第32話 終わりの一歩前

 世界が、音も、色も、全ての感覚を失ったかのような、絶対的な純白の光に包まれた。それは、破壊の光ではない。全てを浄化し、調和させ、原初の状態へと還す、暖かく、そして優しい光だった。俺たちの想いと、王都からの希望、そしてセレスティアの魂そのものが融合して生み出した、奇跡の光だ。


 どれくらいの時間が経ったのか。一瞬のようにも、永遠のようにも感じられた。やがて、その眩いばかりの光が、ゆっくりと、そして静かに収まっていく。


 俺が、恐る恐る目を開けると、そこには、信じられないような光景が広がっていた。


 頭上に君臨していた、あの忌まわしき「厄災のネメシス・スター」は、その禍々しい赤黒い輝きを完全に失い、まるで夜空に浮かぶ、穏やかで美しい、青白い宝石のような星へと、その姿を変えていた。奴から放たれていた、邪悪で圧迫感のあるオーラは跡形もなく消え去り、代わりに、まるで祝福するかのような、清浄で穏やかな光が、地上へと降り注いでいる。


 暴走していた宇宙のエネルギーは、完全に調和され、鎮静化されたんだ。俺たちは……俺たちは、ついに、この世界を破滅の危機から救うことができたんだ。


「……やった……のか……? 俺たちは……勝ったのか……?」


 俺は、まだ現実感が伴わず、呆然と呟いた。


「ほっほっほ……見事なもんじゃ……。まさか、本当にこの老いぼれが、世界の救われる瞬間を、この目で見ることができるとはのう……」


 傍らで、老鉱夫の爺さんが、深い皺の刻まれた目尻に涙を浮かべながら、満足げに笑っている。


「やりましたね……レオさん……! やりましたよ……!」


 アルトは、もはや言葉にならず、ただ泣きじゃくりながら、俺の腕に何度も何度も叩きつけてくる。痛ぇよ、馬鹿野郎。だが、その痛みすら、今は心地よかった。


 そして、俺はハッとして、隣にいるはずのセレスティアに視線を向けた。

 彼女は、祭壇の中央に、まるで糸が切れた人形のように、静かに佇んでいた。その手から、役目を終えた星光鋼の触媒が、カラン、と音を立てて黒曜石の床に転がり落ちる。


「セレスティア!」


 俺が叫ぶと同時に、彼女の体は、ゆっくりと、そして力なく、後ろへと倒れ始めた。全ての力を使い果たし、その意識を失ってしまった。


 俺は、最後の力を振り絞って、彼女の華奢な体を、崩れ落ちる寸前で、力強く、そして優しく抱きとめた。


 腕の中に収まったセレスティアの体は、驚くほど軽く、そして冷たくなっていた。だが、その寝顔は、これまで見たこともないほど、穏やかで、そして安らかな表情をしていた。全てを成し遂げた、満足感に満ちた、美しい寝顔だった。


 俺は、彼女を抱きしめたまま、その場に静かに膝をついた。腕の中に、かけがえのない、守り抜きたかった存在の温もりを感じる。安堵感と、そして言いようのない愛おしさが、胸の奥から込み上げてくる。


 彼女がいなければ、俺は今頃、まだ王都の片隅で、世間を呪い、他人を信じず、孤独なまま、無気力な日々を送っていたに違いねぇ。彼女のひたむきな姿が、彼女の真摯な祈りが、俺の凍てついた心を溶かし、再び立ち上がる力をくれたんだ。俺の世界を救ってくれたのは、間違いなく、この腕の中で眠る、一人の星詠みの巫女だった。


 俺が、そんな感傷に浸っていると、腕の中のセレスティアが、うっすらと目を開けた。その深い紫色の瞳が、俺の顔を、ぼんやりと、しかし真っ直ぐに捉える。


「……レオ……さん……?」


 か細い、今にも消え入りそうな声だった。


「ああ、俺だ、セレスティア。もう大丈夫だ。全て、終わったんだ」


 俺は、できるだけ優しい声で、彼女に語りかけた。


「……よかった……。世界は……救われたのですね……」


 彼女の唇に、安堵の笑みが浮かぶ。


「ああ、お前が救ったんだ。お前のその強い意志と、諦めない心が、この奇跡を起こしたんだよ」

「いいえ……違います……。私一人では、何もできませんでした。レオさんが……あなたが、いてくれたから……。あなたが、私の光になってくれたから……」


 セレスティアの瞳から、一筋の涙が、キラリと輝きながら流れ落ちた。


「レオさん……私……ずっと、言いたかったことがあります……」

「……なんだ?」


 俺は、ゴクリと唾を飲み込んだ。なんだか、妙な緊張感が走る。


「私……あなたのことが……好きです」


 その言葉は、どんな錬金術の秘儀よりも、どんな古代の呪文よりも、強く、そして鮮やかに、俺の心の奥底に突き刺さった。

 俺は、一瞬、何を言われたのか理解できず、間抜けな顔で固まってしまった。


 セレスティアは、そんな俺の顔を見て、ふふっ、と悪戯っぽく笑うと、最後の力を振り絞るように、そのか細い腕を俺の首に回し、自らの唇を、俺の唇に、そっと重ね合わせた。

 それは、星の光のように、優しくて、暖かくて、そして少しだけ、しょっぱい味がした。


 その感触を最後に、彼女は再び、深い、安らかな眠りへと落ちていった。


 俺は、顔を真っ赤にしながら、ただ呆然と、腕の中で眠る彼女の寝顔を見つめることしかできなかった。

 傍らで、アルトと爺さんが、ニヤニヤと、ものすごく意地の悪い笑みを浮かべて、こっちを見ているのが、視界の端に見えた。


「やれやれ、若いのぅ……。星の輝きよりも、眩しいもんを見させてもらったわい」

「レオさん、よかったですね! 僕、感動しました!」


 うるせぇ、お前ら! と怒鳴りたかったが、なぜか声が出なかった。


 空には、すっかり邪気を失った、美しい星々が、まるで俺たちを祝福するかのように、キラキラと、そして優しく輝いていた。

 俺たちの、長くて、険しくて、そして最高にクレイジーな戦いは、こうして、ようやく本当の終わりを迎えたんだ。

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