第三話 閃光の知略、魔獣包囲網

グレイファングの群れの襲来――その報は、アーク村を瞬時に恐怖の坩堝へと叩き込んだ。女子供は泣き叫び、男たちも武器を手に取るものの、その顔には絶望の色が濃く浮かんでいる。数で勝り、凶暴性で人間を遥かに凌駕する魔獣の群れを前に、この小さな村の抵抗など、焼け石に水でしかないことは明白だった。


「落ち着いてください!」


ソフィアの声が、混乱の極みにあった集会所に響き渡った。その声には、不思議なほどの冷静さと力強さが宿っており、村人たちは思わず動きを止めて彼女に注目する。


「今から私が指示をします。皆さんは、私の指示通りに動いてください。そうすれば、必ずこの危機を乗り越えられます」


ソフィアの言葉に、村人たちは半信半疑の表情を浮かべた。この絶望的な状況で、一体何ができるというのか。しかし、彼女がテオを救い、村の生活を改善した実績は、彼らの心にかすかな希望を灯していた。


「ソフィアさん…本当に、何か策があるのか?」


レオンが、震える声で尋ねた。彼は村の猟師たちのリーダーであり、誰よりも魔獣の恐ろしさを知っている。それゆえに、ソフィアの自信に満ちた態度が信じられなかった。


「ええ。ですが、時間はありません。レオンさん、あなたは屈強な男性を数名選出し、村の周囲に深い溝を掘る準備を。ただし、一箇所だけ、意図的に浅い場所を作ってください。そこが、私たちの『罠』の入り口になります」


ソフィアは、地面に村の略図と魔獣の侵入経路を予測した図を描きながら、立て板に水とばかりに指示を出し始めた。


「次に、女性と子供たち、そして力仕事が難しい方々は、大量の煙を出すための準備を。湿った枯れ葉や草を集め、風向きを計算して配置します。目的は、魔獣の視界を奪い、混乱させることです」


さらに、ソフィアは村にあるありったけの金属片――農具の先や壊れた鍋釜など――を集めさせ、それらを特定の場所に集積するよう指示した。


「そして、レオンさん。あなたと腕に覚えのある猟師の方々には、最も危険な役目をお願いします。魔獣の群れを、先ほど指示した『罠』の入り口へと誘導していただくのです」


「なっ…!それはあまりにも危険すぎる!」


レオンが声を荒らげた。魔獣の群れを誘導するなど、自殺行為に等しい。


「危険は承知の上です。ですが、これが最も被害を少なくする方法だと私は考えます。もちろん、ただ誘導するだけではありません。これを使ってください」


ソフィアが取り出したのは、数日かけて試作していた、小さな魔道具だった。それは、磨かれた金属鏡と、特殊な鉱石を組み合わせたもので、アストラルフォースを微量に集束させ、強烈な光を発することができる代物――原始的なフラッシュライトのようなものだ。


「これは『閃光珠』と名付けました。魔獣は強い光を嫌う性質があります。これで彼らの注意を引きつけ、進路をコントロールするのです。ただし、効果は一時的ですし、数も限られています。タイミングが重要です」


ソフィアの説明に、レオンは息を呑んだ。見たこともない道具、そして常識外れの戦術。だが、彼女の瞳には確かな自信が宿っており、その論理的な説明には奇妙な説得力があった。


「…わかった。ソフィアさん、あんたを信じよう。だが、もし失敗したら…」


「その時は、私も皆さんと共に戦います。ですが、必ず成功させます」


ソフィアの力強い言葉に、レオンは覚悟を決めたように頷いた。


村人たちは、ソフィアの指示に従い、一丸となって準備に取り掛かった。時間との戦いだった。遠くからは、グレイファングの不気味な遠吠えが聞こえ始め、否が応でも緊張感が高まる。


ソフィアは、村全体を見渡せる小高い丘の上に立ち、冷静に戦況を分析していた。風向き、地形、魔獣の習性、そして村人たちの動き。全ての情報を頭の中で統合し、最適解を導き出す。それは、かつて大学の研究室で複雑な数式を解き明かしていた時と、何ら変わりのない思考プロセスだった。


やがて、森の木々を揺らし、地響きと共にグレイファングの群れが姿を現した。その数、およそ五十頭。鋭い牙を剥き出しにし、飢えた目で村へと迫ってくる。


「レオンさん、今です!」


ソフィアの合図と共に、レオンと数人の猟師たちが、閃光珠を手に魔獣の群れへと躍り出た。強烈な光が迸り、グレイファングたちは一瞬怯んだように動きを止める。その隙に、猟師たちは巧みに魔獣の側面へと回り込み、石を投げつけたり大声を出したりして、群れの進路を徐々に変えていく。


計算通り、グレイファングの群れは、ソフィアが意図した「罠」の入り口――意図的に浅く掘られた溝――へと殺到した。


「煙を!」


ソフィアの次の指示で、村の各所に仕掛けられた煙が一斉に焚かれた。風下に位置する魔獣の群れは、たちまち濃い煙に包まれ、視界を奪われて混乱し始める。


そして、罠の最終段階。溝の先には、ソフィアが集めさせた金属片が山積みになっている。その傍らには、村で最も腕の立つ弓兵たちが待ち構えていた。彼らの矢の先には、油を染み込ませた布が巻き付けられている。


「火矢を放て! あの金属の山を狙うのです!」


ソフィアの指示と共に、火矢が次々と放たれた。金属片の山に火矢が突き刺さると、ソフィアが事前に仕込んでおいた発火性の高い粉末――実験中に偶然発見した、ある種の鉱石の粉末と植物油の混合物――が一気に燃え上がり、耳をつんざくような爆発音と共に強烈な熱波と閃光を放った。


ギャウウウン!


突然の爆発と熱、そして音に、グレイファングたちは完全にパニックに陥った。あるものは炎に巻かれ、あるものは互いにぶつかり合い、そして多くは、来た道を引き返して森の奥へと逃げ惑う。


戦いは、あっけなく終わった。村には一人の犠牲者も出ず、魔獣の群れは壊滅的な被害を受けて撤退していったのだ。


村人たちは、しばし呆然としていたが、やがて誰からともなく歓声が上がった。それは、恐怖からの解放と、信じられない勝利への喜びが爆発した瞬間だった。


「やった…やったぞ!」「ソフィアさん、ありがとう!」


村人たちはソフィアの元へ駆け寄り、彼女を英雄のように称えた。レオンも、興奮冷めやらぬ様子でソフィアの肩を叩き、心からの感謝を伝えた。


「ソフィアさん…あんたは、一体何者なんだ? まるで、未来でも見てきたかのようだ…」


ソフィアは、穏やかに微笑んだ。


「私はただ、知っていることを実行しただけです。科学の力は、正しく使えば、これほどのことができるのです」


この日を境に、アーク村におけるソフィアの立場は絶対的なものとなった。彼女の知識と指導力は、この小さな村に希望の光をもたらしたのだ。


ソフィアは、村の近くに小さな小屋を譲り受け、そこを自身の研究室兼住居とした。レオンやテオ、そして村の子供たちが、興味津々でソフィアの研究を手伝うようになる。ソフィアは彼らに、簡単な科学の原理や、文字の読み書きを教え始めた。それは、この辺境の地に、新たな知識の種を蒔く行為でもあった。


本格的なアストラルフォースの研究も始まった。ソフィアは、手製の装置を使って、この世界の根幹を成すエネルギーの性質を解き明かそうと試みる。魔法陣や呪文といった既存の魔法体系を、科学的な視点から再構築し、より効率的で安全な技術へと昇華させることを目指して。


そんなある日、ソフィアの研究室に、一人の見慣れぬ男が訪ねてきた。身なりの良いその男は、行商人を名乗ったが、その鋭い眼光は、ただの商人とは思えなかった。


「これはこれは、噂に名高い『森の賢者』様ですかな? あなた様の素晴らしい発明品と、魔獣を退けたという武勇伝は、この辺りではちょっとした話題でしてね」


男は、にこやかな笑顔の裏に、何かを探るような視線を隠している。


「…何かご用でしょうか?」


ソフィアは、警戒を解かずに尋ねた。男は、意味ありげな笑みを深めると、一枚の羊皮紙を取り出した。


「実は、あなた様にご紹介したい方がおりましてね。あなた様のその類稀なる才能を、高く評価してくださるお方が…アウリオン王国の、とある貴族様なのですが…」


男の言葉に、ソフィアの背筋に冷たいものが走った。アウリオン王国――その名は、彼女にとって忌まわしい記憶と切り離せない。一体、何の目的で接触してきたというのか。


男が差し出す羊皮紙には、見覚えのある紋章が刻まれていた。それは、かつてソフィアが仕え、そして裏切られた、ある有力貴族家のものだった。


平穏を取り戻したはずの辺境の村に、再び不穏な影が忍び寄ろうとしていた。

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