所に開かれていた。足を踏み入れた途端、様々なハーブやスパイスの強烈な香りが鼻腔をくすぐり、思わずくしゃみをしそうになる。色とりどりの乾燥させた薬草の束が山と積まれ、木の樽には怪しげな色の液体や粉末が詰められている。見たこともないような奇妙な形の根や、光沢のあるキノコ、動物の牙や角らしきものまで並べられており、王宮の整然とした薬草園とはまるで違う、野性的で混沌としたエネルギーに満ちていた。


「わあ……!」


思わず感嘆の声が漏れる。私の目は好奇心に輝き、まるで宝の山を見つけた探検家のような気分だった。一つ一つの露店を覗き込み、薬草の品質や保存状態を確かめる。中には、明らかに古くなって変色してしまっているものや、別の植物の葉が混入しているものもあった。かと思えば、埃をかぶった籠の隅に、信じられないほど状態の良い貴重な月長石(げっちょうせき)の粉末が無造作に置かれていたりする。その価値を、売っている本人は気づいているのだろうか。


商人たちの威勢の良い呼び込みの声が飛び交う中、私はある露店で足を止めた。そこでは、少し強面(こわもて)の男が「どんな病もたちどころに治る万能薬!」と謳って、粘土のような色の丸薬を売っていた。興味を惹かれて近づき、その丸薬の匂いをそっと嗅いでみる。微かに甘い香りの奥に、質の悪い麦藁と、ごくありふれた消化促進作用のあるカモミールの粉末が混ざっているのが分かった。


(これは……ただの気休めね。万能薬だなんて、とんでもないわ)


私がそんなことを考えていると、ちょうど一人の老婆がその丸薬を手に取り、「これで長年の腰痛が治るかねえ」と呟いているのが聞こえた。思わず口を挟みたくなったが、アランに「軽はずみな行動は慎め」と言われたことを思い出し、ぐっと言葉を飲み込む。私はまだ、この町では何者でもないただの旅の娘だ。


しばらく市場を歩き回り、薬草の種類やおおよその値段、どのようなものが求められているのかを観察した。王都では高値で取引されるような鎮静作用のある「月の雫草(つきのしずくそう)」がここでは比較的安価で手に入ることや、逆に、王宮の薬草園では雑草扱いされていた「鉄錆(てつさび)ゴケ」が、武具の手入れ用として意外な需要があることなどを知った。


そんな中、ひときわ多くの人で賑わう一角があった。そこでは、若い女性が色鮮やかな花びらや香りの良いハーブを使い、ポプリや香油のようなものを売っている。女性は愛想が良く、その商品の見た目も華やかで、特に若い娘たちに人気のようだった。


(なるほど、薬効だけでなく、香りや見た目の美しさも大切なのね)


これも王宮ではあまり考えなかった視点だ。宮廷で使う薬は、何よりも効果が重視されたから。


一通り市場を見て回り、少し疲れてきた私は、広場の隅にある古びた井戸の縁に腰を下ろした。頭の中では、見た薬草の情報がぐるぐると渦巻いている。この町で、私に何ができるだろうか。


その時、すぐ近くで小さな騒ぎが起こった。見ると、小さな子供が腹を押さえて苦しそうにうずくまり、母親らしき女性が狼狽えている。


「どうしたの、坊や!しっかりおし!」


「お腹が……痛いよぅ……」


子供の顔は真っ青で、冷や汗をかいている。どうやら食あたりか、あるいは何か悪いものでも口にしてしまったのかもしれない。


居ても立ってもいられず、私はとっさに駆け寄った。


「あの、少し見せていただけますか?」


母親は怪訝そうな顔で私を見たが、子供の苦しそうな様子に藁にもすがる思いだったのだろう、黙って頷いた。私は子供の腹にそっと触れ、呼吸の様子や顔色を観察する。幸い、熱はなさそうだ。


「何か変わったものを食べさせましたか?」


「いえ、いつも通りの食事を……ああ、でも、さっき市場で売っていた串焼きを欲しがったから……」


串焼き。ハルモニアの市場では、得体の知れない肉を使った安価な串焼きも売られているとギデオンが言っていた。おそらく、それが原因だろう。


私は自分の荷物から、携帯用の薬草袋を取り出した。中には、消化を助け、軽い食中毒の症状を和らげる効果のある乾燥させたジンジャーの小片と、キャラウェイシードが入っている。


「これを少し、噛み砕いて飲ませてみてください。気休めかもしれませんが、少しは楽になるかもしれません」


母親は半信半疑だったが、私の真剣な眼差しに何かを感じたのか、言われた通りに子供にそれを与えた。子供は顔をしかめながらも、それをゆっくりと噛み砕く。


しばらくすると、子供の顔色が少しだけ良くなり、苦しそうな呻き声も小さくなったように見えた。


「坊や、少しは楽になったかい?」母親が尋ねると、子供は小さく頷いた。


母親は、ほっとしたように涙ぐみながら、私に何度も頭を下げた。


「ありがとうございます、旅の方!本当に、何とお礼を言ったら……!」


「いえ、大したことはしていませんわ。でも、念のため、町の治療師に一度診てもらった方が良いかもしれません」


騒ぎを聞きつけたのか、いつの間にか周囲には数人の人だかりができていた。彼らは私の手際の良い処置と、薬草の知識に感心したような、それでいて少し探るような視線を向けていた。



その日の夕方、「樫の木亭」に戻った私は、ギデオンに市場での出来事を報告した。子供を助けた話を聞いたギデオンは、私の肩をバンバンと叩きながら豪快に笑った。


「はっはっは!そりゃあ、お前さん、大手柄じゃねえか!だがな、リリアーナ、あまり目立ちすぎるのも考えもんだ。この町には、いろんな奴がいるからな」


「はい、肝に銘じます」


「だがまあ、お前さんのその知識は本物だ。俺も若い頃、旅の薬師に命を助けられたことがある。薬草の力ってのは、馬鹿にできねえもんだ」


そう言って、ギデオンはふと何かを思いついたような顔をした。


「そうだ、リリアーナ。お前さん、もしよかったら、うちの宿で出すハーブティーのブレンドを考えてみねえか?正直、今のはただ乾燥させたカモミールを煮出してるだけで、味も素っ気もねえんだ。お前さんなら、もっと客が喜ぶようなものが作れるかもしれん」


それは、思いがけない提案だった。けれど、私にとっては願ってもない申し出だ。


「本当ですか、ギデオンさん!ぜひ、やらせてください!」


私の目が輝くのを見て、ギデオンは満足そうに頷いた。


「よし、決まりだ。材料は市場で好きなものを買ってこい。代金は俺が出す。お前さんの腕前、見せてもらおうじゃねえか」


薬草市場での小さな出来事と、ギデオンからの思いがけない仕事の依頼。ハルモニアでの私の生活が、少しずつ動き始めているのを感じていた。まずは、この宿屋で、私の薬草の知識を形にしてみよう。美味しいハーブティーで、旅人たちの疲れを癒やすことができたら、どんなに素敵だろうか。

私の胸には、確かな目標と、ささやかな希望の灯がともっていた。

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