第六話 絶望の包囲網、反撃の狼煙
ヴァルミントン公爵の号令一下、黒ずくめの武装集団――彼らは「闇鴉(やみがらす)」と呼ばれる公爵直属の私兵団だった――が、アーク村の広場を包囲するように展開を完了した。その動きは水のように滑らかで、一切の無駄がない。彼ら一人ひとりから放たれる禍々しいアストラルフォースの圧力が、村人たちの肌を刺すように刺激する。
「ソフィアさん!」
レオンが、ソフィアを庇うように前に出た。その手には、ソフィアが改良を施した頑丈な狩猟槍が握られている。他の村の男たちも、農具や手製の武器を手に、恐怖を押し殺してソフィアの周りを固めた。だが、彼らの顔には、先のグレイファング戦とは比較にならないほどの絶望の色が浮かんでいた。相手は、訓練された人間の兵士、それもアストラルフォースを操る手練れだ。
「フン、烏合の衆が。この闇鴉の精鋭たちを前に、いつまでその無様な抵抗が続けられるかな?」
ヴァルミントン公爵は、馬上から嘲るように言い放った。彼の目には、アーク村の村人たちなど、踏み潰すべき虫けらにしか映っていないのだろう。
ソフィアは、瞬時に状況を分析した。敵の数は約二十名。対するアーク村の戦力は、レオンを含めても十数名程度。しかも、相手はアストラルフォースを攻撃に転用できるのに対し、村人たちにその術はない。まともにぶつかれば、数分と持たずに壊滅するだろう。
(策は…ある。しかし、あまりにも危険すぎる…!)
ソフィアの脳裏に、一つの作戦が浮かんでいた。それは、グレイファングを撃退した時よりも遥かに大胆で、成功の保証などどこにもない、まさに乾坤一擲の賭けだった。だが、この状況を打開するには、それしかない。
「レオンさん、皆さん、聞いてください!」ソフィアは、腹の底から声を張り上げた。「今から私が指示を出します。先の魔獣との戦いを思い出してください。私たちの武器は、力だけではありません。知恵と、そしてこの村の地形です!」
ソフィアは、村の広場から研究室へと続く細い道と、その周辺に自らが施したいくつかの「仕掛け」を思い浮かべていた。それは、アストラルフォースの研究の過程で偶然発見した、特定の鉱石と植物を組み合わせることで発生する、微弱ながらも指向性を持つエネルギー波を利用したものだった。普段は、農作物の成長を促進したり、害虫を寄せ付けないために使っていたが、使い方によっては、人間の感覚を一時的に麻痺させたり、アストラルフォースの流れを僅かに乱したりする効果も期待できた。
「闇鴉の皆さん、ヴァルミントン公爵の甘言に乗り、このような無法な行いに加担するのですか! あなた方にも、守るべき家族や故郷があるはず。アウリオン王国の騎士としての誇りがあるのなら、無辜の民に刃を向けることの愚を悟りなさい!」
ソフィアは、あえて敵兵に呼びかけた。時間稼ぎと、彼らの士気を僅かでも削ぐためだ。だが、闇鴉たちは微動だにしない。彼らは感情を殺し、ただ命令に従う人形と化しているようだった。
「無駄口を叩くな、小娘! かかれ!」
公爵の非情な命令が飛ぶ。闇鴉たちが、一斉に村人たちへと襲いかかった。剣戟の音が響き渡り、悲鳴が上がる。レオンたちは必死に抵抗するが、闇鴉たちの巧みな剣技と、アストラルフォースを纏った攻撃の前に、次々と打ち倒されていく。
「くそっ…! こいつら、強すぎる…!」
レオンが、肩で息をしながら呻いた。彼の頬には、浅い切り傷が走り、血が滲んでいる。
(今しかない…!)
ソフィアは、懐に隠し持っていた小さな円盤状の魔道具――改良型閃光珠と、指向性エネルギー波発生装置を組み合わせた試作品――を握りしめた。
「皆さん、私の合図で、一斉に伏せてください! そして、決して顔を上げないで!」
ソフィアは叫び、研究室の方向へと駆け出した。数人の闇鴉が、彼女を追って動き出す。
「レオンさん、テオくんを頼みます!」
研究室の入り口付近には、弟のテオが、ソフィアから託されたもう一つの装置を手に、震えながらもソフィアの指示を待っていた。それは、ソフィアが「アストラル音叉」と名付けたもので、特定の周波数の音波とアストラルフォースを共鳴させ、ごく限られた範囲のアストラルフォースの流れを強制的に中和する効果を狙った実験装置だった。実戦で使える保証はどこにもない。
ソフィアは、追ってくる闇鴉たちを引きつけながら、研究室の屋根裏に隠していた「最後の切り札」の準備を急いだ。それは、グレイファング戦で使った発火性粉末の改良版と、大量の金属片、そしてアストラルフォースを瞬間的に増幅させるための特殊な魔法陣を組み合わせた、一種の指向性爆薬だった。
「今よ、テオくん!」
ソフィアの叫び声と同時に、テオがアストラル音叉を起動させた。キィィン、という甲高い、耳障りな音が広場に響き渡る。その瞬間、闇鴉たちの動きが僅かに鈍った。彼らの身体を覆っていたアストラルフォースの輝きが、一瞬揺らいだのだ。
「伏せて!」
ソフィアは再び叫び、自身も地面に身を伏せた。そして、改良型閃光珠を闇鴉たちの中心へと投げ込む。閃光珠は、強烈な光と衝撃波を放ち、闇鴉たちの視覚と聴覚を奪った。
間髪入れず、ソフィアは研究室の屋根裏から、指向性爆薬を闇鴉たちの密集地帯へと投下した。轟音と共に、熱風と無数の金属片が闇鴉たちを襲う。アストラルフォースで身体強化をしていなければ即死するほどの威力だったが、アストラル音叉と閃光珠の効果で防御が疎かになっていた闇鴉たちは、まともにその衝撃を受け、数名が吹き飛ばされ、あるいは負傷して戦闘不能に陥った。
「な、なんだと…!?」
馬上からその光景を見ていたヴァルミントン公爵が、驚愕の声を上げた。まさか、この短時間で、これほどの反撃を受けるとは予想だにしていなかったのだろう。
しかし、闇鴉たちの練度は高かった。混乱は一時的なもので、すぐに体勢を立て直し、残りの者たちが怒りの形相でソフィアと村人たちに迫る。
「レオンさん、今です! 村の西側、あの古い樫の木を目指して! そこに活路があります!」
ソフィアは、レオンたちに撤退路を指示した。そこには、以前、森の民との接触を試みた際に偶然見つけた、地下へと続く古い洞窟の入り口がある。
レオンは、ソフィアの意図を即座に理解し、残った村人たちを率いて走り出した。ソフィアも彼らに続こうとしたが、その時、闇鴉の一人がソフィアの足元にアストラルフォースの刃を放った。
「ソフィアさん!」
テオが叫び、ソフィアを突き飛ばした。ソフィアは地面を転がり、アストラルフォースの刃はテオのすぐ傍の地面を抉った。だが、その衝撃でテオはバランスを崩し、闇鴉のリーダー格と思しき男の前に無防備に倒れ込んでしまう。
「小僧が…!」
闇鴉のリーダーが、テオに向けて容赦なく剣を振り下ろそうとした、その瞬間。
森の奥から、数条の緑色の光が矢のように飛来し、闇鴉のリーダーの剣を弾き飛ばした。そして、どこからともなく、風のような速さで数人の人影が現れ、ソフィアとテオの前に立ちはだかった。
彼らは、森の木々と同じ緑色の衣服をまとい、その顔には精緻な木の仮面が着けられている。その身体からは、アウリオン王国の魔法使いとは異なる、清浄で力強いアストラルフォースの気配が感じられた。
「…森の民…シルヴァン…!」
ソフィアは、息を呑んだ。彼らは、アーク村と一定の距離を保ち、これまで決して公の場に姿を現すことのなかった、謎多き森の住人たちだった。なぜ、今、この場所に?
ヴァルミントン公爵は、予期せぬ闖入者に、驚きと怒りの入り混じった表情を浮かべていた。
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