第20話 不安


貞子は電話を終えると、いてもたってもいられなくなり、猫島へ向かう決意を固めた。喫茶店「海猫亭」を飛び出し、博多港へ急ぐ。かつて自身が負の感情と向き合った古井戸が、不穏な光を放って脳裏に蘇る。あの井戸は、この地の負の感情を封じる要。まさか、その封印に異変が起きているというのか。

港に着くと、ちょうど猫島行きのフェリーに乗ろうとしている栞の姿を見つけた。

「栞さん!」

貞子の声に、栞は振り返り、驚いた表情を見せた。

「貞子ちゃん!どうしてここに?」

「話は後です。とにかく、猫島へ急ぎましょう!」

二人はフェリーに飛び乗った。船内では、貞子が栞に、猫島での不穏な胸騒ぎと、井戸の異変について話した。栞もまた、貞子からの電話で尋常ではない事態を察し、急いで駆けつけたのだという。

数時間後、フェリーが猫島の港に到着すると、穏やかなはずの島には、どこか不穏な空気が漂っていた。観光客の喧騒の中にも、普段とは違うざわめきが混じっている。人々がひそひそと何かを話し、不安そうな表情で港を行き交っていた。

「ねぇ、知ってる?神隠しだってさ」

「またかよ。最近、妙なことが多すぎるよな、この島」

そんな会話が、風に乗って二人の耳に届く。「神隠し」。その言葉に、貞子と栞は思わず顔を見合わせた。井戸の封印と、この神隠しが繋がっているのかもしれない。二人の胸には、言い知れない不安が広がっていった。

港から急ぎ足で井戸へと向かう。普段は猫たちがのどかに過ごす路地も、今日はどこか静まり返っているように感じられた。古い家々の軒先も、日向ぼっこをする猫の姿も、普段の賑やかさを失い、沈黙に包まれているようだった。潮風が頬を撫でるが、その冷たさが不安を一層掻き立てる。

井戸が見えてくるにつれて、二人の足は自然と速くなった。そして、目の前に現れた光景に、彼女たちは息をのんだ。古びた石積みの井戸の前に、一人の少女が呆然と立ち尽くしている。その背中には、見覚えのある姿が。

「奈緒……?」

貞子の声が、潮騒の中に吸い込まれるように消えていく。奈緒は井戸の縁に手を伸ばし、まるでそこにいる誰かに話しかけているかのように、口元が微かに動いていた。その表情は虚ろで、まるで何かに憑かれているかのようだった。井戸の底からは、漆黒の闇がうごめくように見え、奈緒の姿がその闇に吸い込まれていくかのように錯覚した。

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