第5章「雨上がりの虹」

東屋の中で雨宿りをしながら、

私たちは他のチームを待っていた。


雨は次第に小降りになり、

森の中に独特の静けさが広がっていた。


「雨の森って、いい匂いがするね」

田中さんが深呼吸をした。


確かに、湿った土と植物の香りが

混ざり合った独特の匂いが漂っていた。


私も静かに息を吸い込んだ。


「いい匂い」


デバイスには「心地よさ」の波が表示されていた。


以前の私なら、こんな感覚に

気づくことはなかっただろう。


「あ、雨が止みそう」

木村さんが東屋の外を指さした。


空の一部が明るくなり始めていた。


雨粒は次第に小さくなり、

やがて完全に止んだ。


木々の葉から雫が滴り落ち、

キラキラと光っていた。


「出発しようか」田中さんが立ち上がった。


「ゴール地点はもうすぐのはず」


東屋を出ると、雨上がりの森は一層鮮やかに見えた。緑がより深く、空気はより清らかだった。


「あっ!」凛が突然声を上げた。


「見て、虹!」


私たちは空を見上げた。


確かに、森の向こうに小さな虹がかかっていた。

七色の帯が、雨上がりの空に浮かんでいる。


「きれい…」


思わず言葉が漏れた。


デバイスには大きな「感動」の

波が表示されていた。


「写真撮ろう!」田中さんが言った。


「水野さん、虹と一緒に写真撮ってあげるね」


私は少し戸惑ったが、

田中さんに促されるまま虹を背景に立った。


「笑って!」


笑う。それは私が最も苦手とすることだった。


どうすれば自然に笑えるのか、わからない。


「無理しなくていいよ」凛が優しく言った。


「水野さんらしく」


水野さんらしく。その言葉に少し安心した。


私は虹を見上げ、

その美しさを感じたまま立っていた。


「はい、撮れた!」

田中さんがスマホの画面を見せてくれた。


写真の中の私は微かに口角が上がっていた。


完全な笑顔ではないが、

確かに以前より表情が柔らかくなっていた。

そして、背景には美しい虹が広がっていた。


「いい写真」私は静かに言った。


「送ってあげるね」田中さんが

私のLINEに写真を送ってくれた。


私たちは再び歩き始めた。

ゴール地点はもうすぐだという。


「あ、神谷くんたちのチーム!」

佐藤さんが前方を指さした。


確かに、神谷君のチームが見えた。


彼らも雨に濡れた様子で、

どうやら雨宿りが間に合わなかったようだった。


「大丈夫?」私は思わず神谷君に尋ねた。


神谷は驚いたように私を見た。


私から心配の言葉をかけるのは

初めてだったからだろう。


「ああ、ちょっと濡れただけ」

神谷君は髪から雫を払いながら笑った。


「水野さんは?雨宿りできた?」


「ええ、東屋で」


「よかった」神谷はほっとしたように言った。


「心配したよ」


心配。私を。

その言葉に、胸の中で何かが温かくなった。


デバイスには「温かさ」という

新しい波が表示された。


「皆さん、お疲れ様でした!」


中央広場に戻ると、

中村教授が私たちを迎えた。


全てのチームが無事に帰還したようだった。


「各チーム、パズルは完成しましたか?」


私たちは完成したパズルを教授に見せた。

他のチームも同様だった。


「素晴らしい。では今日の活動はここまでです。

データの分析結果は後日お知らせします」


解散の前に、田中さんが私に近づいてきた。


「水野さん、今日は楽しかった?」


私は少し考えてから答えた。


「ええ、予想以上に」


「また遊ぼうね。写真、気に入ってくれた?」


「ええ、とても」


田中さんは嬉しそうに笑った。


「じゃあね!」


彼女は手を振って去っていった。


神谷君と凛が私の元に戻ってきた。


「どうだった?」神谷君が尋ねた。


「楽しかった」素直に答えた。「あなたは?」


「俺も!でも、水野さんと

別々のチームで少し寂しかったかな」


寂しい。その感情は私にはまだ馴染みがなかった。

デバイスには「疑問」の波が表示された。


「帰ろうか」凛が言った。


三人で森を出る途中、

神谷君が私のデバイスを覗き込んだ。


「水野さんのグラフ、すごく変わったね」


確かに、デバイスのグラフは

一日の始まりと比べて大きく変化していた。


波の種類も数も増え、

全体的に波が大きくなっていた。


「ええ」


「何が一番印象に残った?」神谷君が尋ねた。


印象に残ったこと。少し考えてから答えた。


「虹」


「虹?見たの?」


「ええ、雨上がりに」


「いいなあ、俺たちは見逃しちゃった」

神谷君は少し残念そうに言った。


「写真がある」


私はスマホを取り出し、

田中さんが撮ってくれた写真を見せた。

虹をバックに立つ私の姿。


「水野さん、笑ってる!」

神谷君が驚いたように言った。


「笑ってはいない」


「いや、ほんの少しだけど、口角が上がってる」

神谷君は嬉しそうに言った。


「初めて見た、水野さんの笑顔」


笑顔。それが私の笑顔なのだろうか。

デバイスには「照れ」の波が表示された。


「写真、送って」凛が言った。


私は二人に写真を送った。


「記念だね」神谷君が嬉しそうに言った。


「水野さんの初笑顔の瞬間」


初笑顔。その言葉になぜか胸が温かくなった。


「あのさ」神谷君が少し真剣な表情になった。

「明日、時間ある?」


「ええ」


「よかったら、カフェに行かない?」


カフェ。二人で。


それは…デートというものだろうか。

デバイスには「動揺」の波が大きく表示された。


「凛も?」私は思わず尋ねた。


「あ、いや…」

神谷は少し困ったように髪をかき上げた。


「二人でって思ったんだけど…」


「あ、私明日は用事があるから」凛が急に言った。


「二人で行ってきたら?」


凛の表情には、

何か意味ありげな微笑みが浮かんでいた。


「そう」


私は少し考えてから答えた。


「わかった」


神谷君の顔が明るくなった。


「じゃあ明日の11時に駅前で待ち合わせでいい?」


「ええ」


デバイスには「期待」と「不安」が

入り混じった複雑な波が表示されていた。


これが「緊張」という感情なのだろうか。


三人で駅まで歩き、そこで別れた。


凛は電車で、神谷君と

私はバスでそれぞれの家に帰る。


「じゃあ、明日ね」神谷君が手を振った。


「ええ、明日」


バスの中で、私は窓の外を眺めていた。

夕暮れの街が、オレンジ色の光に包まれている。


デバイスには「穏やかな期待感」

という波が表示されていた。


家に着くと、母が玄関で迎えてくれた。


「どうだった?」


「楽しかった」素直に答えた。


母は少し驚いたように私を見た。

私が「楽しかった」と言うのは珍しいことだった。


「そう、よかったわね」


母の表情が柔らかくなった。


部屋に戻り、私はスマホの写真を見直していた。


虹をバックに立つ私。

微かに口角が上がっている私。


これが私の笑顔。


そして明日は神谷とカフェに行く、二人きりで。


デバイスには「期待」の

波が大きく表示されていた。


窓の外を見ると、夕暮れの空が

オレンジから紫へと色を変えていく。


その美しい光景に胸が

少し締め付けられるような感覚を覚えた。


これが「感動」という感情なのだろう。


私は静かに深呼吸した。


感情が少しずつ色づいていく…

自分の心を感じながら。


明日はまた新しい感情に

出会えるのかもしれない。


その思いに小さな期待が

胸の中で膨らんでいった。

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