第二十話:王都の地下水脈

シルヴァン族が築いた古代の道は王都の地下で、忘れられた下水道と接続されていた。

空気が一変する。

それまでの清浄でどこか神聖さすら感じさせた雰囲気は消え失せ、代わりに鼻をつくのは黴と汚泥、そして澱んだ水の臭い。

壁には緑色の苔がびっしりと張り付き、天井からは絶え間なく汚水が滴り落ちていた。

時折、頭上から地上の喧騒がくぐもった音として響いてくる。

建国祭に向けて浮かれる人々の声や馬車の車輪が石畳を駆ける音が、自分たちの置かれた状況との残酷なまでの対比を際立たせていた。


「これより先は、本当の敵地だ。各自、気配を完全に消せ。これ以降、私の合図があるまで一切の言葉を発するな」

レオンが潜入部隊のリーダーとして、低いが鋭い声で最後の指示を出す。

一行は頷き、シルヴァンの斥候ライラを先頭に闇の中へと溶け込むように進み始めた。

ライラの感覚は獣のように鋭敏だった。

彼女は空気の微かな流れ、壁を伝わる振動、そして魔力の残滓から敵の存在を正確に読み取ることができる。


一時間ほど進んだ頃だろうか。

ライラがすっと手を挙げて一行を制止した。

曲がり角の向こうから複数の足音と話し声が聞こえてくる。

それは王城の衛兵のものではなかった。

規律の中にもどこか狂信的な熱を帯びた、独特の雰囲気。


「……祭りの日には、我らが神の御名において、この腐敗した都は浄化されるのだ」

「ああ、待ち遠しい。オルダス様は、我らこそが新世界の礎となると約束してくださった」


『闇鴉』。

宰相直属の教団の兵士たちだ。

彼らがなぜこのような地下水脈の警備までしているのか。

それはこの場所が彼らの計画にとっていかに重要であるかを物語っていた。

ライラは指で合図を送る。

――敵は四名。

巡回経路。

死角。

一行は息を殺してその合図の意味を読み取り、一瞬で連携の陣を組んだ。


レオンの合図で影が動いた。

ライラともう一人のシルヴァンの戦士が、音もなく両側から飛び出し後方の二人の口を瞬時に塞ぎ、首の骨を砕く。

前方の二人が異変に気づいて振り返るよりも早く、レオンとボルンがその前に立ちはだかり一撃の下に意識を刈り取った。

あまりに迅速で完璧な無音の制圧だった。

ソフィアは敵兵の懐から一枚の羊皮紙を抜き取った。

それはこの地下区画の警備配置図だった。


「…やはり。この下水道は王城の地下にある『儀式の間』へ繋がる、複数の搬入路の一つとして使われているようです。しかも、警備は厳重。配置図を見る限り、この先には魔力で駆動する警備ゴーレムも配置されています」

ソフィアは即座に図面を記憶し、最短かつ最も警備の薄いルートを割り出した。

彼女の頭脳がこの絶望的な潜入作戦における唯一の羅針盤だった。


彼女が示したルートを進むと、やがて一行は巨大な空間に出た。

古い貯水槽として使われていた場所のようだが、今はその様相を完全に変えられていた。

壁にはおびただしい数の魔導回路が血管のように張り巡らされ、中央にはソフィアですら見たことのない巨大で複雑な増幅装置が設置されている。

それは都市全体の生命エネルギーや特定の人物の魔力を吸い上げ、一か所に集約するための邪悪な集積回路だった。


「…なんという…! これほどの規模の魔導科学を、これほどの短期間に…! 宰相の背後にいるのはただの狂信者の集団ではない。私と同等、あるいはそれ以上の知識を持つ魔導科学者がいる…!」

ソフィアはその光景に戦慄を覚えた。

これはヴァルミントンが語ったよりも、遥かに計画的で技術的に高度な陰謀だった。


そしてその空間の奥、厳重に閉ざされた巨大な扉の向こうから、ひときわ強い邪悪な魔力の脈動が感じられた。

『原初の揺り籠』。

目的地はあの扉の先だ。

だが扉の前には黒光りする二体の戦闘ゴーレムが、赤い単眼を光らせて仁王立ちしていた。


「あれを突破するのは、骨が折れるな…」

レオンが唸る。

ソフィアは周囲の壁に張り巡らされた魔導回路に目を走らせていた。

そしてある一点を見つめると、かすかに口元を綻ばせた。

「…いいえ、レオンさん。まともに戦う必要はありません。彼らのエネルギーはあの壁の回路から供給されています。あそこのメインケーブルさえ断てば、ゴーレムはただの鉄屑になるはずです」


作戦はすぐに決まった。

レオンとボルンが陽動としてゴーレムの注意を引きつけ、その隙にライラが壁を駆け上がりソフィアが示したケーブルを断ち切る。

一瞬の連携と信頼が全てを分ける危険な賭けだった。


陽動が始まった。

レオンたちの猛攻にゴーレムは機械的な動作で応戦する。

その隙を突きライラが矢のように壁を駆け上がった。

しかしケーブルに到達する寸前、ゴーレムの一体が陽動を振り切りライラに向けて腕部の魔導砲を発射した。

絶体絶命。

誰もがそう思った瞬間、ソフィアが詠唱していた防御魔術が間一髪でライラの前に障壁を展開した。

爆発の衝撃で障壁は砕け散るが、ライラは体勢を立て直し短剣を振り下ろしてケーブルを両断した。


途端にあれほど威圧的だった二体のゴーレムは、全ての光を失って動きを止め不格好な鉄の塊と化した。

作戦は成功した。

だが代償は小さくなかった。

ソフィアは魔力を消耗し、ライラも衝撃で肩を負傷していた。


息を整える間もなく一行は重い扉をこじ開け、ついに『儀式の間』へと続く最後の通路へと足を踏み入れた。

そして通路の先にあるわずかな隙間から中の様子を覗き込み、全員が息を呑んだ。


広大な地下聖堂。

その中央に目的の『原初の揺り籠』があった。

それは巨大な黒水晶の塊のようでもあり、あるいは脈動する巨大な心臓のようでもあった。

おびただしい数の鎖と魔導装置によって宙に吊り下げられ、禍々しい紫色の光を放っている。

そしてその祭壇の前には宰相オルダスと、黒衣の幹部たちがいた。


だが一行の目を釘付けにしたのは別の光景だった。

祭壇に一人の少女が囚われていた。

聖女リリアンヌだ。

しかしその様子は彼らが想像していたものとは全く違っていた。

彼女は恐怖に怯える犠牲者ではなかった。

その瞳は恍惚と輝き、その表情は歓喜に満ちていた。

彼女は自らの意志でその身を『揺り籠』に捧げようとしていたのだ。


「ああ、オルダス様! もうすぐですわ! もうすぐ、この穢れた世界は浄化され、我らの神が降臨なさるのですね!」

「その通りだ、我が聖女よ。君の純粋な祈りと、その聖なる魂こそが新世界の扉を開く最後の鍵なのだ」

宰相はリリアンヌの頭を優しく撫でながら、恍惚とした表情で応えた。


ソフィアの背筋を冷たい汗が伝った。

計画が根底から覆る。

彼らは操られた哀れな犠牲者を『救出』しに来たのではなかった。

世界の破滅を心から望む狂信的な少女を『阻止』しなければならないのだ。

そしてその少女こそが計画の核心。

彼女を傷つければ『揺り籠』が暴走するかもしれない。

しかし放置すれば世界が終わる。


絶望的な二者択一。

潜入作戦は成功したかに見えて、その実、最悪の形で本当の始まりを告げようとしていた。

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