第2話 この世に聖人君子など
Sランクダンジョン『地獄門』第一階層。
ダンジョンの入り口から歩いて1時間ほど。
俺とバリスさんはダンジョンを貫通する縦穴まで来ていた。
『地獄門』はこの縦穴を軸に螺旋階段を降りるようにして108もの階層が積み重なっている。
穴の底を覗き込むと、底の方からベリーを潰したような色の禍々しい光が溢れ出ており、不思議と吸い込まれそうになる。
「なんつーか、らしい場所だな」
おおー、と縦穴の底を覗き込みながらバリスさんは呟く。
ここはいわゆるラストダンジョンだ。
4つあるSランクダンジョンの中でも難易度、報酬ともにトップ。
冒険者になれば皆、一度は行ってみたい憧れのダンジョンだ。
「あの『勇者パーティー』もここを誰一人欠けずに踏破したんだっけか」
「ええ、俺たちもそうなるよう頑張りましょう」
バリスさんの首がぐるりと回転し冷たい視線が俺の眉間を貫く。
何か間違ったことは言ってないはずだけど。
一瞬前の冷たい視線が嘘のような満面の笑みでこちらを向く顔面が怖い。
造花のような笑顔に背筋が冷たくなる。
「皆を生かすのも殺すのも俺ら先遣隊の成果次第だ。逆を言えば俺らはパーティー全員を殺すこともできる」
「何を、言ってるんですか」
縦穴の奥底からのひんやりとしたそよ風が頬を撫でる。
この人は、ラストダンジョンで何を言っているんだろうか。冗談ではないことは無機質な視線と不自然に固定された口角を見れば一目瞭然だ。
ダンテさんと二人きり、静寂を保つラストダンジョンにいるというこの状況が恐ろしく思えてくる。
「人の命を左右できるくらい責任感があるってことだ。だってそうだろ?俺らに見落としがあれば怪我をするのは俺たちだけじゃない」
大仰に腕を広げるバリスさんのハリボテのような言葉に呼応するように底の光がゆらめく。
「俺の音波魔法はそれができる。パーティーの、戦争になれば国民の命を救うことができる。だがお前はどうだダンテ?お前の付与魔法は生殺与奪を握り人を救えるか?」
「何で今そんなことっ……」
「できるか?できないだろ?付与魔法はチンケな強化ができるだけ。他人どころか自分すら守ることもままならない」
「バリスさん……? 何が、言いたいんですか?」
まっすぐこちらを見る彼の目には俺の姿は映っていない。
付与魔法しか使えない俺をあきらめずSランクパーティーで活躍できるまで育ててくれたのは他でもないバリスさんだ。
それなのになぜ今、俺はラストダンジョンで責められているのだろうか?
「付与魔法を使える奴は他にもうちにいるよなあ。そいつらは付与魔法以外にも使える魔法がある。それなのにお前を育ててパーティーに誘った理由、分かるか?」
瞬間、グギュ、っと俺の喉がつぶれる音がした。
かすむ視界をわずかに下に動かすと俺の喉元からあの籠手が寄生植物のように伸びバリスさんの腕と接続されていた。
「……ぇ」
「お前の桁違いの魔力量なら化けると思ったんだがなあ。残念、欠陥品だったみたいだな」
俺の爪からはなめらかな籠手の気持ち悪い感触が返ってくるだけで実体には引っかからない。
バリスさんが腕を喉に押し付けてくるたびに俺の喉からは悲鳴に似たきしみが骨を通じて響いてくる。
本能的に痛みから逃れようと後ずさるが、もう、あとがなくなってしまった。
「家でも落伍者扱い、パーティーでも欠陥品ときた。お前には何ができるんだ? ん? 剣を振るうだけならだれでもできるぞ?」
全ての重力が首に、つぶれた喉にかかる。
足元の保証は、ない。
だんだんと力を込めてゆく彼の顔にはもう、慈愛はない。
「バリス……さんっ……」
「ダンテ~、お前に人は救済できないんだよ。俺の目指す救済にお前はいらない」
真下には飢えた鳥のヒナのように縦穴がぽっかりとその口を開いていた。
もう、俺の呼吸器系に抵抗するだけの大気は残っていない。
「俺が拾わなかったらどうなってただろうなぁ。多分スラムのゴミ箱の中だぞ? 感謝しろよ? この世界で生きる術を与えてやったんだからな」
「……ゃ、めろっ……!」
餌をやるように大穴の上に俺の身体が差し出される。
「だがな、それもここまでだよ。ほんと失望したよ。お前は俺の思い通りには育たなかった。欠陥品は、処分しなきゃな。ああ、皆には『ダンテはダンジョンで誤って命を落とした』って言っておく。お前は『事故で死んだ』んだ」
「ふ、ざっ……!!」
もう視界はほとんど黒い靄に占有されてしまった。
彼の腕にしがみつこうとするがうまく力が入らない。
「じゃあな欠陥品。転生したら今までお前を育てた時間と金、ちゃんと返しに来いよ」
──死んで来い。
そう、聞こえた気がした。
「っかはっ! っはぁ!! はぁ!! ──
吹きすさぶ大気を全身に巡らせながら唱える。
俺の視界にはもう、突き落とした張本人の姿はない。
あとはもう、魔法に命を預け、少しだけ軽くなった心で祈るしかなかった。
──生きて帰ってやるよ。絶対にだ。
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