第十二話 アルカディア攻防戦、絶望の先の光
夜の闇を切り裂き、アルカディア連合の命運を懸けた防衛線の鐘が、けたたましく鳴り響いていた。森の木々を揺らし、大地を震わせながら、無数の赤い複眼が津波のように押し寄せてくる。その光景は、いかなる魔獣の襲来とも比較にならない、理性の通用しない悪夢そのものだった。
「第一防衛ライン、準備完了!」
レオンの声が、緊張に満ちた前線に響く。彼の指揮のもと、アーク村の猟師たちとシルヴァンの戦士たちが、ソフィアが設計した塹壕とバリケードの向こう側で、固唾をのんでカイティンの大群を待ち構えていた。
「超音波発生装置、起動!」
ソフィアの指示が、簡易的な伝声管を通じて各所に伝わる。彼女とテオ、そして数名のシルヴァンが操作する制御盤から、人間には聞こえない高周波の音が、指向性をもってカイティンの群れへと放たれた。
キィィィィン…!
カイティンたちの動きが、目に見えて鈍った。彼らの硬い甲殻が、共振によって軋むような音を立て、その防御力は著しく低下しているはずだ。
「今だ! 火矢を放て!」
エリアスの号令一下、シルヴァンたちが持つ長弓から、油を染み込ませた火矢が雨のように放たれた。火矢は、防御力の低下したカイティンの甲殻を貫き、あるいはその関節部に突き刺さり、次々と敵を炎に包んでいく。前線の猟師たちも、改良された投槍やクロスボウで、的確にカイティンの弱点を狙い撃つ。
第一波の攻撃は、見事に成功した。ソフィアの魔導科学と、シルヴァンたちの戦闘技術、そして村人たちの勇気が融合した、アルカディア連合の力が、確かにカイティンの大群を押しとどめていた。
「やったぞ!」「俺たちの勝ちだ!」
前線から、歓喜の声が上がる。だが、ソフィアの表情は、依然として険しいままだった。
「まだです! 油断しないでください! 敵の第二波が来ます!」
ソフィアの予測通り、カイティンの大群は、怯むことなく第二、第三の波となって押し寄せてきた。そして、彼らの戦術は、明らかに変化していた。超音波発生装置の死角を突くように、あるいは、味方の死骸を盾にしながら前進してくるなど、その知性の高さは、ソフィアの予測すら上回っていた。
戦いは、次第に熾烈な白兵戦へと移行していく。バリケードが突破され、カイティンの鋭い爪が、村人たちのすぐそばまで迫る。レオンは、高周波ブレードを手に、獅子奮迅の働きで仲間たちを守り、エリアスは、風の魔法で敵を切り裂きながら、的確な指示を飛ばす。
ソフィアは、後方の指揮所から戦況の全てを把握し、次々と新たな指示を出していた。
「第二防衛ライン、アストラル・ジャマー起動! 敵の足止めを!」「負傷者はすぐに後方へ! 薬草班、準備はいいですか!」
彼女の頭脳は、この混沌とした戦場という名の巨大な数式を、驚異的な速度で解き続けていた。しかし、敵の物量は、あまりにも圧倒的だった。じりじりと防衛線は後退し、村人たちの間にも、疲労と絶望の色が見え始めていた。
(このままでは、いずれ押し切られる…! 何か、流れを変える一手が…!)
ソフィアが焦りを募らせていた、その時だった。
カイティンの群れが、突如としてモーゼの海割りように左右に分かれた。そして、その中央から、ひときわ巨大な、異形のカイティンがゆっくりと姿を現した。
その個体は、通常のカイティンの倍近い体躯を持ち、その黒い甲殻は、禍々しい紫色の紋様で覆われている。背中からは、巨大な鎌のような腕が四本も生え、頭部には、王冠を思わせる複雑な形状の角が鎮座していた。あれこそが、この大群を統べる「指揮官個体」――ソフィアが「カイティン・ロード」と名付けた存在だった。
カイティン・ロードが、一声、咆哮した。それは、ただの威嚇ではない。アストラルフォースを乗せた、強力な精神攻撃だった。その咆哮を聞いた多くの村人たちが、頭を押さえて膝から崩れ落ちる。
「くっ…! なんて力だ…!」
エリアスですら、その影響を完全には防ぎきれず、顔を歪めた。
そして、カイティン・ロードは、その巨大な鎌の一つを、アーク村で最も堅牢なはずだった防衛塔へと振り下ろした。轟音と共に、石と木で築かれた塔が、まるで紙細工のように粉砕される。
絶望が、戦場を支配した。あの化け物を前に、もはやどんな抵抗も無意味に思えた。
だが、ソフィアだけは、諦めていなかった。彼女の瞳は、カイティン・ロードの胸部で、ひときわ強く明滅する紫色の光――巨大なアストラルコア――を、ただ一点、見据えていた。
(あれを破壊できれば…! この戦いは終わるかもしれない!)
だが、どうやって? カイティン・ロードの周りは、精鋭と思しきカイティンたちに固く守られている。並大抵の攻撃では、届く前に叩き落されるだろう。
ソフィアの脳裏に、一つの無謀な作戦が浮かんだ。それは、成功率が限りなくゼロに近い、まさに死地に飛び込むような計画だった。
「レオンさん、エリアス様、私のところへ!」
ソフィアは、伝声管で二人のリーダーを呼び寄せた。そして、息つく間もなく、自身の考えを伝える。
「…正気か、ソフィアさん!?」
レオンが、驚愕の声を上げた。ソフィアの作戦とは、エリアスの風の魔法でレオンとソフィア自身を敵陣の真上まで運び、上空から、ソフィアが持つ最後の切り札――ヴァルミントン公爵の馬車から回収した、不安定なアストラルコアの原石を暴走させた「アストラルコア・ボム」――を、カイティン・ロードの胸部に直接叩き込む、というものだった。
「成功したとしても、あんた自身もただじゃ済まねえぞ!」
「分かっています。ですが、これしかありません」ソフィアは、静かに、しかし力強く言った。「このアルカディア連合の未来のためなら、私は、この命を懸ける覚悟です」
その瞳には、かつての「汚れ役」としての冷徹さと、仲間たちを守りたいという熱い想いが、奇妙な同居を果たしていた。
エリアスは、しばらく黙ってソフィアの顔を見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「…分かった、『異界の知恵持つ娘』よ。汝の覚悟、確かに受け取った。森の未来も、汝と共に在る」
三人の間に、言葉はもう必要なかった。彼らは、それぞれの覚悟を目と目で交わし合う。
エリアスが、両手を天に掲げ、呪文を唱え始めた。彼の周りに、巨大な風の渦が巻き起こる。レオンは、ソフィアを背負い、その屈強な両足で大地を強く踏みしめた。
「行くぞ、ソフィアさん! しっかり掴まってろ!」
風の力が頂点に達した瞬間、エリアスは二人を空へと解き放った。ソフィアとレオンの体は、まるで砲弾のように、夜空を切り裂いてカイティン・ロードの頭上へと舞い上がる。
眼下には、絶望的な数の敵。そして、正面には、世界の終わりを告げるかのような、異形の王。
ソフィアは、震える手でアストラルコア・ボムの起動スイッチを握りしめた。これが、彼女の、そしてアルカディア連合の、未来を懸けた最後の一撃となる。
果たして、その一撃は、絶望の闇を切り裂く一筋の光となるのだろうか。それとも――
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