二、憧憬にほどける

「それにしてももう15年か~」

 時計を見たついでにカレンダーを見てふとつぶやいた。

 "2025"と銘打たれたカレンダーにはお互いの予定がいろいろ書かれている。そしてその横には15年分のカレンダーがブックエンドによってぞろぞろ並んでいる。左端から右側に行くにつれてカレンダーの日焼けが濃くなり、カラフルなはずの彩色は彩度を徐々に失っている。色褪せるグラデーションの果て、2010年のカレンダーはもはや歴戦の王のような貫録を放っていた。

「同居始めてからのカレンダーは一緒に買ったやつだけど、それより前のやつはあんたが家から持ってきたやつでしょ。あたかも中学生から同居してるように見えるじゃない」

 食後の紅茶を和華が持ってきてくれた。もちろん私が大好きなミルクとシュガーがどばどばのやつ。そういえば2010年のやつは私がお茶をこぼして茶色になったんだった。私の歴史は刻まれてるけど、歴戦の王というのは偽りの称号かもしれない。

「今でも忘れないなぁ。未波と修学旅行で同じ班になったこと」

 紅茶を淑やかに啜ってから和華があたたかい笑みをこぼす。その笑顔を見て私もあの時のことを思い浮かべる。

「だね~。あの時は絶対に忘れられない。私たちの始まりだもんね」

 そう、絶対に忘れられない。忘れてはいけない。あの何気ない一日が、"今の私"が生まれた日だったから。



 ◆

 

 

 有象無象の同級生たちが大型バスの前でごった返している。私もその中の一人だ。早く入りたい、早く座りたい。ただでさえじめじめしているのに、外で生徒を待たせる必要があるのだろうか。雨に打たれて紫陽花のようにきれいになれるのならまだしも、私たちは雨に打たれればべとべとになるだけ。早く中に入らせて。しかもバスの列は動く気配がない、というかドアがまだ開いていない。これ並んでる意味あるのかな。一応出発時間ではあるし、いつ開いてもおかしくない。でもこんな人混みに長時間居たくない。でもバスには早く入りたい。ん~…………

 拳を握って、上腕にまで力が行くほどの苦渋の決断で、列の最後尾まで移動した。まぁ他の生徒の汗よりは雨の方がましだし、傘もあるし。四方八方に人がいたバス前と違い、最後尾は人同士のパーソナルスぺースがとり放題になっている。すごく居心地がいい。修学旅行はやめてずっとここにいてもいい、とまではいかない。私だって修学旅行は楽しみにしている。

 

 ただ、最近私はなんとなく疎外感を覚えている。中学3年生になって、周りの人間関係はすでに完成している。うるさい系の集団、オタクっぽい集団、気さくなイケメン集団、一人でいる生徒、もはや種族ともいえる群れが構築されている。しかし、このなかに私が所属する種族は存在しない。というか、私はどの集団にも属していない。

 うるさい系の人と話すこともあれば、オタクっぽい集団とトークで盛り上がることもある。気さくなイケメン集団に話しかけられることもあるし、一人でいる生徒ともしばしば話す。いろいろな種族間を渡り歩く放浪者、それが"未波"という人間である。話す相手によって話し方を変えて、自分の性格すらも捻じ曲げて、一時的にその種族に適応する。よく言えば顔が広い、悪く言えば中途半端なのがこの学校での私だ。

 班活動やグループワークは、グループが決まりさえすれば問題ない。どんな相手にだって私は適応できる。ただ、問題はそのグループができるまでの過程だ。いざグループを作るとなった時、私のところに寄って来る奴はいない。みんな"真に友達と呼べる人"がいるから。その相手の次には、いつも同じグループにいる奴が選ばれる。その次に私だ。他者にとって私の優先度は激低い、だから基本的にグループ作りで私は余る。

 こういうことを言うと「自分から行けや」という人がいるだろう。まぁ落ち着け。それについては私からとっておきの反論がある。

 自分から行くにしても、私には入りたいグループがない。どの集団にも優先度に差はないのだ。あらゆる人間と均等に話すからこそ、個人個人、各グループにこれといった思い入れがない。先生や会長に決めてもらった方が楽である。嫌いな奴もいなければ、好きな奴もいない。正直、どこでもいいし、あまり物でもいいから適当に放り込まれたいのが本音である。

 

 そして今回の修学旅行も同様である。最後まで余って、数が足りてないグループへ適当に放り込まれた。これでいい。どうせ全員話したことあるし、特に一緒にいて苦痛な奴もいない。修学旅行が始まれば普通に楽しいし、最後に思い出を作って3年生を終えたい(まだ5月だけど)。でも、このままでいいのかなという漠然とした不安が胸の奥から顔を覗かせているのは内緒。

「あれ、未波ちゃんもう来てたんだね。おはよう」

「お、和華ちゃんおはよ~。前の方めちゃくちゃ混んでたから抜けてきちゃった。人口密度すごすぎ」

 最後尾に並び直すと、修学旅行で行動を共にする和華ちゃんがいた。班には和華ちゃんと私を含めあと2人いるが、2人とも男子だし、必要以上に交流はしてこないだろう。女子と話すような奴じゃないし。私のことが好きなら別だが。おいおいこんなにモテたら困っちゃうぜ。承諾するつもりはないけど。

 和華ちゃんももちろん話したことはある。といっても、具体的にどこでどんな話をしたかとかは覚えてない。初めて話したのもいつか覚えていない。そのレベルで関係性は薄いけど、話せないことはない。というか、和華ちゃんはかなり話しやすい。変なノリを要求してくることはないし、自己主張も少ない。かといって自分から話をしないわけではなく、程よく自分から話し、程よく聴き手に回ってくれる。和華ちゃんの内面はあんま知らないけど、話しやすさランクはかなり高い。修学旅行を楽しく"乗り切る"にはうってつけの相手だ。

 でも正直、メンバーが誰でもあまり変わらないと思う。さっきも言ったけど、私は特別仲のいい奴はいない。全員と均等に、広く浅くかかわってるから。今回の修学旅行でそれが変化することはないだろうし、するつもりもない。深く関わったって面倒くさいだけだから。人と深く関わることによって起こる面倒さと、深く関わらないことで起こるもやもやを天秤にかければ結果は明白である。天秤に乗せた瞬間、もやもやは遥か上空へ吹き飛んでいった。同時に、面倒さはアスファルトにめり込むくらいに沈み込んだ。

 和華ちゃんと適当に話しながら考え込んでいるうちにバスのドア前まで列が進んだ。和華ちゃんとは別の席で、隣の席はまた違う子だった。バスの座席も班決めと同時に決めたっぽいけど、適当に流してたから全然記憶になかった。まぁでもこの子も話したことある子だし問題ないだろう。目的地は京都、れっつごー(途中で特急列車に乗り換えるけど)。

 

 あまり関係が深くない相手でも、数時間程度なら余裕で話し込める。相手の趣味、好み、特技、勉強や運動、部活、アニメや音楽の嗜好、挙げたらキリがないが、今回は修学旅行なので、行きたい場所、同じ班の人などの話題も組み込める。それを私がひたすら聴き手になって掘り下げまくれば数時間なんてほんの一瞬である。私が十数年生きてきて身に付けた処世術がこれだ。今までの経験上これですべてを乗り切ってきた。人とのコミュニケーション、特に初対面の相手に関しては私は無敵である。1年生の最初のグループワークでも絶えずに話し続けていたため、先生から「コミュニケーション得意だね」とほめられたことがある。

 だが、コミュニケーションが得意というのは半分正解で半分間違い。あくまで得意なのは"関係が薄い人"とのコミュニケーション。"関係の深い友人"がいないから言い切ることはできないが、お互いの基礎情報を全て押さえた上で何を話せばよいのか見当がつかない。昨日の晩ごはんの話でもすればいいのだろうか? こんな話切り出したところで、「どうだった?」「おいしかった」で会話は終わる。相手の趣味とか好みを知ったらそれ以上の情報なんて引き出しようがない。

 こんなことを考えてるのもあって特別仲いい友人は作ってない、というか作れない。だけどこれでいい。結局人生は自分のためにある。学校での交友関係なんて、ビジネスライクにとどめておくのがちょうどいい。深く関わったって、人間の見たくないとこが見えるだけだと思う。

 ちょっと達観しすぎな気はするが、このくらい達観してる方が世の中に飲み込まれなくていいと思う。自分なりの生き方があるのは素晴らしい。あと達観して理性的に世界を見られる自分はかっこいい。

 

 なんやかんやで一日目の京都を終えた。普通に楽しかった。いろんな神社やら寺やらにってご利益をもらいまくった。きっと今の私は最強の運とコミュニケーション能力をもつ無敵のJCである。きっと明日からもいい日が続くだろう。

 そんなよくわかんないことを考えていると、大阪のホテルに着いた。ここからは同室の人とともに行動をするらしい。さすがに同室の人くらいは把握している。これに関しては男子と一緒だと何されるかわかったもんじゃないし。

「和華ちゃ~ん、一緒に部屋行こ」

「いいよ~。早く荷物置きたいもんね」

 和華ちゃんと一緒に自室へと向かう。基本的に部屋は三人部屋だが、数の都合上私たちの部屋は二人部屋になった。まぁ、三人での会話は一人が置いていかれないように気を遣わないといけないし、二人の方が気楽でいい。和華ちゃんは穏やかな性格をしてるから、いびきとかしなさそうだし、今日は快眠できそう。

 

 和華ちゃんが風呂に入っている間、あることに気が付いた。いつもは私が聴き手に回るはずなのに、今日は私が一方的に話していた。始めてきた京都だから、テンションが上がって聴き手に回るとか考える余裕がなかったのかな。それにしても、和華ちゃんと話しているとき、すごく心地よかった。"これが自分なりの生き方"とかいうこだわりを忘れて、気楽にふるまえた。もしかしたら同級生の中で一番話しやすいかも。

 それに、和華ちゃんは自分自身の話をあんまりしてない。和華ちゃんについてわかってるのは、女子ソフトボール部であること、交友関係が広いこと。しかもこれに関しては修学旅行より前から知ってた。和華ちゃん結構目立つし、いろいろな人と話すから。クラス会長に抜擢されたり、体育大会で応援団長したり、スクールカーストは間違いなく上、なんだけど、いざ関わってみると結構穏やかで、どちらかと言うと大人しめの子である。そんでもって自分の話をあんまりしない。今まで関わったことのない人種で、初対面以上の新鮮さがある。もしかしたら底の知れない魔性の女なのかもしれない。もしくは、私と似た、広く浅く関わるタイプの人間なのかもしれない。

 この時点で私は、和華に他の同級生にはない魅力と興味を感じていた。


「今日楽しかったね」

「ね~。私京都初めてでテンション上がっちゃったよ」

「未波ちゃん京都初めてなんだね」

「そうなんだよね。大阪は何回か来たことあるんだけど、京都はなくてさ。伏見稲荷とか清水寺とか写真でしか見たことなかったんだよね。でも実際に見てみたらやっぱ迫力すごいね」

 うんうん、と和華ちゃんが優しく相槌をして、私の話を促してくれる。あれ、私また話し込んじゃってる。なんでだろ、自然と自分の話をしたくなっちゃう。すごく心地いい。あのあたたかい笑顔を見ていると、自分の役割とか生き方とかどうでもよくなる。もっと話したくなる。もっと知りたくなる。どうしてこんなに心地いいのか、どうしてこんなにいっぱい話したくなるのか。こんなに他人に興味を持つのは間違いなく初めてだ。

 もっと知りたい、そう思っても、三大欲求の1つ、睡魔が私に襲い掛かる。もう少し話したくても、まぶたが会話を遮断するように視界を塞ぐ。重すぎるシャッターをこじ開けても、また勢いよく閉じるだけ。これはもう抵抗できないと悟ってベッドで体を横にする。

「和華ちゃんごめん、眠すぎるから先に寝るね」

「無理しなくていいよ。今日いっぱい歩いたもんね、ゆっくり休んで。おやすみ」

 かけられる言葉の一つ一つがあたたかい。このあたたかさの正体を知りたい。でも今日はこのあたたかさに包まれたまま寝たい。どんな低反発マットとまくらよりも、心地よい寝心地に包まれて重い瞼を閉じる。少しずつ狭くなる視界の中で、和華ちゃんが柔らかい笑みをこちらに向けていたことに気が付いたが、それに返答する間もなく意識は夢の中へ行ってしまった。


 あれからどれだけ眠っただろうか。窓からは海沿いの公園の街灯と、それを反射する海、存在感がありすぎるレインボー観覧車しか見えない。つまりあまり寝てないのだろう。そう思い部屋の掛け時計を見ると、日付が今にも変わりそうといった時間帯だった。夜景に見とれてもう一度寝ようと思ったが、窓の片隅にあるこじんまりしたデスクから、やわらかい太陽のような照明が差す。その光の下で照らされる和華ちゃんも目に入った。表情は影になって見えないが、ただでさえ綺麗な茶色の髪は、照明に照らされ金糸と同じくらい、いやそれ以上の美しさを放っている。

 そんな和華ちゃんに見惚れていたら、寝息が聞こえないことに気づいた和華ちゃんがこちらを振り向いた。卓上照明に背中を預けたその姿は、夕暮れの浜辺を連想させる。恋愛ゲームでいえば、デートイベントのスチルくらいの特別感がある。『美しい』、私の語彙が足りてないだけかもしれないが、私の眼前にいる少女を表す言葉にこれ以上ふさわしいものはない。

「あ、起こしちゃった?ごめんね、私も寝ようかな」

「ううん、慣れないベッドだから寝にくいだけだと思う。それより何してたの?」

 寝ようかな、と言ってた和華ちゃんは、口ではそう言いつつも鉛筆を握っている手を止める気配はない。教科書も見当たらないし勉強ではなさそう(というか修学旅行に教科書もってくる奴は真面目すぎる)。

「あ~いや、正直見せるつもりはなかったんだけど……起きちゃったら見せるしかないね」

 机の方に身体を寄せると、苦笑いしながらノートを私の方に寄せてくれた。ちょっと躊躇ってる感じがするけど、まあ観念してるなら見せてもらおうじゃあないか。

 

「おぉ……! すごい! これ和華ちゃんが描いたの!?」

「うんまぁ、私のノートだしね」

 ノートには、めちゃくちゃ綺麗なお姉さんのキャラクターが描かれていた。スタイルが良くて綺麗なんだけど、どこかあどけない表情のお姉さん。いわゆる美少女イラストというものだ。和華ちゃん曰く、このお姉さんはオリジナルキャラクターらしい。どこかそっけなく応える和華ちゃんは、あんまり見られたくないのか、恥ずかしがっているのか、その両方なのか、真意はわからない。でも、ノートを取り上げたり嫌な顔をしたりしないあたり、信頼されていると思っていいのだろうか。

 多趣味な私だが、その中でも一番の趣味はアニメやゲームである。オタクなら誰しも「かわいい or かっこいい or 推しの絵を描きたい!」と思ったことがあるだろう。私もその一人で、小学校の文集に美少女キャラを描いてみたり(黒歴史)、デフォルメで描いた推しキャラをLINEのアイコンにしてみたり("デブすぎ"と罵られた)したことがある。尤も、何事も熱しやすく冷めやすい私にイラストは続けられなかったのだが。

 その点、和華ちゃんは物心ついたときからイラストを描くのが好きで、小学生の頃から美少女を描くことに明け暮れていたらしい。そういえば、美術の作品の展示でずば抜けて上手い作品があったけど、今思えば、あれは和華ちゃんの絵だったのかもしれない。美少女だけじゃなく、背景とか物のデッサンも他のページに描いてあったが、案の定こちらも上手い。授業で透視図法だったかメルカトル図法だったかそういう技法を学んだけど、明らかに授業で教えてもらった技法の範疇を超えている。和華ちゃんの絵は素人目でもわかるくらい上手いし、キャラクターはかわいい。イラストの歴の長さからも、一番の趣味であることがうかがえる。

 今日一日いろいろ話したけど、「絵を描いている」なんて一度も言っていなかった。私のコミュニケーション力が足りなかったのか、それとも私が和華ちゃんのことを知った気になっていただけなのか、どっちなのかわからないけど、私の底からこみ上げてくるのは「この子のことをもっと知りたい」そういう感情だった。

「ねえ、このキャラ描いて欲しいんだけど、いい?」

「いいけど、眠いんじゃなかったっけ?」

「いいのいいの! 今は和華ちゃんの絵が見たい!」

 


 ◆



 これが、私たちの始まりだった。この修学旅行が終わってから、一緒に下校するようになって、放課後に遊んだりご飯食べに行ったりするようになった。高校は違うけど途中まで電車が同じで、登校するときとか部活終わりの下校でたまに会えて、会うたびにいっぱい話して、たまに外食して帰ることもあった。卒業式の後も、学校が違うにも関わらず待ち合わせして遊びに行った。

 おそらく、というか間違いなく、一人の人間とここまで仲良くなったのは初めてである。今までが広く浅く関わってたからこそ、いざ一人の人間を深く知ると、もっと知りたくなってしまう。このころは全力で学生できて楽しかった。もちろん今も楽しいけど。

 大学生になってからは、お互い県外で物理的に離れ離れになったけど、それでもいっぱい旅行したし、通話もいっぱいした。お互い実家に帰省すれば必ず会ってたし、帰省中もいっぱい通話した。

 ちなみに私は、あの時の修学旅行がきっかけで本格的に絵を描くようになり、大学卒業後はゲーム会社の専属イラストレーターになった。もちろん和華ちゃんもイラストレーター。私よりもフォロワーがめちゃくちゃ多くて、企業所属にもかかわらず個人依頼も殺到するくらいの超売れっ子で、私は頭が上がらない。

 

「そういえばあの時私のこと"未波ちゃん"って呼んでたよね。呼び捨てを許可した覚えはないんだけど?」

「いや、それはお互い様でしょ……。でも確かに私もいつから呼び捨てで呼ぶようになったかわかんないや」

 思い返してみれば、気づいたら呼び捨てでお互い呼んでるけど、明確にいつから変わったか本当に覚えていない。恋愛ゲームなら、呼び方の変化って激アツイベントだけど、私たちにとってはイベントにもならないささやかな変化なのかもしれない。


「いやでもまさか未波と同居することになるとはね。あの時は驚いたな……」

「あれは私も結構有勇気出したよ……。ほぼ博打感覚で誘ったし」

 そう、お互い就職して数年後、私たちは危機感を感じていた。それは『一生独身問題』である。私には和華しかまともな遊び相手がいなかった都合上、異性と触れ合う機会がほぼなかった。中高はいろんな人と話してたし、彼氏も一週間だけいた。けど、プライベートで遊ぶほどの友達はいなくて、彼氏には理由もなくなんかフられた。なら最初からOKすんなしって思う。それは和華も同じっぽくて、同性の友達しかおらず、異性との関わりはほとんどなかったらしい。

 だから私は大胆な計画をした。それは『どちらかが結婚するまで同棲する』という計画である。こうすればなんとなく張り合いが出て『一生独身問題』を解決する起爆剤になるんじゃないかなっていう漠然とした考えだった。こんなアホみたいな計画乗るわけないよなって思ってたけど、意外と和華が食いついてきたから、この計画は実行することになった。もともと、私は早めに一軒家を建てたい人間だったから、これを機に家を建てられてよかったって思う。ただ、あくまで私の家だから、どっちが先に結婚しても和華は出ていかないといけないんだけど。それを同性始めてから説明したらめちゃくちゃコテンパンにされた。

 

「普通に考えて、どっちにしろ私を追い出すって考え方えげつないよ? 人の考えることだと思えない」

「でも家建てるお金全部私が払ったし……」

「それはそう。何も言い返せないわ」

 攻撃的だった和華の表情が苦笑いに変わった。やはりこの世界はお金が全て……!


「にしても同棲始めて3年か~ あっという間だね」

 カレンダーの近くに飾られた数多の写真に目を配る。同棲してから撮った写真は、コルクボードをはみ出す勢いでびっしり貼られている。その横の日本地図には、二人で行った都道府県に色が塗られている。日本の領海が真っ白なのに対し、領土のほとんどには彩色が施されている。行っていない都道府県は両手の指で足りるほどになった。

 正直なところ、最初は『一生独身問題』を解決する起爆剤として一軒家での同棲を始めたが、途中から私は結婚をあきらめていた。というか結婚する気が"なくなってしまった"。高校生の時、一週間で彼氏にフられて異性との関わりが億劫になったのもあるけど、それ以上に、私は"今の生活"に満足している。毎日ただいまとおかえりを共にして、いろんな趣味を共有して、いろんな愚痴を分かち合う今の生活が好き。気も遣わずに一生笑いあっていられる今の生活以上の幸せを、私は望まなくなってしまった。和華がどう思ってるかは知らないけど、今の生活がずっと続けばいいな、と心の底から思っている。

 和華はどう思っているのだろうか。はっきり言って、和華は美人だし優しい上に人を惹きつける魅力を持ってる。でも男の気配はあんまり感じない。中学の頃から、八方美人に接するのは、私も和華も変わっていない。似た者同士だからこそ、私たちはここまで仲良くなれたのだろうなって思う。もしかしたら、私みたいに結婚諦めてたりしてね。それはそれで今の生活が続いてくれるから嬉しい。

「未波は旅行好きすぎるんだよ。大学生の時も結構行ってたけど、社会人になったらほぼ毎週行ってるじゃん」

「だってお金があるんだよ? 行くしかないじゃんね」

 迷いなく私は答える。「はぁ」と和華がため息をついているが、その顔にはどこか嬉しさも感じる。私の人生に巻き込んでいるのは多少の申し訳ないが、それでも和華が楽しんでくれているのならそれでいい。私はいわゆる"ハッピータイフーン"なのかもしれない。



 

 私たちのこれまで振り返っていたら、時計の針は2時を示していた。隣の家の電気も疾うに消えて、外から差し込むのは白色のLED街灯だけ。

「さ、そろそろ寝よっか。今日休みとはいえ普通に眠いわ~」

「あ、未波。ちょっと待って」

 部屋の電気を消した後、和華に引き留められる。ちょっと話すくらいなら街灯の光だけでも問題ないだろうから、部屋の電気は付けずに和華の方を見た。

「どうしたの? 昔のことについて語って夜明けを待つか?」

 なんて冗談混じりに言ったけど、和華から返事はない。というかずっとそわそわしてる。街灯の白色が和華の顔に差し込んで、表情は青白く見える。不安になったから「大丈夫?」と声を掛けたら、ぱっと顔を上げて、まっすぐ私の眼を見て口を開き始めた。

 

 人の考えていることは、口に出さなければ伝わらない。

 同じ空間、同じ時を過ごす相手が、同じ感情を共有しているとは限らない。

 私はそれに気づけなかった。気づくのが遅かった。切っても切り離せない関係の二人であっても、心は確かに独立している。これは、浅い関係しか築いてこなかった故の、人間関係の経験不足が生み出したスキーマ。人は、変わることもあるし、共有することのできない内なる部分を持っている。


 

「私、好きな人ができたんだ」

 

 

 青白いと思っていた和華の顔は、白色の光を打ち消すほどの茜色で染められている。瞳はエフェクトでも入れたかのようにキラキラしている。恋する乙女の顔、ありきたりだがこの表現がぴったりだと思う。


 

 同じ白色で照らされている私の顔は、何色に染まっているだろうか。瞳にはどんなエフェクトが入っているだろうか。私の眼では、それをとらえることはできなかった。

 

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