第二十九話 集いし希望
レオンとフィーネがアルカディアへと帰還した時、村は静かだが熱のこもった興奮に包まれていた。
彼らが持ち帰った『生命の泉』の祝福――太陽のように眩い光を放つアストラル・クォーツの容器は、見る者すべてに不可能を可能にするかもしれないという確かな希望を与えた。
容器は厳重にソフィアの研究室へと運び込まれ、医療チームと魔術チームによる最後の準備が始まった。
その一方で技術チームの奮闘もまた最終局面を迎えていた。
研究室の隣に急造された工房は昼夜を問わず稼働し続け、金属を打つ音と魔導エネルギーの唸りが途切れることなく響いている。
その中心にいたのは若きドワーフの工兵ギデオンだった。
彼の顔には数日間の徹夜による深い隈が刻まれ、その屈強な身体は油と煤で真っ黒だった。
しかしその瞳だけは狂気的とすら言えるほどの強烈な集中力の光を宿していた。
彼の目の前にはついにその全貌を現した『アストラル・ダイバー』があった。
それはソフィアが遺した設計図を元に、ギデオンが独自の解釈と技術を加えて完成させた苦心と執念の結晶だった。
兜の表面にはソフィアの理論に基づいた複雑な魔導回路が血管のようにびっしりと刻まれ、側面には増幅器として機能する磨き上げられたアストラル・クォーツがいくつもはめ込まれている。
それは洗練された工芸品というよりはありったけの部品を繋ぎ合わせた、無骨だが確かな目的意識を感じさせる一つの巨大な「意志」の塊のようだった。
「…間に合った…」
ギデオンは最後の一本のケーブルを接続し終えると、絞り出すような声で呟きその場に崩れるように座り込んだ。
彼の周りでは同じように限界まで作業を続けていた人間とシルヴァンの技術者たちが、安堵のため息と共に次々と床に倒れ込んでいく。
彼らは種族の違いも専門分野の違いも乗り越え、ただ一つの目的のためにその知識と技術の全てをこの装置に注ぎ込んだのだ。
全ての準備が整った。
ソフィアの研究室は今や神聖な儀式を行うための祭壇と化していた。
ベッドに眠るソフィアを中心に床にはフィーネが描いた、古代シルヴァン語による巨大で複雑な魔法陣が淡い光を放っている。
その魔法陣の各所にサラの医療チームが、ソフィアの生命活動を最低限維持するための医療装置を接続していた。
そして魔法陣の中心、ソフィアの頭上に『生命の泉』の祝福を宿したクォーツと、彼女の魂のバックアップであるもう一つのクォーツが静かに浮かんでいる。
レオンはその光景を固唾を飲んで見守っていた。
彼の心臓はこれまでの人生で感じたことのないほど激しく、そして大きく鼓動していた。
これから行われることは人類の、いやこの世界のどんな歴史書にも記されていない前人未到の領域への挑戦だ。
「レオン様、準備はよろしいですか」
フィーネが静かに問う。
彼女の声は震えてはいなかった。
術者としての強い覚悟が彼女の不安を乗り越えさせていた。
レオンは無言で、しかし力強く頷いた。
彼はギデオンが差し出す『アストラル・ダイバー』の兜をゆっくりと手に取った。
ずしりと重い。
それは装置の物理的な重さだけではない。
ボルン、エリアス、ライラ、そして名も知らぬまま散っていった多くの仲間たちの想い。
アルカディアの全ての人々の希望。
そのあまりにも重い想いがレオンの両腕にのしかかっていた。
彼はゆっくりとその兜を自らの頭に被った。
視界が暗転する。
耳元でギデオンとサラの声が聞こえた。
「…アストラル・ダイバー、起動します!」
「ソフィアさんのバイタル、かろうじて安定!」
「精神同調、開始! レオン殿、気を確かに!」
ブーンという低く、しかし脳に直接響くような起動音と共にレオンの意識は急速に現実世界から引き剥がされていった。
それは嵐の海に小舟で漕ぎ出すような心細さと恐怖を伴う感覚だった。
だが彼の心は不思議と穏やかだった。
彼の胸にはただ一つの確かな想いがあったからだ。
(待ってろ、ソフィア。今、俺が迎えに行く)
その想いだけを道標として、レオンの意識は深く、果てしない精神の海へと沈んでいった。
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