最終話 それから
あの天衝の祭壇での、世界の運命を賭けた死闘から、数ヶ月の月日が流れた。
厄災の星の脅威が去り、世界には、嘘のような平穏な日々が戻ってきた。王都も、バルドゥスが引き起こした混乱と破壊から力強く立ち直り、人々は復興に向けて、活気に満ちた毎日を送っている。空はどこまでも青く澄み渡り、夜には、かつての美しさを取り戻した星々が、穏やかに輝いている。
そして、俺、レオ・ラーゼスは、相変わらず王都の片隅にある、あのオンボロ工房で、しがない錬金術師としての日々を送っていた。
もっとも、以前とは少し、いや、かなり状況は変わっちまったがな。
賢者の石事件の濡れ衣が晴れ、エーテル兵器の暴走を止め、そして世界の危機を救った立役者の一人として、俺は今や、ギルドや王宮から「夜明けの錬金術師」なんて、ちょっと気恥ずかしい二つ名で呼ばれるようになっちまった。国王陛下からは、直々に最高位の勲章と、莫大な報奨金、さらには王宮の筆頭錬金術師の地位まで提示されたが、俺は丁重に、そしてきっぱりと断った。
「俺は、そういう柄じゃねぇんでね。このオンボロ工房で、自分の好きなように研究してるのが、一番性に合ってるんですよ」
権力だの名声だのには、もはや何の興味もねぇ。俺は、俺のやり方で、この世界のまだ見ぬ真理を探求し続ける。それが、俺の生き方だ。
ただ、一つだけ、決定的に変わったことがある。
俺の工房には、もう以前のような、孤独で薄暗い雰囲気はない。
「レオさん! またこんな時間まで研究ですか? 夕食が冷めてしまいますよ。それに、昨日頼んでおいた、工房の雨漏りの修理用の特殊な接着剤、もうできていますか?」
工房の扉を、コンコン、と優しくノックして入ってきたのは、長く艶やかな銀髪を揺らし、星空を映したような深い紫色の瞳を持つ、俺の、かけがえのないパートナー、セレスティアだった。
彼女は、あの後、王宮から「聖女」として最高の待遇で迎え入れられたが、それもあっさりと辞退し、「星詠みの巫女」として、人々のために星を読み解き、王国の復興と未来予測に貢献しながら、この俺のオンボロ工房に、半ば押しかけるようにして住み着いちまったんだ。
「ああ、悪い悪い。もうすぐ終わる。接着剤なら、とっくにできてるぜ。世界最強の、二度と剥がれねぇやつがな」
俺がそう言うと、彼女は「もう、レオさんはいつも大袈裟なんですから」と、幸せそうに微笑んだ。
俺たちの関係は、まぁ、その……なんだ。明確な恋人同士、ってやつだ。あの日、祭壇で交わしたキスから、俺たちの新しい物語が始まった。彼女の存在が、俺の殺風景だった日常を、彩り豊かで、温かいものに変えてくれたんだ。
ちなみに、毎月俺を悩ませていた家賃の滞納は、セレスティアが俺の財布をきっちり管理するようになってから、一度もなくなった。たまに俺が、研究と称して高価な材料を買い込もうとすると、彼女の厳しい(だが、どこか愛情のこもった)お説教が飛んでくるのが、最近の日常だ。やれやれ、頭の上がらねぇ存在が、また一人増えちまったぜ。
アルトは、今やギルドの若きエースとして、その辣腕を振るっている。俺の一番弟子として、俺が教えた古代の錬金術の知識と、彼自身の類稀なる才能を融合させ、ギルドの旧態依然とした体制を、内側から力強く改革している。
バルドゥスが残した負の遺産を浄化し、ギルドを、真に人々のために貢献できる組織へと生まれ変わらせようと、日々奮闘しているらしい。たまに工房に顔を出しては、俺に研究の相談をしたり、セレスティアの淹れたハーブティーを飲んで、三人で夜遅くまで語り明かしたりする。あいつも、本当に立派になったもんだ。
老鉱夫の爺さんは、全てが終わった後、誰にも告げずに、ふらりと故郷の谷へと帰っていった。だが、時折、彼が育てたという珍しい鉱石や、山で採れた美味い酒が、俺の工房に届けられることがある。手紙には、いつも「達者でな、若いの。星の民も、お前さんたちの未来を、安らかに見守っておるじゃろう」とだけ、書かれていた。
ある晴れた夜、俺とセレスティアは、工房の屋根の上に座り、満天の星空を眺めていた。
「見てください、レオさん。星々が、あんなに穏やかに、そして美しく輝いています。私たちが守った、この世界の輝きです」
セレスティアが、俺の肩にそっと頭を寄りかからせながら、幸せそうに呟く。
「ああ、そうだな。だが、この宇宙には、まだ俺たちの知らない、解き明かされるべき謎や、古代の秘密が、山ほど眠ってるんだろうな。厄災の星みてぇな、ヤバイ奴もいるかもしれねぇが」
「ふふっ。もし、また世界が危機に陥ったら、その時は、また二人で戦いましょう。いいえ、今度は、もっとたくさんの仲間たちと一緒に」
「はっ、違ぇねぇ。もう、一人で抱え込むのはごめんだからな」
俺たちは、どちらからともなく、そっと手を繋いだ。彼女の指先から伝わる温もりが、俺の心を満たしていく。
俺は「夜明けの錬金術師」。彼女は「星詠みの巫女」。
「落第錬金術師」だった俺の物語は、一人の少女との出会いで、大きく、そして劇的に変わった。
俺たちの冒険は、まだ始まったばかりなのかもしれない。この広大な世界と、果てしない宇宙には、まだ俺たちを待つ、新たな発見と、未知なる物語が、星の数ほど眠っているはずだからな。
俺は、隣で幸せそうに微笑むセレスティアの横顔を見つめながら、そんなことを考えていた。そして、穏やかな星々の光の下で、彼女の唇に、そっと自分の唇を重ねた。
世界の夜明けは、まだ始まったばかりだ。
(了)
長らくのご愛読ありがとうございました。
『落第錬金術師』と蔑まれる俺、その正体は伝説級の『秘儀の錬金術師』~孤独な星詠みの巫女を影で支え、失われた技術で世界の危機に挑む~ 鶯ほっけ @uguisuhokke
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