第29話 四つの試練

 龍の顎山脈の登山は、これまでの旅路が子供の遠足に思えるほど、過酷を極めた。道なき道を、文字通り手足を使ってよじ登り、一歩足を踏み外せば奈落の底という、まさに死と隣り合わせの道のりだ。


 吹き荒れる風は刃のように冷たく、空気は薄くなり、呼吸をするだけでも肺が痛む。厄災の星の影響か、山全体が不気味な魔力に満ちており、精神を蝕むような幻聴や幻覚が、俺たちを絶えず襲ってきた。


 だが、俺たちは互いに励まし合い、支え合いながら、一歩また一歩と、頂きを目指し続けた。アルトは、俺が即席で作った、酸素を濃縮して供給する携帯型の錬金術マスクを使い、高山病に苦しむセレスティアを介抱し続けた。セレスティアは、その苦しい状況下でも、星詠みで最も安全なルートを俺たちに示し続けてくれた。老鉱夫の爺さんは、その老体からは信じられないほどの体力と知識で、この過酷な自然環境を乗り越えるための様々なサバイバル術を俺たちに教えてくれた。


 そして俺は、錬金術で作り出した様々な道具を駆使し、物理的な障害物を排除し、パーティー全体のリーダーとして、皆を鼓舞し続けた。


 何日登り続けたのか、もはや時間の感覚も曖昧になってきた頃、俺たちはついに、分厚い雲を突き抜け、山脈の最高峰――『天衝の祭壇』――にたどり着いた。


 そこは、まるで世界から切り離されたかのような、静寂と神聖な空気に満ちた、広大な平地だった。地面は、磨き上げられた黒曜石のように滑らかで、その表面には、夜空の星座を描いた巨大な魔法陣のようなものが、淡く青白い光を放って刻まれている。そして、その中央には、天に向かってそびえ立つ、数本の巨大な水晶の柱が、まるで神殿のように荘厳に立ち並んでいた。


 頭上には、手を伸ばせば届きそうなほど近くに、満天の星々が輝いている。そして、その星々を背景に、あの忌まわしき「厄災の星」が、不気味な赤黒い光を放ちながら、圧倒的な存在感で鎮座していた。まるで、この祭壇が、奴を迎え入れるために作られたかのように。


「ここが……星見の祭壇……。なんて……なんて清浄で、そして強力な力が満ちている場所なの……」


 セレスティアは、その神聖な雰囲気に圧倒され、感極まったようにその場に膝をついた。


「ついに来たか……。ここが、最後の決戦の地だな」


 俺が、調律の杖を握りしめ、覚悟を決めたその時だった。


 祭壇の中央に立つ水晶の柱が、一斉に眩い光を放ち始めた。そして、その光の中から、ゆっくりと四体の巨大な人型の影が現れた。一体は、燃え盛る炎を纏った巨人のような姿。一体は、荒れ狂う嵐をその身に宿した鳥人のような姿。


 一体は、大地そのものが意志を持ったかのような、岩石のゴーレム。そして最後の一体は、深淵の水を凝縮したような、流麗な女性の姿をしていた。


「何奴だ!?」


 アルトが、咄嗟に魔導カノンを構える。


『我らは、この聖地を、星の民の時代より永きに渡り守り続けてきた、四大元素の守護精霊なり』


 炎の巨人が、地響きのような、荘厳な声で言った。


『この祭壇は、星々の力を調和させ、世界に安寧をもたらすための聖域。だが、同時に、その強大すぎる力は、使い方を誤れば世界を滅ぼす諸刃の剣ともなる』


 嵐の鳥人が、風が哭くような声で続けた。


『故に、我らは見極めねばならぬ。そなたたちが、この祭壇を使い、星々の力を操るに、真にふさわしい魂の持ち主であるかどうかを』


 大地のゴーレムが、重々しい声で宣告する。


『さあ、始めましょう。最後の試練を。そなたたちの持つ、知恵、力、勇気、そして絆……その全てを、我らに示してみせるのです』


 水の精霊が、鈴を転がすような、しかし有無を言わせぬ響きを持った声で微笑んだ。


 どうやら、儀式を始める前に、こいつらと一戦交えなきゃならねぇらしい。やれやれ、最後の最後まで、楽はさせてくれねぇってか。


「望むところだ! 俺たちの覚悟、あんたたちにたっぷりと見せつけてやるぜ!」


 俺は叫び、仲間たちも力強く頷いた。


 最初の試練は、大地のゴーレムが相手だった。「力の試練」だ。その巨体から繰り出される攻撃は、一撃で山をも砕くほどの威力を持っていた。


「レオさん、奴の動きは直線的ですが、その防御力は尋常ではありません! 通常の攻撃は一切通用しない!」


 アルトが叫ぶ。


「分かってる! 爺さん、あいつの弱点はどこだ!?」

「ほっほっほ。どんなに硬い岩でも、必ず脆い核となる部分があるもんじゃ。あやつの胸に輝く、あのエメラルドの鉱石……あれが、おそらく奴の命の源じゃろう!」


 老鉱夫の的確な指摘。俺は、懐から取り出した「超振動ピッケル《ソニックディガー》」の出力を最大に設定した。


「アルト、俺が奴の注意を引きつける! お前は、錬金術で作り出せる、最も強力な酸を使って、奴の足元を溶かせ! 動きを封じるんだ!」


 俺はゴーレムの攻撃を紙一重でかわし続け、アルトが生成した強力な溶解液が、ゴーレムの足元のアスファルトを溶かし、その巨大な足を地面に固定する。動きを封じられたゴーレムの胸に、俺は超振動ピッケルを渾身の力で突き刺した。凄まじい振動がエメラルドの核を砕き、ゴーレムは光の粒子となって消えていった。


 次に現れたのは、嵐の鳥人。「知恵の試練」だ。彼は、俺たちに古代のルーン文字で書かれた、難解な謎かけを突きつけてきた。制限時間内に解けなければ、暴風で谷底へ吹き飛ばされるという。


「くそっ、こんな文字、読めるわけがねぇ!」


 俺が悪態をつくと、セレスティアが静かに前に出た。


「……待ってください。この文字……星詠みの古文書で見たことがあります。星々の配置と、その意味を象徴する、古代の神聖文字です……。私なら、解けるかもしれません」


 セレスティアは、目を閉じ、星々の声に耳を澄ますように、その謎を一つ一つ解き明かしていく。その姿は、まるで神託を告げる巫女のように、神々しく、そして美しかった。見事、全ての謎を解き明かすと、嵐の鳥人は満足げに頷き、姿を消した。


 三番目は、炎の巨人による「勇気の試練」。彼は、祭壇全体を灼熱地獄に変え、その炎の中から、決して消えることのない「魂の炎」を持ち帰ることを要求してきた。


「こんな熱気の中じゃ、近づくことすらできやしねぇ!」


 アルトが悲鳴を上げる。だが、老鉱夫の爺さんは、落ち着き払っていた。


「案ずるな、若造。炎というものは、恐れればその身を焼かれるが、敬意を払い、その本質を理解すれば、我らに力を与えてくれるものじゃ。わしに任せよ」


 爺さんは、懐から取り出した、星の民の古代の護符をかざし、何やら祈りの言葉を唱え始めた。すると、不思議なことに、あれほど激しく燃え盛っていた炎が、まるで道を譲るかのように、爺さんの周りだけ避けていく。


 爺さんは、悠々と炎の中心へと歩いていき、そこに灯る、青白く輝く「魂の炎」を、特殊な素材でできた小瓶に収めて、何事もなかったかのように戻ってきた。その姿は、もはや仙人の域だった。


 そして、最後の試練。水の精霊による「絆の試練」。彼女は、俺たち一人一人の心の中に潜む、最も深い恐怖やトラウマを幻として見せ、俺たちの心を折ろうとしてきた。


 俺には、賢者の石事件の失敗と、人々から罵倒される光景が。セレスティアには、孤独な天文台で、誰にも理解されずに絶望する過去の自分が。アルトには、バルドゥスに才能を妬まれ、ギルドから追放される未来が。爺さんには、星の民の滅亡を、ただ一人見守ることしかできなかった無力感が、幻となって襲いかかる。


 俺たちは、一瞬、その絶望的な幻に飲み込まれそうになった。だが、その時、俺は叫んだ。


「騙されるな! これは幻だ! 俺たちはもう、一人じゃねぇ! 俺には、信じられる仲間がいる! 過去がどうだろうと、未来がどうなろうと、今、この瞬間、俺たちはここに、四人で立ってるんだ!」


 俺の声に、セレスティア、アルト、そして爺さんもハッと我に返った。俺たちは、互いに手を取り合い、固い絆で結ばれていることを再確認する。その強い想いが、水の精霊が見せる幻を打ち破った。


『……見事です。若き錬金術師よ。そして、星の乙女、誠実なる若者、賢き古老よ。あなたたちの力、知恵、勇気、そして何よりも、互いを信じ、支え合うその固い絆の力、しかと見届けました』


 水の精霊は、満足げに微笑むと、他の精霊たちと共に、再び水晶の柱の中へと姿を消していった。


 試練は終わった。祭壇の中央に立つ水晶の柱が、一斉に天に向かって、純粋なエネルギーの光を放ち始めた。それは、儀式の準備が整ったことを示す合図だった。


「さあ、始めよう、セレスティア。俺たちの、そしてこの世界の未来を賭けた、最後の儀式を」


 俺の言葉に、セレスティアは力強く頷いた。彼女は、祭壇の中央へと進み、星光鋼の触媒を静かに掲げた。俺は、その隣で調律の杖を構える。アルトと爺さんは、俺たちの背後で、儀式が妨害されないよう、周囲への警戒を固めている。


 いよいよ、最後の戦いが始まる。俺たちの運命は、そしてこの世界の運命は、この儀式の成否に、全てがかかっていた。

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