第十九話:忘れられた道

アルカディア連合の拠点、アーク村のはずれ。

夜の帳が完全に下りきった森の奥深く、作戦に参加する者だけが集められていた。

月光すら届かぬ深い木立の中、ソフィア、レオン、エリアスを筆頭に選び抜かれた十数名の精鋭たちが静かに出発の時を待っていた。

彼らの顔に浮かぶのは決死の覚悟と仲間への信頼。

そして世界の命運をその双肩に担うという重い責任感だった。

見送りに来た者たちとの言葉少なな、しかし心のこもった別れが交わされる。

それは家族を戦場に送り出すかのような痛切な光景だった。


「ソフィア、必ず、無事で帰ってこい」

レオンの妹であり、アルカディアの医療を支える若きリーダーの一人であるサラがソフィアの手を固く握る。

その瞳には涙が滲んでいた。

「ええ、約束します。サラさんも、皆のことをお願いします」

ソフィアは力強く頷き返すが、その声には微かな震えが混じる。

彼女が背負うものの重さを、ここにいる誰もが理解していた。


「では、参るか」

静寂を破ったのはエリアスの穏やかで、しかし芯の通った声だった。

彼は一行を導き森のさらに奥深く、古代の蔦に覆われた巨大な岩壁の前で足を止めた。

一見、何の変哲もないただの崖。

しかしエリアスが古のシルヴァン語で何事かを唱えながらその掌を岩肌に触れさせると、世界が揺らぐかのような錯覚と共に岩壁の一部が陽炎のように歪み、黒々とした口を開けた。

それはシルヴァン族の高度な幻術によって数千年もの間、人の目から隠され続けてきた『隠された道』の入り口だった。


「道は、我らシルヴァンにしか開けぬ。そして、我らが通った後、再び固く閉ざされる。追手が来る心配はない」

エリアスの言葉に一行は頷き、次々と闇の中へと足を踏み入れていった。

ソフィアが最後に振り返った時、入り口はすでに閉じ始めており仲間たちの案じるような眼差しが急速に闇に飲まれていった。

そして完全な静寂と暗黒が彼らを支配した。


ソフィアが開発した携帯型の魔導ランタンが周囲を青白い光で照らし出す。

目の前に広がっていたのは人の手によって掘られたとは思えぬほどに広大で、そして美しい地下通路だった。

壁面には夜光石が星々のように埋め込まれ、天井は巨大な聖堂のように高く空気が淀むことなく流れている。

壁には古代のシルヴァン族と人間たちが手を取り合ってこの道を築き、共に生き笑い合っていた時代の様子が精緻なレリーフとして刻まれていた。

それはソフィアが目指す理想の世界が、かつては確かに存在していたことの証だった。


「この道は、ただの通路ではない。我らの祖先と、古の人々との、友好と信頼の証そのものなのじゃ」

エリアスは壁のレリーフを慈しむように撫でながら語った。

しかしその表情はどこか物悲しい。

「だが、人の寿命は我らより遥かに短く、そして忘れっぽい。いつしかこの道の存在は忘れ去られ、我らもまた森の奥へと引きこもるようになった…」


一行はエリアスを先頭に慎重に道を進んでいく。

道は単調ではなかった。

ある場所では地下水脈によって通路が水没しており、ドワーフの工兵部隊長である老練なボルンが携帯式の架橋装置を瞬時に展開して道を確保した。

またある場所では巨大な落石が道を塞いでおり、レオンがその剛腕で道をこじ開けなければならなかった。


道程の半ばを過ぎた頃、一行は広大な空洞に出た。

中央には澄み切った地下湖が広がり、天井からは鍾乳石が教会のパイプオルガンのように無数に垂れ下がっている。

だがその神秘的な光景とは裏腹に、エリアスは険しい表情で立ち止まった。

「……気をつけよ。この先は、道を守るための『試練』が待ち構えておる」


エリアスの警告と同時に地下湖の水面が激しく波立ち、中から巨大な影が姿を現した。

それは石と水によって形成された古代のガーディアンだった。

定められた手順を踏まずに侵入する者を無慈悲に排除するための、自律型の番人。

ガーディアンは感情のない水晶の目で一行を捉えると、地響きのような咆哮を上げた。


「戦闘は避けたい! このガーディアンは、おそらく古代の純粋な魔力で動いている。汚染された魔力…つまり、教団の使うような邪悪な力に反応するはず!」

ソフィアは即座に状況を分析し叫んだ。

「私がガーディアンの注意を引きます! その隙に、エリアス様は、この広間に隠された制御装置を!」


ソフィアは自身の魔力を最大限に解放した。

清浄で強大なその魔力に、ガーディアンの水晶の目が即座に反応する。

巨大な腕が振り下ろされ、ソフィアは紙一重でそれを回避した。

レオンとボルンが左右から牽制し、シルヴァンの斥候であるライラが俊敏な動きで注意を逸らす中、エリアスは目を閉じ意識を集中させていた。

彼はこの空間に満ちる微細な魔力の流れを読み、古代のシルヴァンだけが感じ取れる制御装置の隠し場所を探っていたのだ。


数度の攻防の後、エリアスが目を見開いた。

「見つけたぞ!」

彼が指し示したのは何もないように見える壁の一点。

そこへ彼が再び古の言葉を唱えると、壁面から光る石板がせり出してきた。

エリアスが複雑な紋様を正しい順序でなぞると、あれほど猛威をふるっていたガーディアンの動きがぴたりと止まった。

そしてその巨体は再び水の中へと沈んでいき、地下湖には何事もなかったかのような静けさが戻った。


安堵のため息が漏れる。

しかし休む間もなかった。

「…来る。近いぞ…」

エリアスが苦悶の表情で呟いた。

「王都が近い。そして、大地そのものが苦痛に呻いておる。『揺り籠』の邪悪な鼓動が、すぐそこまで…」

彼の言葉を裏付けるかのように、それまで清浄だった通路の空気が重く粘つくように感じられ始めた。

気の弱い者ならばそれだけで正気を失いかねないほどの濃密なプレッシャー。

彼らはついに敵地の中心、その胎内へと到達しようとしていた。

通路の先にこれまでとは明らかに異質な人工的な石組みのトンネルが見えてきた。

王都の地下水脈、その最下層部だ。

目的地はもう目前だった。

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