第五話 古巣への誘い、仕組まれた会談

ソフィアが提示した条件は、男にとって予想外のものではあったが、決して受け入れられないものではなかった。


「条件、と申されますと?」


男は、探るような目でソフィアを見つめた。ソフィアは、落ち着き払った態度で答える。


「ヴァルミントン公爵様との会談は、ここアーク村で行わせていただきたいのです。それも、公の場で。レオンをはじめとする村の代表者も同席の上で、お話を伺いたい」


ソフィアの提案に、男はしばし言葉を失った。通常、このような密談めいた話は、人目を忍んで行われるのが常識だ。それを、辺境の村の、しかも村人たちの目の前で行うという。


「それは…いささか前例のない申し出ですな。公爵様が、わざわざこのような辺境まで足を運ばれるというのは…」


男は言葉を濁したが、ソフィアの意思は固かった。


「それが私の条件です。もしお受けいただけないのであれば、この話はなかったことに。私は、アーク村の庇護のもとにあります。村の皆の承認なくして、私個人の判断で王国の方と密会するわけにはまいりません」


ソフィアの言葉には、アーク村の村人たちへの深い信頼と、彼らを守ろうとする強い意志が込められていた。男は、ソフィアの瞳の奥に宿る揺るぎない光を見て、これが単なる駆け引きではないことを悟ったのだろう。しばらく考え込むそぶりを見せた後、彼は渋々といった体で頷いた。


「…承知いたしました。公爵様にお伝えし、ご意向を伺いましょう。ですが、あまり期待はなさらないでいただきたい」


男はそう言い残し、今度こそ足早に去っていった。ソフィアは、彼が見えなくなるまで静かに見送ると、ふっと息を吐いた。


(これでよかったのだろうか…)


ヴァルミントン公爵が、本当にこの村までやってくるのか。そして、もし来たとして、一体何を話すつもりなのか。ソフィアの胸には、期待と不安が入り混じっていた。


数日後、男が再びアーク村を訪れた。その顔には、以前のような胡散臭い笑みはなく、どこか疲れたような色が浮かんでいる。


「ソフィア様。公爵様は、あなた様の条件をお受けになりました。七日後、このアーク村にて、お目にかかりたい、と」


その言葉は、ソフィアだけでなく、レオンをはじめとする村人たちにも衝撃を与えた。まさか、あの傲慢で知られるヴァルミントン公爵が、本当にこんな辺鄙な村までやってくるとは。


「ただし」と男は続けた。「公爵様がお連れになるのは、最小限の護衛のみ。そして、会談の場所と時間は、こちらで指定させていただきます。村の安全は、こちらでも最大限配慮する、とのことです」


ソフィアは頷いた。相手も、それなりの譲歩と警戒を示しているということだろう。


会談の日は、あっという間にやってきた。アーク村は、普段とは違う緊張感に包まれていた。村の入り口にはレオンをはじめとする若い衆が見張りに立ち、女子供は家の中で息を潜めている。


やがて、森の道から数騎の馬影が現れた。先頭を馬で進むのは、壮年の男。歳は五十代半ばだろうか。豪奢な刺繍の施された貴族服をまとい、その顔には長年権力の座にいた者特有の傲岸さと、老獪な知性が浮かんでいる。間違いなく、ヴァルミントン公爵本人だった。


公爵は、ソフィアが指定した村の広場――先日グレイファングを撃退した場所――で馬を降りると、鋭い目で周囲を見回した。その視線は、まるで獲物を品定めするかのように、ソフィアと、彼女の隣に立つレオン、そして数人の村の長老たちに向けられる。


「…お初にお目にかかる、ソフィア嬢。噂には聞いていたが、なるほど、なかなかの面構えだ」


ヴァルミントン公爵の第一声は、尊大そのものだった。ソフィアは、かつての公爵令嬢としての礼儀作法を思い出し、静かにカーテシー(貴族女性の行うお辞儀)をした。


「ヴァルミントン公爵様。ようこそ、アーク村へ。このような辺境までお越しいただき、恐縮に存じます」


「ふん。追放された身でありながら、随分と落ち着いているではないか。それとも、この村の者たちに『森の賢者』などと持ち上げられ、いい気になっているのかな?」


公爵の言葉には、棘があった。ソフィアは、表情を変えずに答える。


「私は、この村の皆さんに助けられ、生かされております。感謝こそすれ、驕る気持ちなどございません」


「ほう。口は達者なようだ」公爵は鼻を鳴らし、ソフィアの隣に立つレオンに視線を移した。「お前が、この村の代表か? 見るからに、ただの猟師崩れのようだが」


レオンは、公爵の侮蔑的な視線にも怯むことなく、堂々と言い返した。


「いかにも。俺はこの村の猟師、レオンだ。ソフィアさんは、俺たちの恩人であり、大切な仲間だ。あんたがソフィアさんに危害を加えるようなら、この俺が黙っちゃいねえ」


レオンの言葉に、公爵の護衛たちがピクリと反応し、剣の柄に手をかける。一触即発の空気が流れたが、ソフィアがそっとレオンの腕を制した。


「公爵様。本日は、私に何か重要なお話があるとのこと。お聞かせいただけますでしょうか」


ソフィアが冷静に促すと、公爵はつまらなそうな顔をしながらも、本題に入った。


「うむ。単刀直入に言おう、ソフィア嬢。お前のその『魔導科学』とやら、我がヴァルミントン家のために役立てる気はないか?」


「と、申されますと?」


「お前がこの村で開発したという、様々な道具や技術。それらを我が家が独占的に買い上げ、さらなる研究開発のための資金と場所を提供する。そして、お前には、我が家の客分として、十分な身分と報酬を保証しよう。追放された罪人の身からすれば、破格の条件だと思うが?」


公爵の提案は、ソフィアの予想の範囲内ではあった。だが、その口調と態度は、あまりにも一方的で、ソフィアの尊厳を踏みにじるものだった。


「お言葉ですが、公爵様。私の知識や技術は、私一人のものではございません。このアーク村の皆の協力があってこそ、形になったものです。それを、あなた様の一存で独占するというのは…」


「何を甘いことを言っている。お前のような才能は、このような吹き溜まりで燻っているべきではないのだ。王国の中枢でこそ、その力を発揮すべきだろう。これは、お前にとっても悪い話ではないはずだ」


公爵は、ソフィアの反論を意にも介さず、自分の主張を繰り返す。その瞳の奥には、ソフィアの才能を利用し尽くそうという、剥き出しの欲望が渦巻いていた。


ソフィアは、静かに息を吸い込んだ。ヴァルミントン公爵の魂胆は、もはや明らかだ。彼が求めているのは、対等な協力者ではなく、都合の良い道具。そして、その道具が生み出す利益を独占すること。


(やはり、この男は何も変わっていない…)


かつて、ソフィアが「汚れ役」として彼に仕えていた時もそうだった。彼は常に、ソフィアの能力を利用し、自分の権力拡大のために使い捨ててきた。


「…お断りいたします」


ソフィアの口から放たれた言葉は、凛として広場に響いた。ヴァルミントン公爵は、信じられないといった表情でソフィアを見返す。


「何…だと…? この私、ヴァルミントン公爵の申し出を、断るというのか、この追放者の小娘が!」


公爵の声が怒りに震える。周囲の護衛たちの殺気も、一気に高まった。レオンたちが、ソフィアを庇うように前に出る。


「ええ、お断りいたします。私の知識と技術は、金や地位のためにあるのではありません。人々の生活を豊かにし、困難を乗り越えるためにこそ使われるべきものです。そして、私は、このアーク村の仲間たちと共に、この地でそれを実践していくと決めたのです」


ソフィアは、臆することなく公爵を見据えて言い放った。その瞳には、確固たる意志の光が宿っていた。


「…面白い。実に面白い小娘だ。この私に逆らうとはな」ヴァルミントン公爵は、怒りを通り越して、不気味な笑みを浮かべた。「よかろう。ならば、力ずくでお前のその才能、奪い取ってくれるまでだ。お前がこの辺境で築き上げたもの全て、根こそぎな!」


公爵が手を挙げた瞬間、彼の背後から、新たな一団が姿を現した。それは、公爵の護衛とは明らかに異なる、黒ずくめの武装集団だった。その数、およそ二十。彼らの身体からは、禍々しいアストラルフォースの気配が立ち上っている。


「なっ…!貴様、初めからそのつもりだったのか!」


レオンが叫ぶ。ヴァルミントン公爵は、交渉が決裂した場合に備え、実力行使の準備を整えていたのだ。


黒ずくめの集団が、アーク村の村人たちを取り囲むように展開する。その動きは統率が取れており、明らかに戦闘のプロフェッショナルだった。


「ソフィア嬢、最後のチャンスだ。今からでも遅くはない。我が手に下るか、それとも、この哀れな村もろとも、我が軍門に砕け散るか、選ぶがいい」


ヴァルミントン公爵の冷酷な声が響き渡る。アーク村は、絶体絶命の危機に瀕していた。ソフィアの知略と、村人たちの絆が、再び試される時が来たのだ。だが、今回の敵は、ただの魔獣ではない。人間の悪意と、訓練された武力。そして、その背後には、アウリオン王国という巨大な権力が控えている。


ソフィアは、唇を噛みしめた。彼女の頭脳が、この窮地を脱するための活路を、猛烈な速度で探し始めていた。

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