第二十七話:『魂の再鋳造』計画
アルカディアに静かだが確固たる変化が訪れていた。
悲しみは消えてはいない。
ボルンやエリアス、そして多くの仲間たちを失ったという事実は、人々の心に決して消えることのない深い傷跡を残していた。
村の広場に建てられた簡素だが心のこもった慰霊碑には、毎日誰かが花を供え静かに祈りを捧げている。
その光景はアルカディアの日常の一部となっていた。
しかしそこに漂う空気はもはやただの悲嘆や無力感ではなかった。
それは失われた者たちの意志を継ぎ、そして今なお戦い続けている指導者のために、自分たちが為すべきことを為すのだという静かでしかし鋼鉄のような決意だった。
その決意の中心地となっていたのがソフィアの研究室だった。
彼女が眠るベッドを中心にその場所は今や、アルカディアの最高頭脳と技術、そして想いが結集する一大プロジェクトの司令室へと変貌を遂げていた。
『魂の再鋳造』計画。
そのあまりにも壮大で前例のない試みに、アルカディアの誰もが持てる力の全てを注ぎ込んでいた。
「…やはり、最大の難関は一つ目の条件、『術者の魂を削るほどの、強大な生命エネルギー』の確保です」
ソフィアのベッドの傍らでフィーネが厳しい表情で言った。
彼女とサラを中心とする医療・魔術チームは、この数日間不眠不休でソフィアの魂の核をモニターし続けていた。
その光はフィーネの必死の延命措置によってかろうじて消えずに保たれているものの、その勢いは日に日に弱まっている。
残された時間は決して多くはない。
「通常の生命エネルギーでは全く足りません。例えるなら乾いた大地にスポイトで水を垂らすようなもの。砕け散った魂の器を再び練り上げるには、大河そのものを注ぎ込むような圧倒的なエネルギーが必要です」
会議に参加していた技術チームのリーダー、ドワーフの血を引く若き工兵のギデオンが腕を組んで唸った。
「アストラル・クォーツのエネルギーでは駄目か? あの戦いで得られたクォーツの中には、まだ相当なエネルギーを秘めたものがあるはずだ」
「試しました」
サラが静かに首を振る。
「クォーツのエネルギーはあくまで魔力…物理的なエネルギーです。魂という形而上的な存在に干渉するには、もっと根源的な『生命』そのものが持つ純粋な力でなければ…」
議論が行き詰まる。
その時、研究室の隅でエリアスが遺した古の文献を調べていたシルヴァンの長老代理が顔を上げた。
「…一つだけ、心当たりがあります。森のさらに奥深く…。我らシルヴァン族ですら長老の許可なく立ち入ることを禁じられている聖域。『生命の泉』と呼ばれる場所が」
その言葉に誰もが息を呑んだ。
それはこの森そのものの心臓とも言える場所であり、世界樹の根が地下深くの水脈と交わることで生まれるという伝説の泉。
その水は一滴で枯れた大木を蘇らせるほどの強大な生命力を秘めていると言われている。
「ですが、その泉は古の契約によって強力な守護者たちが守っています。彼らは力で屈服させられるような存在ではない。泉の水を求める者の『資格』を問う、森の意志そのものなのです」
「資格、か…」
レオンはその言葉を静かに繰り返した。
彼の瞳には暗い炎が揺らめいていた。
自責の念は消えていない。
だが彼はその感情にもはや溺れることを自らに禁じていた。
彼がすべきことは後悔ではない。
行動し結果を出すことだ。
「…その泉へは俺が行く。資格があるかどうかは、そいつらに直接聞いてみるさ」
レオンの決断に異を唱える者はいなかった。
彼こそがこの任務の唯一の適任者だと、誰もが理解していたからだ。
一方で二つ目の条件、『魂を繋ぎ止める楔』については一つの希望の光が見出されていた。
「これを見てください」
ギデオンが魔導モニターに一つの映像を映し出した。
それはソフィアが倒れた直後、彼女のベッドの脇にあったあのアストラル・クォーツが淡い光を放った瞬間の記録だった。
「レオン殿がソフィア様に語りかけたその瞬間に、このクォーツは明確な反応を示しました。我々が解析したところ、このクォーツはソフィア様の魔力だけでなく、彼女の『思考』や『感情』のパターンを微弱ながら記憶、同調しているようなのです」
それはソフィア自身がアストラル通信網を構築する過程で、偶然生み出してしまった副産物だった。
彼女はクォーツを単なるエネルギー源や通信媒体としてだけではなく、情報記録媒体としても研究を進めていたのだ。
「おそらくこのクォーツはソフィア様の魂の、いわば『バックアップ』のような役割を果たしている。これを楔として術の核に据えれば、砕け散った魂の欠片が戻るべき場所を見失わずに再集結できる可能性が飛躍的に高まります」
そして最後の、最も困難な条件。
『本人の生命への意志』。
こればかりは誰もが答えを見つけられずにいた。
意識のない人間にどうやって生きる意志を問うのか。
「…これも、ソフィアが遺してくれたものに賭けるしかない」
ギデオンはそう言うと、研究室の奥から巨大で複雑な機械を運び出してきた。
それは無数の魔導回路と水晶のレンズが組み合わされた、兜のような形状の装置だった。
「『アストラル・ダイバー』。ソフィア様が理論段階で設計していた精神感応装置です。アストラル・クォーツを増幅器として、術者の精神を対象の深層意識へと送り込む…という、あまりにも荒唐無稽な代物ですが…」
彼はソフィアが遺した膨大な量の設計図と理論ノートを指し示した。
「これを我々技術チームの総力を挙げて完成させます。そしてレオン殿にこの装置を使ってソフィア様の精神世界へ『潜って』もらう。直接彼女の魂に語りかけ、連れ戻すのです」
その作戦はあまりにも危険な賭けだった。
失敗すればレオンの精神もまたソフィアの崩壊した精神世界に取り込まれ、二度と戻ってはこれないだろう。
だがレオンは迷わなかった。
「…ああ、やろう。俺が行く。あいつを一人で暗闇の中に置いてはおけない」
こうして『魂の再鋳造』計画の具体的な道筋が立った。
レオンは『生命の泉』を目指し、フィーネは術の儀式の準備を、そしてギデオンたちは『アストラル・ダイバー』の開発を。
それぞれがそれぞれの持ち場で、己の限界を超える戦いに身を投じることになった。
その頃、アルカディアが内なる戦いに集中している間にも、世界の情勢は刻一刻と悪化の一途を辿っていた。
王都で起こった大地震は公式には『天変地異』として発表された。
しかしその裏で宰相オルダスは巧みに情報を操作し、混乱を自らの権力基盤を固めるために利用していた。
彼は地震の混乱に乗じて自らにとって邪魔な良識派の貴族たちを次々と『粛清』し、王国の実権を完全に掌握しつつあった。
そして彼の口から語られる『復興』の言葉は民衆に熱狂的な支持をもって受け入れられていた。
誰もその復興が偽りの神を降臨させるための最終準備であることなど、知る由もなかった。
世界はゆっくりと、しかし確実にオルダスの描く終末のシナリオへと歩みを進めていた。
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