三、むすんでひらいて、揺れる糸先
「私、好きな人ができたんだ」
「おお! まじかまじか! え、いつから? いつから好きなの?」
深く深く、和華の方へと詰め寄る。寝ようと思っていたがそれどころじゃない。聞きたいことが多すぎて脳の整理が追い付かない。
「わかったわかった。話すから、いったん電気付けようか」
長話になると察した和華は、観念して部屋にもう一度光を灯した。部屋は再び昼白色に染まり、街灯の白色は居場所がなくなって外へと逃げていった。落ち着いてと言わんばかりに、和華は私に席へと座るよう促した。言われるがままにいつもの椅子へと腰を掛ける。
席に腰掛けると、さっきまでは見ることのできなかった鏡越しの自分と目が合う。鏡越しの私は、笑っている。頬も薄い赤橙色に染まっている。照明の色が暖かいのもあるかもしれないけど、今この瞬間、私は確かに笑っている。嬉しいんだ。和華に好きな人ができて、人生のさらなる一歩を踏み出そうとしているのが嬉しい。
鏡越しの自分と向かい合っているうちに、恋する乙女も心臓を落ち着かせて私の対面に座って、口を開く。
「ふう、やっと落ち着いた」
「え、落ち着いてなかったの私?」
和華は、あたかも『自分はずっと落ち着いてましたよ』と言いたそうに涼しい顔をしている。
「そりゃそうでしょ。私が『好きな人いる』って言った瞬間にぐいぐい来たじゃん」
「まあ落ち着いてはなかったけど、和華も大概でしょ。頬赤くしすぎ。私が告白されたのかと思ったわ」
そんなわけないない、とお互いに顔を向かい合わせては横に振る。いやいや、こんなことどうでもよくて、聞かないとけないこと沢山あるんだった。改めて顔を正面に向け、一問一答形式で話し合う。
「で、どこで出会った人なの」
「結構前にね、駅でハンカチ落としたのを拾ってもらって、その時に連絡先交換した」
「どっちから攻めたの」
「攻めたって……まぁ私からだけど。連絡先交換してから1回だけお出かけしたね」
「あ~そういえば、いつも以上に服とか化粧キメて出てったことあったね。その人とのお出かけだったのか」
おお、と思わず口に出る。15年間関わってきたけど、そんな一面があるとは知らなかった。和華は人間関係には受動的だし、特に異性に対しては純度100%の受動を貫いていて、自分から話しかけるところを見たことがなかったから。大学生までは異性と関わる機会がいっぱいある。しかし、社会人になればそれは0に等しい。特にイラストレーターのような在宅でもできる仕事は外に出る機会すら少ない。その数少ない機会をモノにした和華はかなり強運である。
「どんな人なの」
「普通にいい人って感じ。ちょっと童顔で優しくて、お出かけしたときも荷物もってくれたり電車の時間調べてくれたり」
「地味だけどそういう優しさが一番うれしいよね~。なんか好きになるのもわかるわ」
好きなるのもわかるという旨の相槌を行うと、和華は見たことのない速度で首を縦に振っている。それはもうバンドマンのヘッドバンキングを裕に超えている。すご、恋ってこんなに人を変えるものなんだ。
確かに私も彼氏がいたときはこんな感じだっけ(ヘッドバンキングはしてないけど)。私の脳も、彼氏の話をしている間は『好き』とか『いとおしい』とかそういう言葉しか浮かんでこなかった気がする。語彙力は失われて、その人を想う気持ちに思考を支配される。いわゆる『恋愛脳』というやつだろう。確かにこれは人を変えてしまう。和華のヘッドバンキングも、脳内が『好き』に支配されているからこそ起こる"本能的な行動"だろう。いい意味で合法ドラッグといえる。Love overdoseってか?
正直なところ、私の恋は一週間で尽きた瞬間的なものだったし、和華のように持続的なものではなかった。それに、やっぱり一週間でフられるというのは当時すごくショックだったもので、数週間は学校の課題とかイラストに手が付けられなかった。『一生独身問題』を解決する起爆剤として和華と同棲を始めたものの、異性と関わるたびに『あの一週間』が脳裏によぎるもんだから、異性と関わることを避けるようになってしまった。そして悪循環はやはり起こるもので、異性との関わりを避けていたら異性への興味すらなくなってしまった。これだけ時間が経てば、『あの一週間』がいちいち想起されることはなくなったけど、同時に異性への興味も失われているのだからどうしようもない。
だからといって和華の恋を無下にするわけではない。彼女の幸せは私にとっての幸せである。有限な時間の中でその人に出会えたという唯一無二の機会を逃すわけにはいかない。もちろん応援するに決まっている。
「いいじゃん。めちゃくちゃ応援するよ! 絶対実らせようぜ」
「未波……ありがとう。私がんばる」
「じゃあ本日3:00をもって『和華の
「変な名前つけないで!」
こうして私は恋のバックダンサーとなった。バックダンサーの役割は自分が目立つことじゃない、メインアーティストをサポートすること。やってやる。絶対に実らせてやる。
ちなみにさっき幸せがどうこう語ったけど、ちょっと見栄を張ってた。そんな人生を俯瞰的に見られるほど私は大人ではない。
こんな幼気で純粋な瞳を見て、応援しないわけにはいかなかった。それだけ。
自室に戻って、ベッドの中へと潜る。あと2時間もしないうちに日は昇るのにベッドに潜る意味はあるのだろうか。そう考えつつも、今日の出来事を整理するためには睡眠は必要だと気づいた。今日はここ数日で最も情報量が多かった。さっきの出来事が強烈すぎた。
まさか好きな人がいるなんて、全然気が付かなかった。長く関わっているし、お互いに傾向とかくせとかわかっているつもりだけど、意外と知らない部分も多いのかもしれない。これから見えなかった和華の姿が見られると思えば楽しみで仕方がない。
あれから数週間、和華は例の男性と何度かお出かけをして、私もそれをサポートした。服を見繕ったりお出かけプランを練ったり、お出かけ場所に潜入して見守ったりもした(もちろん許可はもらってる)。潜入で見た感じでは、すごくいい感じだった。二人はずっと笑顔だし、気まずい雰囲気はみじんも感じられなかった。これは、所謂勝ち確なのでは? いやでも私の男性経験が浅いだけの可能性もあるよなぁ。でもいい感じなのは間違いない。この調子で行けば行けるはず。
そしてとうとう勝負の日、今日の家事は私が担当。使った食器を洗って時間をつぶそうかと思ったが、いつもより早く終わってしまった。そういえば料理を1人前で作るのは久しぶりかもしれない。水の量とか野菜の量が妙に少なくて不安になった。
2人だと狭く感じたこの家は、1人だとやけに広く感じる。もし最初から1人で住んでいたら耐えられなかったかもしれない。秒針が動く度、音が部屋の中を乱反射して私の耳をつんざく。1秒、1秒、また1秒とキリのないときの流れが私の意識を支配する。
自分がなにかするわけでもないのに、心臓がうるさい。身体が熱い。今ホールケーキでも持とうもんなら、絶対にひっくり返すし、そうでなくとも私の熱で溶ける。どちらにしろ取り返しはつかない。和華が返ってくるまでは、冷蔵庫は開かないと決心した。
ぼーっとしている間に秒針は何周しただろうか。分針を見てみると、その瞬間にようやくひとつ次へ進んだところだった。まだ1分しか経っていない。何かを待つときってこんなに長く感じるものなんだ。そう思って小さくため息を1つついたその数秒後。
「ただいま~」
聴き慣れたドアの音、靴の音、帰りを知らせる音が聞こえた。やっと帰ってきた。「おかえり~」と叫んでリビングへと呼び寄せる。いつもなら玄関まで迎えに行くところだが、長いこと待たされたんだ。ちょっとくらいいじわるしてもいいだろう。
いつもと変わらない表情、態度の和華がいつもの席に座る。なに『別にいつも通りですけど』 みたいな顔してんだよ。ジト目になってよくよく見てみれば、口元はちょっと緩んでいる。こういうところいいんだよね。
「で、どうだったの」
少しでも早く聞きたくて、座って間もなく直球で質問を投げかける。私はこの日、この瞬間のために数週間がんばってきた。和華は身体をピクンと震わせて、そしてすぐ平静を取り戻して口を開く。
「報告します」
「はい」
「この度、わたくし和華は」
「はい」
「お付き合いすることになりましたっ!」
立ち上がった和華は、昼白色の照明が霞むような笑顔を私にぶつけてくる。照明に覆いかぶさる和華の顔の輪郭から光が漏れ出し、円環を生み出している。その姿は皆既日食のよう──いや、ちがう。皆既日食という表現は、今の和華と私に使うべきだ。和華が太陽、私が月。自ら輝く和華と、それに重なる私という影。でも私だって、負けていられない。和華の幸せは私の幸せ。袖の内に仕込んでいたクラッカーを太陽めがけて打ち鳴らす。祝福の発砲音が部屋全体に染みわたる。
「おめでとう! 和華ならやれると思ってた! 今ケーキ持ってくるね」
「え、ケーキも買ってたの? 大げさだなぁ、もう」
和華が出かけている間に買っておいたチョコホールケーキを冷蔵庫から取り出す。今も心臓はうるさいけど、これは嬉しいっていう意味の高鳴り。鏡を見なくてもわかるくらいのにやにやした表情でケーキをテーブルに運ぶ。そこまでしなくていいのに、と言いたげだけどまんざらでもない和華の顔すごく好き。めちゃくちゃかわいい。あ、恋愛的な意味じゃなくてね。
「へ~。毎日通話するんだ~」
「お互いのタイミングが合えばだけどね。あと
彼氏さんは藍さんっていう名前らしい。結構大きい会社のエリートさんで、夜10時まで会社いることもざららしい。そんでもって転勤もちょくちょくあって、今この地域にいるのも転勤でたまたまとのこと。「ブラックじゃん」って思ったけど、藍さん自身は仕事が楽しいと思えてるらしく、その分稼げてるから不満は一つもないんだって。これで優しくて和華と趣味合うの強すぎる。しかも転勤先で奇跡の出会いとか、運命以外の何者でもない。
「……気にしないで。というか、このチャンスものにできなかったらそれこそ許さないからね!」
めでたい雰囲気なのに和華が申し訳なさそうにするから、ちょっと大げさに身振り手振りして場を少しでも明るくする。あれ、私、雰囲気に飲まれそうだった? どうしてだろう。こんなハッピーな出来事が目の前にあるなら、どんな負の感情も吹き飛ばせるくらい幸せになれるはずなのに。和華の幸せは私の幸せ、それは間違いない。彼氏ができるなんて一大イベント、幸せじゃないはずがない。それなのに、私がほんのちょっとの重い雰囲気に飲まれそうになったのはなんで? もしかして、少なからず私が負の感情を持ってた? だとしたらその感情は何? 一番の友達の幸せに曇りをかけるほどの感情なんて存在するのだろうか。
でも、今の私にはわからない。その感情の答えを見つけることはできない。雨の予報が出てない曇りの日に、傘を差す必要はない。だから私は、そんな翳りに構わず、もう一度和華に「おめでとう」と告げた。
和華が「ありがとう」と言いかけた(おそらく)のと同時に、和華の横にある小さなポーチから光を音が漏れ出す。おそらく藍さんからの電話だろう。付き合いたてほやほやだもんね。そりゃ話したくなるよ。慌てて和華がポーチからスマホを取り出して「ごめん藍さんから。ちょっと話してくるね」と言って自分の部屋へと向かっていった。
「いけいけ~。かましてこいや~!」
意味もなく明るくふるまって、変なことを言ってみれば「もうっ!」と頬を膨らませて和華が私をにらんできた。いいね。あの顔はまさしく恋する乙女の顔。あの日見た茜色の表情が脳裏によぎる。
そうだ、今の私はどんな顔をしているだろうか。どんな瞳をしているだろうか。数週間ぶりの答え合わせに、卓上の鏡を覗き込む。
「え──」
鏡に映りこむ私の顔は、笑っていない。かといって無表情というわけでもない。眉が少し下がっている。自分は今どいう感情なのだろう。自分の顔を見ても、心に問いかけても、答えが出てこない。必ず答えがあるはずなのに、私の語彙にはこの感情を理解し、形容するのに最適な言葉が存在しない。そんなことを考えていたら、鏡の中の私が困惑し、口を開けたり閉じたりしているのが見えた。
嫌だ、こんな自分見たくない。今の表情が気に食わないから口角を上げようとしても、持ち上がらない。手で無理やり押し上げようとしても私の口は動く気配がない。さっきまで笑顔だったのは、和華が太陽で、私が月だからなのだろうか。太陽がここにないから、私は笑顔になれないのだろうか。じゃあさっきの笑顔も"偽物"だった?
いや、違う、違う、ちがう。私は純粋に笑ってた。心の底から幸せだった。なのに、この感情は何? 今の私はなにを想って、なにをしたいの? 分からない。誰でもない自分のことなのにわからない。
ドアの向こうから聞こえる眩しいほどの声色が、私の心に安堵感と焦燥感を同時に焼き付ける。どこに目を逸らせばよいのか分からないような自分の感情に嫌気がさして、鏡の中の自分と一緒に目を閉じた。
人間は日進月歩、積土成山、少しずつ変化していくものである。それはなにも身体や外見だけの変化とは限らない。人の心、そして人と人の距離もまた、見えないように少しずつ変化をし続ける。そしてその積み重ねが、大きな変化への布石となることを、私は実感した。
「和華ぁ、今年のゴールデンウィークどこ行こうか」
私たちは大学生の頃から、毎年ゴールデンウィークは絶対旅行をしている。同棲する前、大学生のころから続いてるから、もう7年はお互いのゴールデンウィークを旅行に使ってるかな。それに加えて、お盆とか年末、年度末も行くし、何もない週末に弾丸で行くこともあるから、もはや旅行は私たち共有の趣味になっている。今年はどこ行こうかな、とパソコンでマウスをカチカチしながら話しかけると、和華は「あ~」とか「う~ん」とかうなり始める。いつもなら「ん~ 未波の行きたいところに任せるよ」って言うに、珍しい。何を迷ってるんだろう。
「その~……ごめん! 今ゴールデンウィークは藍さんと旅行くすることになってて……。泊まり込みで行ってくるから、今年は一緒にいけないわ」
数秒の沈黙。時が止まったかのような静けさの中で、秒針の音が唯一時が止まっていないことの証明となっている。鏡を見なくてもわかる。私は今、笑えていない。けど、笑えていなことが自覚できているから、何とか笑ったような表情を取り繕った。昔培った誰にでも愛嬌を振りまく処世術を久しぶりに使った気がする。尤も、和華に対しては基本取り繕わないから、こういうことはしないんだけど。あれ、じゃあ私、なんで取り繕ってるんだろう。取り繕う必要がない、取り繕いたくない相手に対して取り繕う自分に違和感を感じる。
あぁ、あの時と一緒だ。正体の分からない感情が私の中に翳りをつくる。だけど今はそんなことどうでもいい。目の前の出来事を対処しないと。
「……あ~そっか! 会えるタイミングも限られてるしね。私となんていつでも行けるし、行ってこい!」
「本当にごめんね……またお盆くらいに行こ。」
「そんなに謝んなくてもいいって。てか、絶対にお土産買ってきてね。あとあのアニメのフィギュアと、絵師さんの画集と、土地の権利書と……」
「はぁ……"変わんないね"、未波は。その調子なら安心だね」
いつものあきれた表情で頬杖をついて、柔らかい笑顔が私に向けられる。その笑顔を見て、いつもの私なら安心している。
だけど、いまはその言葉と表情を上手く受け取れない。"変わんない"という言葉が妙に引っかかる。"変わんない"、"変わんない"。脳内でこの言葉が乱反射して、私の心に負荷がかかる。でも、この負荷が、どんな感情に由来しているのか分からないから、余計に翳りは濃くなる。
「ん、もう12時だね。じゃあ私はそろそろ部屋行こうかな」
よかった。私の考えてることは読まれてない。最近の和華は、日付が変わるこの時間にとても敏感である。それは、藍さんとの通話がいつもこの時間に始まるからだ。歯も磨いて、洗顔もして、準備ばっちりな和華は席を立ちあがって、身体を伸ばす。
「あ、じゃあ私も自分部屋行こうかな。明日は何もないけど」
伸びをした和華をみて、私も立ち上がって身体を伸ばす。誰もいないリビングにいても虚しいだけだし、もう部屋に戻って寝よう。変な考えとか不安に追われてるときは、寝るのが一番。自慢ではないが、私は大抵のことは寝て起きればリセットされる(フられたのは引きずったけど)。この曇りも、起きればまた晴れて太陽が顔を出すことだろう。明日の私予報は晴れ、降水確率は0%。
お互いに伸びを終えて、曇りのない表情で自室のドアに手をかける。
「おやすみ」
「うん、おやす...」
"別れ"の挨拶を言いかけて、私の思考は一瞬止まった。
私の"おやすみ"は和華に向けて、そして私に向けたお互いのためのおやすみ。だけど、和華には"藍さんに向けた、自分自身にも向けたおやすみ"が残ってる。いつからだろう。私の"おやすみ"が一方通行になったのは。
他愛のない日常的な、たった4文字の挨拶。深い意味なんてないはずなのに、今は辞書が数ページ埋まってしまうほどの深さを感じる。
「どしたの?」
「──ううん、なんでもない。"ばいばい"」
「? ばいば~い」
結局言えないまま、自室のドアを開いた。深すぎるあなたの"おやすみ"を、私は受け取ることができなかった。あなたが遠ざかる確かな感覚を、認めたくなかった。
そして、こんな不確かで、不純で、不埒で、不潔な感情を抱く私を認めたくなかった。
ベッドで寝転がって、天井を見上げる。
眠れない。自分の感情が整理できていない。嬉しいのに、幸せなのに、喜ばしいはずなのに、和華の幸せを素直に祝えない自分がどこかにいる。その自分がどこにいるか見当もつかない。この感情は何だろう。
嫉妬? いや違う。私は恋愛をするつもりはないし、和華の幸せを妬んでいるつもりはない。
焦燥? これも違う。和華の人生が進んでいるから、私も早く進まないとっていう意識はない。
羨望?これもピンとこない。人生には、お互いの道がある。その道に無理やり私もついていくつもりはない。
じゃあ、この感情はなに? 分からない。私は今何を感じているの?
ふと、窓から差し込む月光が、次第に弱くなっていくのを感じた。窓が少し音を立て、外の木々は激しく揺れている。そのはるか上空で、また月が顔を出した。眩しい、と思って瞳を閉じそうになったが、また月に雲が掛かろうとしている。雲が、必死に月を追いかけているようにも見える。
ああ、そっか。こういうことなのかもしれない。処世術がどうとか、自分を客観的に見てるとか、全然そんなことできなかった。だって、こんな単純な感情にも気づけなかったんだもん。
私は『寂しい』んだ。
和華が遠くへ行っちゃうのが、私たちの関係が少しずつ変わっていくのが『怖い』んだ。
もしかしたら、この感情の中に、嫉妬や焦燥、羨望も含まれているのかもしれない。だけど、それは二の次にすぎない。
私は、和華が遠くに行くのが、変わっていってしまうのが寂しくて、怖いんだ。
「気づきたくなかった。こんな感情」
最初から分かってたはずなのに、いつかこんな日が来るのを知っていたはずなのに、私は目を逸らし続けてた。和華に彼氏ができても、いつもみたいに和華の横を、同じ歩幅で歩いて行けると思ってた。
だけど、道は少しずつ分岐していく。枝分かれは始まっている。空に向かって伸びる枝を曲げることはできない。いや、曲げたくはない。埒の明かないこの感情はどうすればいいのだろうか。
でも今は、何も考えたくない。
カーテンを閉めて、布団をかぶって、目を閉じる。
雲間はやがて見えなくなって。ぽつぽつと、雨音が確かに鳴り響いた。
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