第二十八話:聖域の試練
レオンは森の中にいた。
アーク村を囲む、広大でどこまでも深い大森林。
しかし彼が今足を踏み入れている領域は、これまで知っていた森の様相とは全く異なっていた。
木々は一本一本が天を突くほどの巨木となり、その幹は長い年月を物語る深い緑色の苔に覆われている。
地面には色とりどりの見たこともない花々が咲き乱れ、空気は生命の匂いそのもので満たされていた。
一歩足を踏み入れるだけで身体中の細胞が歓喜の声を上げるような、圧倒的な生命力。
ここが『生命の泉』へと続く聖域であることを、レオンは肌で感じていた。
今回の任務に彼が連れてきた仲間はたった一人。
フィーネだけだった。
彼女はこの聖域の案内役であると同時に、泉の力を受け止めるための儀式の術者でもあった。
他の仲間たちはアルカディアでそれぞれの役目を果たしている。
この森の最奥での試練は、レオンとフィーネ二人の双肩に全てがかかっていた。
「…この先です、レオン様」
フィーネが前方を指し示す。
彼女の表情には緊張と、そして自らが生まれ育った森の最も神聖な場所に足を踏み入れることへの畏敬の念が浮かんでいた。
「長老様から聞いています。泉を守る守護者は三体。それぞれが泉を求める者に異なる『問い』を投げかける、と」
やがて二人の前に開けた場所に出た。
中央には巨大な岩がまるで祭壇のように鎮座している。
その岩の上に一体目の守護者はいた。
それは岩そのものが意志を持って動き出したかのような巨大な岩石のゴーレムだった。
しかしその身体からは敵意や殺気は一切感じられない。
ただ静かに、そして厳かに侵入者を見下ろしている。
『…何者だ、人の子よ。何故、この聖域を侵す』
ゴーレムの声は地響きそのものだった。
それは音として耳に聞こえるのではなく、直接脳内に、そして魂に響いてくる問いかけだった。
レオンは大剣を背負ったまま一歩前に出た。
彼は武器を構えようとはしなかった。
この守護者が力で屈服させられる相手ではないことを、本能で理解していたからだ。
「俺は、レオン。アルカディアの者だ。ここへ来たのは泉の力をお借りするため。命を救いたい仲間がいる」
『…命、か』
ゴーレムはゆっくりとその巨大な腕を上げた。
『我は、力の守護者。この聖域に力無き者が私欲のために立ち入ることを許しはしない。お前の力を示せ。お前がその仲間を救うに値する、強き意志を持っているのかを』
ゴーレ-ムはレオンに試練を課した。
それは単純な力比べだった。
ゴーレムがその巨大な腕をゆっくりと、しかし抗いがたい力で振り下ろしてくる。
それをただ受け止め、耐えきれというのだ。
レオンは覚悟を決めた。
彼は両足を大地に深く根を張るようにして踏みしめる。
そして迫り来る岩の腕を、自らの両腕で正面から受け止めにいった。
ゴッ、という鈍い音が響き渡る。
凄まじい衝撃。
レオンの全身の骨が軋む音を立てた。
足元の地面が彼の力に耐えきれず、蜘蛛の巣のようにひび割れていく。
だがレオンは耐えた。
彼の脳裏に浮かんでいたのはソフィアの顔だった。
王都の地下で自らを犠牲にして仲間たちを救った彼女の姿。
あの時俺は何もできなかった。
だが今度こそ。
今度こそ俺が、お前を支えてみせる。
彼のその純粋で強靭な意志が、彼の肉体を限界のさらに先へと押し上げた。
やがてゴーレムはゆっくりとその腕を上げた。
『…良かろう。お前の意志の強さ、確かに受け取った。通るがよい』
一体目の試練を乗り越えた。
だが休む間もなく二体目の守護者が姿を現した。
それは森の木々や蔦が寄り集まって形成された、巨大な人の形をした植物の化身だった。
『…我は、知恵の守護者』
その声は無数の葉が風に擦れ合うような、優しくしかしどこか物悲しい響きを持っていた。
『力だけでは命は救えぬ。お前の知恵を示せ。お前は救おうとしているその命の、本当の価値を理解しているのか』
守護者はレオンに一つの幻影を見せた。
それはソフィアの過去の記憶だった。
王宮の研究所で周囲の反対を押し切り、危険な魔導科学の研究に一人没頭する若き日の彼女の姿。
貴族たちから異端者と罵られ孤立していく彼女の苦悩。
そしてついに王国を追放され、絶望の中でこのアーク村へとたどり着いた日の彼女の孤独な瞳。
レオンは知らなかった。
彼女が常に自信に満ち溢れているように見えたその裏側で、これほどの孤独と苦悩を一人で抱え込んでいたとは。
『この者は、その知識故に世界から疎まれた。その知識は時に世界を傷つける危険な刃ともなる。それでもお前は、この者を救いたいと願うのか?』
レオンは迷わなかった。
「ああ、そうだ」
彼はきっぱりと言い切った。
「俺は、難しいことはわからねえ。あいつの知識が世界にとって正しいのか間違っているのかも俺には判断できねえ。だが俺は知っている。あいつがその知識を誰かを傷つけるために使ったことなど一度もなかったということを。あいつはいつだって俺たちアルカディアの仲間を守るためだけに、その力を使ってきた。それだけで十分だ。俺があいつを信じる理由としてはな」
レオンのまっすぐな曇りのない言葉に、植物の守護者は満足したようにゆっくりとその身体をほどいて道を開けた。
そしてついにレオンとフィーネは森の最奥、『生命の泉』へとたどり着いた。
泉は巨大な世界樹のその根元に、静かにそして神秘的に広がっていた。
水面はまるで液体状のオーロラのように七色に輝き、そこから立ち上る濃密な生命のオーラが周囲の空間を満たしている。
その泉の中央に最後の守護者はいた。
それは決まった形を持たない光そのものだった。
暖かく、そしてどこまでも慈愛に満ちた純粋な生命エネルギーの集合体。
『…よく、ここまで参りました、人の子よ』
その声は男でも女でも、老いても若くもなかった。
ただ魂に直接語りかけてくる根源的な響き。
『我は、心の守護者。最後の問いをあなたに投げかけましょう。あなたにとって、その者の命とは一体何ですか?』
レオンは静かに目を閉じた。
そして自らの心と向き合った。
ソフィアとは何だ?
仲間か。
リーダーか。
守るべき存在か。
どれも正しい。
だが違う。
もっとシンプルで、もっと根源的な言葉が彼の心の底から湧き上がってきた。
彼はゆっくりと目を開け、光の守護者をまっすぐに見据えた。
「…あいつは、俺の、世界の、半分だ」
その言葉に見栄も体裁もなかった。
ただ彼の偽らざる真実だった。
ソフィアのいない世界は彼にとって半分欠けているのと同じなのだと。
そのあまりにも純粋で絶対的な想いの力に、光の守護者は歓喜するかのようにその輝きを増した。
『…あなたの覚悟、その魂の形、確かに見届けました。さあ、受け取るがよい。我が森があなたに与える祝福を』
光は泉の水を一筋掬い上げると、フィーネが差し出した空のアストラル・クォーツの容器の中へと注ぎ込んだ。
容器はたちまち太陽のように眩い生命の光で満たされた。
試練は終わった。
レオンとフィーネはアルカディアを救うための、最初のそして最大の希望をその手に確かに掴み取ったのだ。
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