第30話 厄災の抵抗

 四大元素の守護精霊による過酷な試練を乗り越え、俺たちはついに、『天衝の祭壇』で最後の儀式を執り行う資格を得た。


 祭壇の中央に立つ巨大な水晶の柱は、天に向かって純粋なエネルギーの光の柱を放ち、周囲の空間は、星々の力で満ち満ちていた。まるで、宇宙そのものが、この瞬間のために息を潜めているかのようだ。


 頭上では、忌まわしき「厄災のネメシス・スター」が、これまで以上に禍々しい赤黒い光を放ち、その巨大な姿を不気味に脈動させている。奴もまた、俺たちのこの儀式を察知し、最後の抵抗を試みようとしているのが、肌で感じられた。もはや、一刻の猶予もねぇ。


「セレスティア、準備はいいか?」


 俺が問いかけると、セレスティアは深呼吸を一つし、力強く、そして澄み切った声で答えた。


「はい、レオさん。いつでも始められます。私の全てを、この儀式に捧げます」


 彼女の美しい顔には、もはや恐怖や不安の色はなかった。そこにあるのは、自らの宿命を受け入れ、世界の未来のためにその身を捧げる覚悟を決めた、星詠みの巫女としての、崇高で気高い表情だけだった。


 セレスティアは、祭壇の中央に描かれた巨大な魔法陣の中心に静かに立ち、俺が命がけで精錬した「星光鋼スターメタル」の白銀の円盤を、祈るように両手で天に掲げた。


 その瞬間、祭壇の水晶柱から放たれる星々のエネルギーが、まるで引き寄せられるように星光鋼の触媒へと流れ込み始めた。触媒は、眩いばかりの純白の光を放ち、祭壇全体を昼間のように明るく照らし出す。


「レオさん、お願いします! この暴走寸前の星のエネルギーを、調律の杖で……!」


 セレスティアの叫びに応え、俺は彼女の隣で、星の民の遺産である「調律の杖」を大地に突き立てた。そして、俺の持つ錬金術の知識と、これまで培ってきた全ての経験を総動員し、杖を通して、星光鋼に集まる膨大なエネルギーの調律を開始する。


 それは、まるで荒れ狂う大河の流れを、細い一本の糸で制御しようとするような、神業レベルの精密さと集中力を要求される作業だった。エネルギーの流れが少しでも乱れれば、この祭壇ごと、俺たちは跡形もなく吹き飛ぶだろう。額から、滝のような汗が流れ落ちる。歯を食いしばり、全身全霊でエネルギーの流れを制御する。


 儀式が本格的に始まると、天衝の祭壇から、巨大な、清浄な光の柱が天に向かって真っ直ぐに伸びていき、頭上の「厄災の星」へと到達した。それは、この世界から、厄災の星の邪悪なエネルギーを浄化し、調和させるための、最後の希望の光だった。


 光の柱が厄災の星に触れた瞬間、奴はまるで苦痛にのたうつかのように、その赤黒い輝きを激しく明滅させた。奴の内部で、浄化の力と、破滅の力が激しく衝突しているのが、俺にも分かった。


「いける……! このまま、儀式を続ければ……!」


 俺が希望を見出した、まさにその時だった。


 厄災の星は、最後の、そして最も凶悪な抵抗を見せた。奴は、自らの邪悪なエネルギーの一部を凝縮させ、まるで隕石のように、地上へと向かって撃ち込んできたんだ。


 それは、もはや単なるエネルギー体ではなかった。凝縮されたエネルギーは、大気圏を突入する過程で、この世界の物質を取り込み、禍々しい、そして巨大な実体を持った、怪物の姿へと変貌していた。


 ドゴォォォン! という、山脈全体を揺るがすほどの轟音と共に、その怪物が、俺たちのいる天衝の祭壇のすぐ近くに落下し、その巨体を現した。


 それは、まるで悪夢そのものが具現化したかのような、冒涜的な姿をしていた。複数の触手を持つ、巨大な黒い肉塊。その表面には、無数の、苦悶に満ちた顔のようなものが浮かび上がっては消え、中心部には、厄災の星と同じ、赤黒く脈打つ巨大な目玉が、憎悪に満ちた光を放って俺たちを睨みつけている。


「なっ……なんだ、あれは……!?」


 アルトが、絶叫に近い声を上げる。


「厄災の星の、分身……いや、奴の悪意そのものが、形を持った存在か……! くそっ、儀式を直接妨害しに来やがったか!」


 その厄災の化身は、俺たちの儀式を破壊するため、巨大な触手を振り回し、祭壇へと向かって進撃を開始した。その一撃一撃が、大地を抉り、空気を震わせる。


「レオさん! セレスティアさん! 儀式を続けてください! ここは、僕と爺さんで、何としても食い止めます!」


 アルトは、恐怖を振り払うように叫び、自作の最大出力の魔導カノンを怪物に向けて連射する。爺さんも、星の民の古代の防衛術式を展開し、怪物の進撃を少しでも遅らせようと奮闘する。

 だが、相手はあまりにも強大すぎた。アルトの攻撃は、奴の分厚い外皮に弾かれ、爺さんの術式も、その圧倒的な破壊力の前には、長くはもたないだろう。


「くそっ……! セレスティア、儀式はこのまま続けられるか!? 俺が抜けても、エネルギーの制御は可能か!?」


 俺は、歯ぎしりしながらセレスティアに問う。このままじゃ、アルトと爺さんがやられちまう。


「……無理です、レオさん! あなたの調律がなければ、このエネルギーは一瞬で暴走します! ですが、このままでは……アルトさんたちが……!」


 セレスティアの声が、苦悩に震える。まさに、絶体絶命の状況だ。儀式を止めれば世界が滅び、続けようとすれば仲間が死ぬ。


 俺の頭は、猛烈な勢いで回転していた。何か手はねぇのか? この最悪の状況を打開する、起死回生の一手は……。


 その時、俺の脳裏に、星の民の聖域で見た、ある一つの記録が閃光のように蘇った。それは、彼らが非常事態に備えて設計だけは完成させていたという、未完成の「対消滅兵器」の理論式だった。あまりにも危険すぎて、彼ら自身も製造をためらったという、禁断の兵器。その理論を、俺の錬金術で、今この場で、即席で再現することは可能か……?


 リスクは計り知れない。失敗すれば、俺自身が原子レベルで分解され、消滅するだろう。だが、もう、これしか手がねぇ!


「セレスティア! 俺を信じろ! 儀式のエネルギーの一部を、俺の調律の杖に、最大限の出力で送り込んでくれ! アルト、爺さん! あと三十秒だけ、何が何でも持ちこたえろ! 三十秒後、俺がケリをつける!」


 俺の、常軌を逸した命令に、三人は一瞬戸惑いの表情を浮かべた。だが、彼らはすぐに、俺の覚悟を察したのか、力強く頷いた。


「分かりました、レオさん! あなたを信じます!」

「三十秒ですね! この命に代えても、守り抜いてみせます!」

「ほっほっほ。面白くなってきたわい。若者の無茶に付き合うのも、悪くはないのう!」


 セレスティアから送られてくる、凄まじい星のエネルギーを、俺は調律の杖を通して、自らの体へと取り込み始めた。全身の血管が焼き切れそうなほどの激痛が走る。だが、俺は耐えた。そして、そのエネルギーを、俺の錬金術の知識と、古代の禁断の理論式を組み合わせて、新たな、そして究極の破壊エネルギーへと変換していく。


 俺の右腕が、眩いばかりの光に包まれ、その光は徐々に、全てを無に帰すかのような、漆黒の闇へと変わっていく。これが、対消滅エネルギー。正と負のエネルギーを衝突させ、その存在そのものを消滅させる、禁断の力。


「うおおおおおおおおっ!」


 約束の三十秒。アルトと爺さんが、満身創痍になりながらも、怪物の猛攻を食い止めてくれている。俺は、その最後の瞬間に、全ての力を解放した。


「消え失せろ、この宇宙のゴミがぁっ!!」


 俺の右腕から放たれた漆黒の破壊の光線は、一直線に、厄災の化身の巨大な目玉へと突き刺さった。


 音はなかった。ただ、全てを飲み込む、絶対的な静寂だけがあった。


 厄災の化身は、悲鳴を上げる間もなく、その存在そのものが、まるでこの世界から消しゴムで消されたかのように、跡形もなく消滅した。


 俺は、その場に崩れ落ち、荒い息を繰り返した。右腕は、焼け付くように熱く、感覚がほとんどない。だが、俺たちは、なんとか最大の危機を乗り越えたんだ。


 しかし、安堵する暇はなかった。


 分身を倒された「厄災の星」本体が、最後の怒りと憎悪を込めて、その赤黒い輝きを、これまでの数倍にも増して、強烈に放ち始めたんだ。


 最後の戦いは、まだ終わっていなかった。むしろ、これからが本当の地獄の始まりなのかもしれない。

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