第八話 戦後処理と新たな世界の輪郭

ヴァルミントン公爵の私兵団「闇鴉」との激しい戦いが終わった後、アーク村には静寂と、そして濃厚な血と硝煙の匂いが立ち込めていた。村人たちは、シルヴァンたちの助けを借りて、負傷者の手当てや、捕虜となった闇鴉たちの拘束、そして戦場の後片付けに追われていた。誰もが疲労困憊だったが、その顔には、絶望的な状況を乗り越えた安堵と、未来への不安が入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。


ソフィアは、休む間もなく動き回っていた。負傷した村人たちに科学的な知識に基づいた的確な治療を施し、シルヴァンたちが持つ薬草の知識と組み合わせることで、驚くべき治癒効果を発揮させた。その姿は、もはや「森の賢者」というよりも、頼れる指導者そのものだった。


「ソフィアさん、無理はするなよ。あんただって疲れてるはずだ」


レオンが、心配そうに声をかけてきた。彼の腕にも、痛々しい包帯が巻かれている。


「大丈夫です、レオンさん。今は、一人でも多くの命を救うことが最優先ですから。それより、ヴァルミントン公爵の容態は?」


ソフィアの問いに、レオンは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。


「シルヴァンの人たちが特別な結界で封じて、村の倉庫に放り込んである。アストラルコアの暴走で深手を負ったみてえだが、命に別状はねえようだ。だが、あの目つき…まだ何も諦めちゃいねえ」


ソフィアは静かに頷いた。あの老獪な貴族が、このまま大人しく終わるとは思えない。彼から情報を引き出すことが、今後のアーク村、そしてソフィア自身の運命を左右するだろう。


一段落ついたところで、ソフィアはシルヴァンのリーダーの元へと向かった。彼は、村を見下ろす丘の上で、静かに森の気配を感じているようだった。


「この度は、本当にありがとうございました。あなた方の助けがなければ、私たちは今頃…」


ソフィアが深く頭を下げると、シルヴァンのリーダーはゆっくりと彼女の方を向いた。そして、その精緻な木の仮面を、静かに外した。


現れたのは、長い銀髪と、森の湖のように澄んだ翠の瞳を持つ、驚くほど美しい顔立ちの男性だった。年齢は、見た目では判断がつかない。数百年の時を生きるというシルヴァン特有の、人間離れした雰囲気をまとっている。


「私の名はエリアス。シルヴァンの、森の守り手の一人だ。礼には及ばない、『異界の知恵持つ娘』ソフィア。我らは森を守り、森は我らを守る。そして、汝もまた、知らず知らずのうちに森を守っていた。我らは、その恩に報いただけだ」


エリアスの声は、風が木々の葉を揺らす音のように心地よく響いた。


「公爵が言っていた『大きな変革の時』とは、一体何のことなのでしょうか? エリアス様は、何かご存知なのですか?」


ソフィアが核心を突くと、エリアスの翠の瞳が、わずかに憂いを帯びた。


「…我らシルヴァンが、古より伝承として語り継いできたものだ。この世界を満たすアストラルフォースは、巨大な流れの中にある。そして、その流れは、数百年に一度、大きく乱れ、荒れ狂う時期が訪れる。それが『大変動期』だ」


「大変動期…」


「そうだ。その時期には、アストラルフォースのバランスが崩れ、魔獣は凶暴化し、天変地異が頻発する。そして、人の心もまた、その乱れに呼応するかのように荒廃し、大きな争いが起こるとされている。ヴァルミントン公爵のような者たちが、不安定なアストラルコアを求めているのも、おそらくはその変動の兆候を感じ取り、乱れた力を利用して覇権を握ろうとしているのだろう」


エリアスの言葉は、ソフィアの胸に重くのしかかった。それは、科学的な言葉で言えば、宇宙規模のエネルギーサイクルの変動期ということだろうか。そして、そのエネルギーが、生物の精神活動にまで影響を及ぼしている…? 途方もない仮説だったが、ソフィアの知的好奇心は、恐怖よりも先に刺激された。


その夜、ソフィアは捕らえられたヴァルミントン公爵と対峙した。倉庫の中、シルヴァンが張った結界の中で、公爵は鎖に繋がれながらも、その尊大な態度は崩していなかった。


「小娘、私から何を聞き出そうと無駄だぞ。お前のような辺境の虫けらに、世界の大きな流れが理解できるはずもない」


「では、教えていただけますか、公爵様。あなた方が集めているアストラルコアで、一体何をしようとしていたのか。そして、あなた方の背後にいるのは、誰なのですか?」


ソフィアは、冷静に問いかけた。公爵は、嘲笑うかのように鼻を鳴らす。


「私が言うと思うかね? だが、一つだけ教えてやろう。我々は、決して少数派ではない。王国内には、我らの理想に共感し、来るべき『新時代』の到来を待ち望んでいる者たちが大勢いるのだ。王家も、旧態依然とした貴族どもも、やがて我らの前にひれ伏すことになるだろう」


公爵は、狂信的な光を目に宿して語った。それは、単なる権力欲だけではない、歪んだ理想と選民思想に裏打ちされた危険な思想だった。


(秘密結社、あるいは王国を揺るがす巨大な派閥…)


ソフィアは、これ以上公爵から情報を引き出すのは難しいと判断した。だが、彼の言葉は、ソフィアに新たな目標を与えた。この世界で起ころうとしている「大変動」の正体を突き止め、そして、公爵のような者たちの企みを阻止しなければならない。それはもはや、個人的な復讐や、アーク村の防衛という次元を超えた、より大きな戦いだった。


数日後、ソフィアは闇鴉たちが遺した装備品の分析に取り掛かった。彼らの剣や鎧には、アストラルフォースの伝導率を高めるための、ソフィアも知らない特殊な合金が使われていた。その技術レベルは、アウリオン王国の公のものよりも明らかに高い。


そして、ソフィアは一つの奇妙な装置を発見した。それは、黒い水晶と、複雑な金属線で構成された手のひらサイズの八面体だった。アストラルフォースを僅かに流してみると、それは微弱な光を発し、奇妙な振動を始めた。


「これは…通信機? いや、もっと複雑な…」


ソフィアがさらに詳しく分析しようと、装置に触れたその瞬間だった。装置が、突如として強い光を放ち、目の前の空間に立体的な映像を投影し始めた。それは、幾何学的な文様が複雑に絡み合った、奇妙なシンボルだった。前世の記憶を探っても、見たことのない形だ。だが、その構造の美しさと複雑さには、どこか数学的な、あるいは物理学的な法則性を感じさせるものがあった。


そして、シンボルと共に、ノイズ混じりの音声が流れ始めた。


『――第二次プロトコル…移行を確認…座標…シグマ…ポイント…目標の…覚醒が…近い…』


音声は途切れ途切れで、意味を成さない。だが、「目標の覚醒」という言葉が、ソフィアの心に強く引っかかった。


次の瞬間、装置は再び強い光を放つと、プツンという音を立てて沈黙した。黒い水晶には、蜘蛛の巣のようなヒビが入り、完全に機能を停止してしまったようだった。


後に残されたのは、不気味な静寂と、ソフィアの頭の中に焼き付いた謎のシンボル、そして断片的なメッセージだけだった。一体、誰が、誰に向けて送ったメッセージなのか。「目標」とは、一体誰のことなのか。


ソフィアは、壊れた装置を手に、窓の外に広がる深い森を見つめた。世界の輪郭が、少しずつ見え始めてきた。だが、それは、彼女が想像していたよりも、遥かに複雑で、巨大で、そして危険な様相を呈していた

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