第九話 辺境の盟約、新たな種火
ヴァルミントン公爵との戦い、そして謎の通信装置の発見は、ソフィアとアーク村の未来に大きな転機をもたらした。もはや、この森で静かに暮らし、魔導科学の研究に没頭するなどという甘い考えは許されない。アウリオン王国の内部には、公爵のような思想を持つ勢力が確実に存在し、彼らはアーク村の存在、とりわけソフィアの知識と技術を脅威と見なしている。いつ、第二、第三の刺客が送り込まれてきてもおかしくない状況だった。
「私たちは、変わらなければなりません」
ソフィアは、アーク村の村人たちと、エリアスをはじめとするシルヴァンの代表者たちを集めた評議会の席で、力強く宣言した。その瞳には、かつてないほどの決意が宿っていた。
「これまでのように、ただ村を守るだけでは足りません。積極的に情報を集め、技術力を高め、そして何よりも、私たち自身の共同体をより強く、強固なものにする必要があります」
ソフィアの言葉に、村人たちは真剣な表情で頷いた。レオンは、ソフィアの隣で、その決意を支えるように力強く拳を握りしめている。
一方、シルヴァンたちは、少し複雑な表情を浮かべていた。エリアスは、静かに口を開いた。
「ソフィア、汝の言うことは理解できる。だが、我らシルヴァンは、古くから人間たちの争いごとには関与せず、森と共に生きてきた。汝らのように組織を拡大し、力を持つことは、新たな争いの火種を生むことにはならないか?」
エリアスの懸念は、もっともだった。人間たちの歴史は、欲望と争いの繰り返しだ。力は、しばしばその持ち主を傲慢にし、他者を支配する道具として使われてきた。
「エリアス様のおっしゃる通りです。だからこそ、私たちが目指すのは、アウリオン王国のような、力による支配の共同体ではありません」
ソフィアは、一枚の大きな羊皮紙を広げた。そこには、彼女が思い描く、新しい共同体の構想図が描かれていた。
「私が提案するのは、『アルカディア連合』の創設です。それは、私たち人間と、シルヴァンの皆さん、そしてこの辺境に住まう全ての者たちが、互いの文化や知識を尊重し、対等な立場で協力し合う共同体。科学と自然、技術と伝統が共存し、新たな価値を生み出す場所です」
ソフィアは、自身の「魔導科学」と、シルヴァンたちが持つ森の知識やアストラルフォースに関する伝承を組み合わせることで、どのような可能性があるかを具体的に説明した。例えば、シルヴァンたちの知恵を借りて、より自然環境に優しいエネルギー源を開発すること。ソフィアの科学的分析能力で、森の病気の原因を特定し、治療法を見つけ出すこと。互いの得意分野を活かせば、食糧生産も、生活の質も、そして何よりも、この共同体を守る力も、飛躍的に向上させることができるはずだった。
「私たちは、力で支配するのではなく、知恵と協力で未来を切り拓くのです。それが、アルカディア連合の基本理念です」
ソフィアの情熱的な演説に、最初は懐疑的だったシルヴァンたちの間にも、少しずつ変化が見え始めた。特に若いシルヴァンたちは、ソフィアの語る新しい世界の可能性に、興味と期待の光を目に宿していた。
その議論を決定的なものにしたのは、ソフィアが披露した、新たな発明品だった。それは、「土壌分析器」と名付けられた装置で、土に含まれる栄養素の過不足を、色と数値で表示することができる画期的なものだった。
「この装置を使えば、森のどの土地が疲弊しているか、どのような栄養素を補えば再生できるかが、一目で分かります。闇雲に開拓するのではなく、森の再生を助けながら、持続可能な農業を行うことができるのです」
ソフィアが、実際に痩せた土地の土を分析し、それに適した天然の肥料の配合を提案してみせると、シルヴァンたちの驚きは最高潮に達した。彼らにとって、森の健康は最も重要な関心事の一つだ。ソフィアの技術は、彼らの悲願を叶える可能性を秘めていた。
「…分かった、ソフィア」エリアスは、長い沈黙の後、ついに決断した。「汝の言葉を信じよう。我らシルヴァンも、アルカディア連合の創設に協力する。これは、我らにとっても、そして森にとっても、大きな賭けだ」
その言葉を皮切りに、人間とシルヴァンとの間に、歴史的な盟約――辺境の盟約が結ばれることとなった。それは、種族の壁を越えた、全く新しい共同体の誕生を告げる、希望に満ちた瞬間だった。
祝賀の雰囲気の中、評議会が幕を閉じようとしていた、その時だった。
村の見張り台から、一人の若い猟師が血相を変えて転がり込んできた。
「大変だ! 森の西側で、何かの集落が…燃えている!」
その報告に、広場は一瞬にして静まり返った。森の西側には、アーク村以外にも、いくつかの小さな人間の集落が点在しているはずだった。
「何があったんだ! 詳しく話せ!」
レオンが、若い猟師の肩を掴んで叫んだ。猟師は、恐怖に震えながらも、必死に言葉を紡ぐ。
「わ、分からない…! ただ、黒い煙が上がっていて…それと、生き残ったらしい人が一人、こっちに向かって…でも、様子がおかしいんだ! 何かに酷く怯えてて…」
ソフィアとエリアスは、顔を見合わせた。嫌な予感が、胸を締め付ける。
すぐに、レオンと数人のシルヴァンが、生き残りだという人物を保護するために森へと向かった。しばらくして、彼らは一人のボロボロの服を着た男を抱えて戻ってきた。男は、腕や足に酷い傷を負い、その瞳は恐怖で完全に虚ろだった。
「…魔獣…いや、あんなものは、魔獣じゃない…」
男は、ソフィアの治療を受けながら、うわ言のように繰り返した。
「しっかりしてください! 何があったのですか!?」
ソフィアが問いかけると、男はビクリと体を震わせ、何かを思い出したかのように絶叫した。
「奴らは…黒い甲殻に覆われてて…虫みたいな、でも、狼みたいに素早くて…! 統率が取れてたんだ! まるで、誰かに命令されてるみたいに、一糸乱れずに村を襲って…! 仲間を庇い合ったり、罠を仕掛けたりも…あんな魔獣、見たことない!」
男の言葉に、ソフィアは背筋が凍るのを感じた。統率の取れた動き、罠を仕掛ける知性。それは、ただの魔獣の行動ではない。
ヴァルミントン公爵が言っていた「大きな変革の時」。
エリアスが語ったアストラルフォースの乱れ「大変動期」。
そして、男が語る、未知の知的生命体のような魔獣。
全てのピースが、一つの恐ろしい可能性を示唆していた。
「まさか…『目標の覚醒』とは…」
ソフィアの脳裏に、あの謎の通信装置が映し出した光景が蘇る。
辺境の地に灯ったばかりの希望の種火は、今、より強大で、より根源的な、未知なる脅威の炎に晒されようとしていた。
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