第14話 思わぬ邪魔立て


 俺たちは、天文台の最上階にある、ドーム型の天井を持つ観測室に、星光鋼スターメタルの神聖な触媒と、最新鋭の魔力調律器を慎重に設置し、古代文献に基づいて儀式場を構築していく。


 その作業は数時間にも及び、セレスティアは星詠みで、刻一刻と変化する最適な星の配置とエネルギーの流れを精密に計算し、俺はその指示に従って、装置の最終的な微調整を行う。アルトも、専門外ながら、俺たちの間で必要な道具を運んだり、記録を取ったりと、健気に手伝ってくれた。


 観測室の中は、張り詰めた緊張感と、しかしどこか神聖な期待感に満ちていた。三人の間には、ほとんど言葉はなかったが、目と目で合図を送り合い、互いの呼吸を合わせるように、作業は驚くほどスムーズに進んでいった。まるで、ずっと昔から一緒に戦ってきた、熟練のパーティーのようだった。


 儀式の準備が最終段階に近づくにつれ、天文台からは、一般人には感知できないほど微弱だが、しかし極めて特殊で強力な、清浄なエネルギーが、まるでオーロラのように放出され始めた。それは、星々の聖なる力と共鳴し、増幅される、古代の神聖な儀式の波動だ。


 だが、この聖なる力は、残念ながら、招かれざる、そして最も厄介な客をも、正確に引き寄せてしまった。


 バルドゥスだ。


 奴は、夜会から戻った後、俺の工房がもぬけの殻になっていることに気づき、激怒。そして、ギルドの最高感度の魔力探知機が、天文台の方角から、これまでにない異常なエネルギー反応を正確に捉えていることを突き止めたんだ。


「やはり、あのレオめ! そして、あの忌々しい星詠みの小娘! 奴ら、共謀して何か古代の危険な力を解放しようと企んでいるに違いない! あれは、王国の秩序を脅かす、断じて許されざる行為だ! 断じて!」


 バルドゥスの頭の中では、俺とセレスティアは、世界征服でも企む、恐るべき悪の秘密結社の首領と巫女かなんかに、完全に脳内変換されちまったらしい。もはや、その被害妄想と歪んだ正義感は、誰にも止められない危険な領域にまで達していた。


 バルドゥスは、ギルド評議会の正式な承認も得ぬまま、完全に独断でギルドの正規警備隊(その多くは、彼の金と地位に目がくらんだ、私兵同然のゴロツキ連中だ)を緊急動員。


 さらに、懇意にしている一部の腐敗した貴族から、非合法に借り受けた私兵まで加えて、一個大隊にも匹敵するほどの、圧倒的な武力を組織し、夜明け前の薄闇の中、セレスティアの天文台へと、怒濤の勢いで進軍を開始した。


 その目的は、もちろん「レオとセレスティアの即時捕縛、及び、彼らが執り行おうとしている危険極まりない儀式の、武力による即時中止」。そして、その大義名分は、相も変わらず「王国の崇高なる秩序と、市民の平和を守るため」だ。笑わせるぜ、ったく。どの口がそんなことを言うのか。


「レオさん! 大変です! 天文台の麓に、おびただしい数の武装した集団が……! 松明の明かりが、谷を埋め尽くしています! あれは、ギルドの警備隊と……見たこともない紋章を掲げた、凶悪そうな兵士たちです!」


 天文台の窓から、決死の覚悟で外を見張っていたアルトが、血相を変えて室内に飛び込んできて叫んだ。


「チッ……やっぱり来やがったか、バルドゥスの野郎。思ったよりずっと早かったな。あの爺さん、よっぽど頭に血が上ってるらしい」


 俺は忌々しげに舌打ちする。セレスティアは、今度こそ恐怖で全身をわなわなと震わせ、その美しい顔を青くしていた。無理もない。彼女はこれまで、こんな剥き出しの暴力と悪意に晒されたことなど、一度もなかっただろうからな。


「レオさん……どうしましょう……。儀式は、まだ最終調整が、ほんの少しだけ残っているのです……。このままでは……」


「大丈夫だ、セレスティア。落ち着け。お前は、何があっても儀式の準備を続けろ。絶対に中断するな。あいつらは、この俺が、何があっても天文台には一歩も入れさせねぇ」


 俺は、セレスティアの震える肩を、今度は優しく、しかし力強くポンと叩き、覚悟を決めた不敵な笑みを浮かべた。


「こんなこともあろうかと、天文台の周辺には、事前にいくつかのとっておきの『お土産』を、たっぷりと仕掛けておいたんだ。レオ特製の、悪趣味で効果抜群な、錬金術防衛トラップのフルコースをな。あの強欲な客人に、盛大にもてなしてやろうじゃねぇか」


 そう、俺は魔力調律器を設置する傍ら、この天文台を、バルドゥスごときでは決して突破できない難攻不落の要塞へと、秘密裏に変貌させていたのだ。


 バルドゥス率いる大部隊が、鬨の声を上げ、天文台の敷地へと雪崩れ込もうとした、まさにその瞬間だった。


 地面の至る所から、鋭い刃を仕込んだ強靭な鋼鉄製のネットが、目にも止まらぬ速さで飛び出し、先頭集団の兵士たちを、まるで蜘蛛の巣にかかった獲物のように、次々と絡め取った。「捕縛斬撃網スティッキーブレードネット・トラップ」だ。悲鳴を上げる間もなく、数人の兵士が行動不能になる。


「な、なんだこれは!? 罠だ! 気をつけろ!」


 後続の兵士たちが、混乱し、恐怖の声を上げる。さらに、彼らが迂回して進もうとすると、今度は足元の地面が、まるで生きているかのように突然陥没し、底には鋭利な杭が待ち受ける、深い落とし穴がいくつも出現。古典的だが、改良に改良を重ねた俺のトラップは、効果抜群だ。


 俺は天文台の屋上、ドームの頂上部分に仁王立ちし、拡声器代わりに魔力を最大限に込めた声で、眼下の敵に向かって堂々と叫んだ。


「ようこそお越しくださいました、バルドゥス筆頭錬金術師殿! そして、その腰巾着の手下の諸君! こんな夜更けに、わざわざこんな辺鄙な天文台まで、大人数で押しかけてくるとは、よっぽどお暇らしいな! だが、生憎と、ここはお前さんたちが土足で踏み込んで良いような、そんな安っぽい場所じゃねぇんだ! 悪いが、今すぐ尻尾を巻いて、おととい来やがれってお引き取り願おうか!」


「レオ! やはり貴様の仕業か! その小賢しい罠を仕掛けおって! その星詠みの小娘と共に、一体何を企んでいる! 大人しく投降しろ! さもなくば、この天文台ごと、貴様らを木っ端微塵にしてくれるわ! 実力行使も辞さんぞ!」


 バルドゥスが、顔を真っ赤に染め上げ、血管を浮き上がらせながら、狂ったように怒鳴り返してくる。その手には、禍々しい光を放つ、見たこともない攻撃用の魔導杖が握られていた。どうやら、本気で俺たちを消しに来たらしい。


「実力行使? そりゃ、こっちのセリフだぜ、この老いぼれの権力中毒者が!」


 俺は不敵に笑い返し、アルトに合図を送った。彼が、天文台の隠された場所に仕掛けた、最後の、そして最大のトラップを起動させた。天文台の周囲、あらかじめ計算し尽くされたポイントに設置された、数十個の小型の錬金術装置から、強烈な悪臭と、目や喉を激しく刺激する催涙成分、そして平衡感覚を狂わせる特殊な音波を同時に複合的に発生させるガス状物質が、一斉に噴射される。


「超絶五感破壊ガス」。こいつは、どんな屈強な兵士だろうと、数秒で完全に戦闘能力と方向感覚を喪失させる、俺の最新にして最悪の自信作だ。生物兵器に近いかもしれねぇな。


「うげぇっ! な、なんだこの臭いと音は!? く、臭い! 目が、鼻が、耳が……! 頭が割れるようだ……!」


 訓練されたはずの兵士たちは、あまりの悪臭と刺激、そして不快な音波に、嘔吐し、涙と鼻水を制御不能なまでに垂れ流しながら、その場でうずくまり、あるいは意味もなく逃げ惑う。統制など、もはや欠片も存在しなかった。


 バルドゥスも例外じゃねぇ。高価そうなハンカチで必死に鼻と口を押さえているが、その顔は苦悶と怒りで醜く歪み、足元もおぼつかない様子だった。


 この千載一遇の隙に、俺はアルトと共に天文台を飛び出し、混乱の極みにある敵部隊の懐に、まるで疾風のように接近。目くらましの閃光弾と、視界を遮る濃密な煙幕を次々と使い、さらに敵の混乱を助長させ、指揮系統を完全に麻痺させる。


「撤退だ! 一時撤退! 一時撤退しろ! こ、こんなはずでは……! 体勢を立て直すのだ!」


 さすがのバルドゥスも、この地獄のような状況では、これ以上の戦闘継続は不可能と判断したらしい。忌々しげに、そして怨念のこもった目で俺たちを睨みつけながら、這々の体で、残ったわずかな兵士たちと共に、狼狽しながら撤退していった。その去り際は、あまりにも無様で、哀れだった。


 ふぅ、なんとか追い払ったか。我ながら、見事な防衛戦だったぜ。


 だが、俺たちの安堵も、ほんの束の間だった。撤退する間際、バルドゥスの側近の一人が、隠し持っていた小型で強力な、しかし極めて旧式の、それ故に予測困難な軌道を描く魔導砲を、執念深く天文台の中枢部、セレスティアがいるであろう観測室に向けて発射したんだ。


 ドォォン! という、耳をつんざくような轟音と共に、天文台の美しいドーム状の壁の一部が、まるで紙細工のように無残に破壊され、観測室に設置したばかりの、世界の命運を握る「魔力調律器」の、まさに心臓部と言える精密な魔力制御ユニットの一部が、その爆風と衝撃波で致命的な損傷を受けてしまった。


「しまった! 調律器が……! セレスティアさん!」


 アルトが、絶叫に近い悲鳴を上げる。俺の顔からも、一瞬にして血の気が引いた。

 バルドゥスの野郎……ただでは転ばねぇってか。最後の最後に、最も厄介で、最も卑劣な置き土産を残していきやがったぜ。この借りは、必ず何倍にもして返してやる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る