第十一話悪夢の解剖学、そして迫る影
カイティンの群れが謎のプレッシャーに怯えて撤退した後、ソフィアたちは辛くも窮地を脱した。しかし、誰の心にも勝利の喜びはなく、むしろ、より巨大な脅威の存在を肌で感じたことによる、言いようのない恐怖と戦慄だけが残っていた。
調査隊は、負傷者を抱えながらも、一体だけ仕留めることに成功したカイティンの亡骸を確保し、急いでアーク村へと帰還した。村では、テオをはじめとする留守番組が、不安な面持ちで彼らの帰りを待っていた。
「ソフィアさん! レオン兄ちゃん! 無事だったんだね!」
テオが駆け寄ってくるが、調査隊の疲弊しきった様子と、負傷者の姿を見て、その顔はすぐに曇った。
ソフィアは、休む間もなく、確保したカイティンの亡骸を自身の研究室へと運び込んだ。すぐにでも、この未知の生物の秘密を解き明かさなければならない。それが、アルカディア連合の未来を左右すると、彼女の本能が告げていた。
研究室の扉が固く閉ざされ、ソフィアの「悪夢の解剖」が始まった。レオンは心配そうに扉の前で見守り、エリアスは、シルヴァンの仲間たちと共に、森の警戒レベルを最大限に引き上げていた。
解剖台の上に横たえられたカイティンの亡骸は、見れば見るほど異様だった。黒光りするキチンの甲殻は、金属に匹敵する強度を持ち、その内側には、筋肉組織と共に、アストラルフォースを効率よく伝達するための、まるで人工の神経回路のようなものが張り巡らされている。
「…これは、生物と魔道具の中間のような存在…? 自然発生したとは到底考えられない…」
ソフィアは、メスを握る手に力を込めた。胸部を切り開くと、そこには心臓や肺といった、通常の生物が持つべき内臓が、極端に退化した形で見られた。そして、その代わりに、中央に鎮座していたのは、紫色の光を明滅させる、小さなアストラルコアだった。
「全ての個体が、アストラルコアを動力源にしているというの…? なんて非効率で、そして冒涜的な設計思想…」
アストラルコアは、本来、莫大なエネルギーを内包するがゆえに、非常に不安定な物質だ。それを、これほど多くの個体の動力源として利用するなど、常軌を逸している。まるで、アストラルコアを無限に供給できる存在がいるとでも言うような…。
さらに分析を進めるうちに、ソフィアは決定的な発見をした。アストラルコアの周辺にある神経組織の一部に、極小の金属片が埋め込まれていたのだ。それは、闇鴉の持っていた通信装置に使われていた黒い水晶と、同じ材質、同じ構造パターンを持っていた。
(繋がった…!)
ソフィアの脳裏で、バラバラだったピースが一つの恐ろしい仮説を形作った。
カイティンは、何者かによって人工的に生み出された生物兵器だ。そして、その行動は、闇鴉たちが使っていたものと同系統の通信技術によって、遠隔から制御されている。ヴァルミントン公爵の背後にいた組織と、このカイティンを生み出した組織は、同一か、あるいは極めて近い関係にある。
そして、彼らが言っていた「目標の覚醒」。森の奥から感じた、あの巨大なプレッシャー。おそらく、それは、このカイティンの群れを統べる「女王」か、あるいは「制御塔」のような存在なのだろう。
ソフィアは、震える手で解剖記録をまとめ、研究室の扉を開けた。待っていたレオンとエリアスに、彼女は自身の立てた仮説を、冷静に、しかし切迫した口調で語り聞かせた。
「つまり、なんだ…? この化け物どもは、誰かが作り出して、操ってるってことか?」
レオンは、信じられないといった表情で聞き返した。エリアスは、ソフィアの話を黙って聞いていたが、その顔色は蒼白だった。
「ソフィア、汝の言うことが真実ならば、事態は我々が想像していたよりも遥かに深刻だ。森の伝承にある『大変動期』とは、単なる自然現象ではないのかもしれない。それは、このような、世界の理を歪める者たちの暗躍によって引き起こされる、人為的な災厄なのではないか…」
三人の間に、再び重い沈黙が流れた。だが、それは絶望の沈黙ではなかった。倒すべき敵の姿が、ようやく明確になったのだ。
「対策を立てます」ソフィアは、きっぱりと言い切った。「カイティンの弱点は判明しました。この硬い甲殻は、特定の周波数の超音波に対して、共振を起こして脆くなる性質があります。そして、動力源であるアストラルコアは、強力な電磁パルスを浴びせることで、一時的に機能を停止させることが可能です」
ソフィアの頭の中では、すでに具体的な対抗兵器の設計図が組み上がりつつあった。村の防衛線を強化し、指向性の超音波発生装置と、電磁パルスを放つ「アストラル・ジャマー」を設置する。そして、兵士たちの武器には、カイティンの甲殻を効率よく破壊するための高周波ブレードを配備する。
「だが、ソフィアさん、そんなもんを作る時間も、資材も、俺たちには…」
レオンが言いかけた言葉を、エリアスが遮った。
「資材ならば、森が与えてくれる。我らシルヴァンの隠れ里には、汝の言う『超音波』や『電磁パルス』とやらに似た性質を持つ鉱石や植物が、古くから眠っている。それらを提供しよう。時間がないのは、確かだがな」
エリアスの言葉は、アルカディア連合にとって、まさに天の助けだった。人間とシルヴァン、科学と自然の知恵が融合すれば、この未曾有の危機にも対抗できるかもしれない。
その日から、アーク村は巨大な工房と化した。ソフィアの指揮のもと、村人たちとシルヴァンたちが一丸となって、対カイティン用の防衛兵器の開発と生産に乗り出した。誰もが寝る間も惜しんで働き続けた。それは、自分たちの未来を、その手で掴み取るための戦いだった。
しかし、運命は、彼らに十分な時間を与えてはくれなかった。
防衛準備がまだ半分も終わっていない、数日後の夜。
森の警戒に当たっていたシルヴァンの斥候が、息も絶え絶えに村へと駆け込んできた。その顔には、これまで誰も見たことのない、純粋な恐怖が張り付いていた。
「…来た…! 来るぞ…!」
斥候は、それだけを言うと、意識を失った。
彼の言葉の意味を、誰もが理解した。村の外れにある見張り台から、警告の鐘が狂ったように打ち鳴らされる。
ソフィアは、レオン、エリアスと共に、急いで村の防衛線の最前線へと向かった。そして、彼らが見たものは、信じがたい光景だった。
森の闇の中から、無数の赤い光が、まるで煌めく川のように、村へと向かって押し寄せてくる。その数は、先日遭遇した群れとは比較にならない。数百、いや、数千はいるだろうか。地を埋め尽くすカイティンの大群が、地響きを立てながら、アルカディア連合へと迫っていた。
絶望的な光景を前に、ソフィアは唇を噛み締めた。だが、その瞳には、恐怖を乗り越えた、鋼のような意志の光が宿っていた。
「皆さん、聞いてください!」ソフィアは、声を張り上げた。「私たちは、この日のために準備をしてきました。私たちの知恵と、勇気と、そして絆の全てを、今こそ示す時です! アルカディア連合の、最初の戦いを始めましょう!」
ソフィアの言葉に呼応するように、村人たちとシルヴァンたちも、雄叫びを上げた。辺境の地に灯った小さな希望の火は、今、悪夢のような大群を前に、その真価を問われようとしていた。
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