第42話 猫島の夜明け


伊勢神宮で奈緒から放たれた光は、遠く離れた猫島にも届いていました。その夜、古井戸の周りに張られた貞子と栞の結界は、まるで内側から温められるかのように、柔らかな輝きを放ちます。井戸から漏れ出ていた不穏な「囁き」は、これまでになく静まり返っていました。

「ねえ、貞子ちゃん。今の光、奈緒ちゃんの力だよね?」栞は、古井戸から目を離さずに尋ねました。その声には、確かな希望が宿っています。

貞子は深く頷きました。「ええ。まさか、ここまで強く影響するなんて。イザナミ様の魂が、確かに安らぎを見つけ始めた証拠よ」

しかし、完全に安心できたわけではありません。井戸の底に蠢く「黒い影」の気配は、以前よりは和らいだものの、まだ完全に消え去ったわけではないことを肌で感じていました。それは、例えるなら、激しく荒れていた嵐が、一時的に小康状態になったようなものです。

「でも、まだ油断はできないわ」貞子は言いました。「イザナミ様の魂が癒やされたとしても、この井戸に固着した負の感情は根深い。それに、この『黒い影』は、イザナミ様自身の怨念だけでなく、人々の恐怖や悲しみが積み重なってできたものだと巻物にもあったもの」

栞は改めて巻物を取り出し、光に照らされた文字を読み返します。「『真なる名は、鏡に映る魂の姿に宿り、失われた愛を呼び覚ます鍵となる』…これって、あの祠で見つけた鏡のことだよね」

「そう。イザナミ様の本当の願いを映し出し、それを鎮めるための鏡」貞子は、大切に包まれた鏡にそっと触れました。「奈緒ちゃんの光が届いた今だからこそ、この鏡の本当の力が発揮できるはず」

夜が明け始め、東の空が白み始める頃、貞子と栞は祠へ戻ることを決めました。奈緒が目覚めさせた「光の力」と、祠で見つけた「鏡」、そして巻物に記された古の知恵。これら全てが揃った今こそ、「黒い影」を完全に封じるための最終段階に進む時だと確信していたからです。

祠への道すがら、島の空気は以前よりも清々しく感じられました。島の住民たちが口にしていた「神隠し」の噂も、この夜を境に薄れていくような気がします。しかし、井戸の奥底に残る微かな負の波動は、まだ彼女たちの使命が終わっていないことを告げていました。

祠に到着した貞子と栞は、改めて鏡を手にしました。鏡には、光を反射して輝く二人の姿が映し出されます。そして、鏡の表面が微かに揺らめき、まるで水面に波紋が広がるかのように、イザナミの「愛されたかった」「忘れ去られたくなかった」という切なる願いが、視覚的に二人の心に響き渡りました。

「これが…イザナミ様の真の姿…」栞は静かに呟きました。

貞子は鏡をじっと見つめ、そして深く呼吸をしました。イザナミの魂が伊勢で癒やされた今、猫島の井戸に残り続ける「黒い影」を鎮めるためには、この鏡を通して、残された負の感情を完全に浄化する必要がある。それが、自分と栞に託された使命だと悟ったのです。

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