陽菜乃さんは霊が視えない! ~episode 5~

釜瑪秋摩

深夜二時、投稿の怪

 それは、深夜二時ちょうどに現れる。


「まただ……『助けて』か」


 大学内限定の掲示板「UNILINK」の画面を見つめながら、岸本泰河きしもとたいがは眉間にしわを寄せた。どこか素っ気ない白地に黒のテキストで、ただ一言『助けて』と投稿されているだけ。だがそれは、誰にも書き込んだ覚えがない『怪異の投稿』だった。


「これ、ほんとにログに残ってないの? アクセス記録とか」


「管理者の先輩に聞いたけど、『そんな投稿はされていない』ってさ。むしろ証拠を見せたら、軽く引かれた」


 夜のサークル部室。泰河の隣で紅茶を啜っているのは、都市伝説研究サークルの除霊担当、宮野陽菜乃みやのひなのだ。猫のような目もとが夜の室内でも凛としている。


「誰にも認識されてないのに表示される。しかも毎晩同じ時間に……これ、霊的なやつだよな?」


「たぶんね。だって、鈴が鳴ってる」


 陽菜乃の首に下げた、小さな銀の鈴付きのお守り袋が、わずかにチリンと音を立てていた。霊の気配が近いと反応するように霊力を込めてある。陽菜乃にとって、それは霊に働きかけるための触媒だった。鈴の音が霊の存在を揺さぶり、魂に触れるきっかけになる。


「でもネット越しって、どうやって除霊するんよ? Wi-Fi経由で?」


「電波の除霊はちょっと無理かな。今回は、相手の想念を探らないと」


 夜の部室。パソコンの画面に、誰も書き込んでいないはずの『助けて』の投稿。次第に、その背後に潜むが浮かび上がってくる。



 *****



 翌日、サークルの他メンバーと共に聞き込みを開始した陽菜乃と泰河は、学食にいた生徒から興味深い証言を得た。


「……ああ、いたね。二年くらい前、毎日掲示板に書き込んでたやつ」


「長文で自分語りとか、日記みたいなやつを書き込んでたよ」


「内容が暗くてさぁ……こっちの気が滅入るもんだから、読むのやめたんだよ」


「構ってちゃんっぽかったけど、途中で誰にも相手にされなくなって、投稿も消えてったんだよなあ」


「病気? とかなんとか? まあ、話半分で読んでたけど、あれに返事はできなかったよ。重すぎるでしょ」


 意外にも、みんな掲示板を利用しているらしい。陽菜乃も泰河も、よほどでないと見もしなかったけど。

 先輩たちの集めた情報も一緒にまとめたところ、名前は残っていなかったが、『書き込み常連だった学生』の存在が浮かび上がってくる。

 さらに図書館の記録も突き止めた。


「……この学生、図書館の端末からほぼ毎晩、掲示板にアクセスしてたみたい。でも……」


「でも?」


「卒業してないのに、ある日を境にぱったり来なくなった。学生記録も、急に消されてる」


 情報が闇に沈んだその人物の行方に、なにかがおかしいと陽菜乃は感じ始めていた。



 *****



 その夜。調査の手がかりを求めて、泰河は一人で再び部室へと足を運んだ。午後二時直前。部屋の中は静寂に包まれている。


「……来るか?」


 液晶モニターを見つめる泰河。秒針が、二時ちょうどを示した瞬間——。


『助けて』


「うわっ! き、来た……!」


 投稿と同時に、部室の蛍光灯がパチッと瞬いて明滅し始めた。背筋が凍る。音のないはずの画面から、ナニカが這い出してくるような感覚がした。


 ――誰か……見て……――


 遠くから聞こえてくるような、囁き声が耳に届いた。


「だ、誰かいるのか!? に、人間なら返事してくれってばよ!」


 ——見えない。届かない。怖い。怖い。怖い!!!――


「ひぃぃぃ……!! 怖い怖い怖いッ!!! 陽菜乃おぉッ!!!」


 段々と近づいてくるように大きくなる声……泰河はそのまま気を失った。



 *****



「だから、無理に一人で行くなって言ったのに……」


 翌朝、目の下にクマを作った泰河は、サークルの部室で布団にくるまったまま震えていた。陽菜乃はそんな彼の頭に冷えピタを貼りながら、パソコンを開く。


「ねえ泰河、その時、声がしたんだよね?」


「う、うん……なんか、届かないって……」


「届かなかったのは『言葉』じゃなくて『気持ち』なんだよ」


 陽菜乃の指先が、掲示板の投稿履歴をなぞる。誰にも気づかれず、誰にも読まれなかった投稿。それでも、誰かに見てほしかった。


 ——誰かに、自分の存在を知ってほしかった。


「思念が残ってる。画面の向こうに、誰かがいる」


 銀の鈴がチリチリと鳴った。


「今夜、行こう。最後の投稿を、ちゃんと読んであげよう」


「うぅッ……嫌だ……嫌だけど……行くんよな? 俺も……」


「当然でしょ?」


 グズる泰河に陽菜乃はサラッと答えた。



 *****



 深夜二時。再び部室の画面前に立つ陽菜乃と泰河。


「今回はちゃんと二人で来た。陽菜乃もいる。大丈夫、大丈夫……」


 ブツブツと何度も一人で自分を励ます泰河に、陽菜乃は苦笑しながらパソコンの電源を入れた。モニターに表示された掲示板に向かい、陽菜乃が小さくつぶやく。


「あなたの投稿、届いてるよ。ちゃんと、読んでるから」


 その瞬間、画面が光り、文字が浮かび上がる。


『ありがとう』


 続けて、過去の未送信投稿が一気に表示された。悩み、孤独、虚しさ、病の辛さ。そして『誰か、見てる?』という問い。


「見てるよ。私たち、ちゃんと見てる」


 こんなにも寂しい思いを綴っていたとは、陽菜乃も泰河も思いもしなかった。

 きっと、この人はもう亡くなっているんだろう。

 寂しい霊を前にして、泰河は怖さよりも悲しさが勝ったのか、鼻をすすりながら投稿を読んでいる。


「辛かったんだね……あたしたちには、もうなにもできないけど、声は……言葉はちゃんと、届いたからね」


 陽菜乃の声に呼応するように、銀の鈴が高く鳴り響いた。パソコンの画面から淡い光が溢れ出し、誰かの影がそっと浮かぶ。

 それは、笑っていた。


『やっと、届いた』


 静かに、光が消える。パソコンの画面には、もう何も表示されていない。ブン、と機械的な音が響き、パソコンがシャットダウンされた。



 *****



「……なあ、陽菜乃」


「うん?」


「もし俺が死んで、誰にも気づかれなかったら、掲示板に『構ってくれ』って投稿してもいい?」


「いいけど、除霊するよ」


「はぁ!? ちょ……マジで!? なんでそうなるんだってばよ!!!」


「うっかり悪霊化されたら困るでしょ?」


「うう……ひでエ……陽菜乃、おまえホント酷いヤツだよ……」


 陽菜乃が紅茶を飲みながら涼しい顔で言い放ち、泰河が思わず床に倒れ込む。

 夜のサークル部室は、今日もにぎやかだった。




 -完-

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陽菜乃さんは霊が視えない! ~episode 5~ 釜瑪秋摩 @flyingaway24

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