第17話 老爺の誘い

 俺たちは混乱に乗じて、騎士団の不完全な包囲網を突破し、王都の地下に網の目のように広がる広大な地下水道へと続く、秘密の入り口へと駆け込んだ。


 この地下水道網は、俺がまだギルドで神童ともてはやされていた若い頃に、退屈しのぎと実益を兼ねて徹底的に調査し、その全容をマップ化しておいた、俺の切り札だ。


「レオさん、申し訳ありません、ここまでしか我々では……。王宮騎士団は手強い。すぐに追っ手がこの地下水道にもなだれ込んでくるでしょう」
 


 アルトの仲間の一人が、息を切らしながら、悔しそうに言った。



「いや、十分すぎるくらいだ。この借りは、いつか必ず返す。お前たちは、とっととギルドに戻って、何食わぬ顔でいろ。絶対に俺たちのことは喋るなよ。お前たちの未来を、こんなことで潰させるわけにはいかねぇからな」
 


 彼らに力強く頷き、俺はアルトと共に地下水道のさらに奥深くへと進んだ。背後からは、騎士たちの怒号と、剣のぶつかり合う音が微かに聞こえてくる。


 地下水道は、俺の記憶通り、薄気味悪く、複雑に入り組んでいた。追っ手の松明の光と、俺たちを呼ぶ怒声が、時折遠くの通路から反響してくる。だが、俺はこの迷宮の構造を、自分の工房の地下ラボと同じくらい熟知している。奴らにそう簡単に追いつかれる心配はねぇ。



「レオさん、セレスティアさんは……天文台にいらっしゃるはずです。ですが、そこももう安全ではないかもしれません。バルドゥス筆頭の監視の目が、日に日に厳しくなっていると聞いています」


 

 アルトが、隣を走りながら心配そうに言う。



「ああ、分かってる。天文台も、とっくにバルドゥスの監視下に置かれているだろうからな。まずは、セレスティアをそこから無事に連れ出すのが先決だ。彼女と、あの星光鋼スターメタルの触媒、そして修復が完了した魔力調律器がなければ、何も始まらねぇ」


 俺たちは、天文台の近くの廃屋の地下に掘っておいた、もう一つの秘密の通路を使って、天文台の地下にある、普段は使われていない古い貯蔵庫へと潜入した。


 セレスティアには、事前にアルトを通じて、この危機的状況と脱出計画の概要を知らせてあった。彼女は、最小限の着替えと研究資料、そして何よりも大切な星光鋼スターメタルの白銀の円盤、そして修復が完了し、神々しいまでのオーラを放つ魔力調律器を傍らに置き、俺たちを固唾を飲んで待っていた。



「レオさん……! アルトさん……! ご無事で……本当に良かった……!」



 再会を喜ぶ暇もなく、俺たちはセレスティアを連れて、再び地下通路へと戻った。天文台の周囲には、既にバルドゥスの手先と思われる複数の不審な気配が濃厚に漂っている。もし俺たちの到着が少しでも遅れていたら、セレスティアは奴らの手に落ちていたかもしれねぇ。


 王都を完全に脱出するため、俺たちは、以前「賢者の石事件」の直後、万が一の事態に備えて、誰にも知られずにこっそりと掘り進めておいた、王都の分厚い城壁の外の森へと直接繋がる通路を進んだ。



「レオさん……こんなものまで、いつの間にご用意されていたのですか……。あなたの用意周到さには、いつも驚かされます……」
 


 セレスティアが、半ば呆れたような、それでいて心の底から感心したような、複雑な表情で声を出す。



「はっ、錬金術師たるもの、常に二手三手先を読んで行動しなきゃな。特に、俺みてぇに敵が多い人間はな。備えあれば憂いなし、だろ?」



 錬金術師と言いながら、逃げるための隠し通路を作ってばかりだな、と自嘲しながら、俺は笑った。


 長い長い地下通路を抜け、王都の城壁の遥か外、人気のない鬱蒼とした森の中にようやく出た俺たちは、そこでようやく一息つくことができた。


 だが、安心するのはまだ早い。王宮騎士団とバルドゥスの執拗な追手は、血眼になって俺たちの行方を探しているはずだ。特に、俺が王都から脱出したと知れば、バルドゥスは狂ったように追跡命令を出すだろう。



「これから、どうするおつもりですか……? このままでは、いずれ追いつかれてしまいます……」



 アルトが、周囲を警戒しながら不安げに尋ねる。
 俺が何か答えるより先に、森の奥深くから、カサリ、と木の葉を踏む微かな物音がした。俺たちは一斉に身構える。こんな場所に、一体誰が……?
 茂みからゆっくりと現れたのは、俺たちにとって、あまりにも意外な人物だった。



「……ほっほっほ。ようやくお越しになったようじゃな、レオの若いのと、星詠みの美しい嬢ちゃん、それから見慣れん顔の威勢のいい若造も一緒か。待ちくたびれたわい」
 


 そこに立っていたのは、あの「龍の寝床ドラゴンズデン」で出会った、謎めいた老鉱夫だった。その手には、日に焼けて茶色く変色した、古びた羊皮紙の地図のようなものが握られている。



「あんた……! 爺さん! なんでこんな場所にいやがるんだ!?」


「お前さんたちが、王都であの強欲なバルドゥスとかいう男と、何やら面倒なことになっとるんは、風の噂と、この谷に住まう精霊たちの囁きで、とうに聞いておったよ。それに、星々の動きも、そう告げておったわい。ここから先は、わしが案内してやろう。お前さんたちが行くべき場所は、もうとっくに決まっておるんじゃからな」



 老鉱夫は、深い皺の刻まれた顔に、全てを見透かしたような、それでいてどこか悪戯っぽい笑みを浮かべ、手にした地図をゆっくりと広げた。それは、この辺りの詳細な地形図のようだったが、その中央には、見たこともない奇妙な太陽のような紋章が描かれた場所が、はっきりと記されている。



「これは……一体、どこなんだ……?」



「古代の民……『星の民』が、かつてこの地に遺した、隠された聖域じゃ。そこならば、いかなる追っ手の目も届くことはあるまい。そして、そこには、お前さんたちが喉から手が出るほど知りたいであろう真実と、これから為すべきことの重大な手がかりが、静かに眠っておるはずじゃ」



 老鉱夫の言葉には、有無を言わせぬ不思議な力と、確信が込められていた。俺たちは顔を見合わせ、そしてほぼ同時に頷いた。もはや、この怪しいがどこか憎めない爺さんを信じる以外に、俺たちに残された道はなさそうだ。



「……分かった。爺さん、あんたに道案内を頼む。その『星の民の聖域』とやらに、俺たちを連れて行ってくれ。バルドゥスの野郎から逃げ続けるだけじゃ、何も解決しねぇからな」



 こうして、俺たちの、新たな、そしておそらくこれまで以上に危険な旅が始まった。バルドゥスの執拗な陰謀から逃れ、世界の危機に立ち向かうための、唯一の希望を求めて。背後には、もはや遠く霞んで見える王都の灯が、まるで俺たちの前途を嘲笑うかのように、不気味に揺らめいていた。

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