第15話 賢者の石事件の再燃
バルドゥスの卑劣極まりない置き土産によって、セレスティアの、いや、この世界の未来を救うための儀式に不可欠な最重要装置「
幸い、中核となる古代術式が組み込まれた制御ユニット部分は奇跡的に無事だったが、いくつかの重要な魔力増幅回路が断線し、エネルギーの精密制御機能が大幅に低下している。このままじゃ、儀式は不可能だ。下手をすれば、暴走した星のエネルギーで、天文台ごと木っ端微塵になりかねねぇ。
「くそっ、あのクソオヤジ……! どこまで性根が腐ってやがるんだ……! 自分の目的のためなら、手段を選ばねぇってか!」
俺は思わず、工房の壁を殴りつけて悪態をつく。アルトは、煙を上げる壊れた調律器を前に、絶望の色を浮かべて顔面蒼白で立ち尽くしている。彼の努力も、一部が無に帰したようなもんだからな。
そしてセレスティアも、立て続けに襲いかかる不幸と、バルドゥスの執拗な妨害に、ショックで言葉を完全に失っていた。天文台への直接襲撃、そして命綱とも言える儀式装置の破損。彼女のか細い肩には、あまりにも重すぎる試練だった。彼女の心は、今にもポッキリと折れてしまいそうに見えた。
「レオさん……アルトさん……もう、ダメなのでしょうか……。これでは、儀式を……世界を救うなんて、やっぱり私には……」
セレスティアが、まるで魂が抜け殻になったかのように、か細い、力のない声で呟く。その美しい瞳からは、あれほど強く輝いていた希望の光が、まるで風前の灯火のように消えかかっていた。
「諦めるのはまだ早い、セレスティア。絶対にだ。俺がいる限り、そしてアルト君がいる限り、お前を一人で諦めさせたりはしねぇよ」
俺は、彼女の震える肩を両手で力強く掴み、真っ直ぐにその潤んだ瞳を見つめて、出来る限り優しい、しかし断固とした口調で言った。ここで俺まで弱気になったら、本当に全てが終わっちまう。
「幸い、損傷は致命的じゃねぇ。見てみろ、この中核ユニットは無傷だ。俺とアルト君の技術力をもってすれば、数日もあれば必ず修復できるはずだ。問題は、それまでバルドゥスの野郎が、この天文台を、そして俺たちを黙って見逃して待っててくれるかどうかだが……。いや、奴の性格からして、それはないだろうな」
天文台襲撃にまんまと失敗したバルドゥスは、今頃、煮え繰り返るような怒りと屈辱に身を震わせ、次の、より悪辣で確実な手を考えてるに違いねぇ。奴が、このまま大人しく引き下がるような、殊勝なタマじゃねぇことは、この俺が誰よりも一番よく知ってる。奴の執念深さは、ゴキブリ並みだからな。
そして、俺のその最悪な予感は、修理作業を開始して数日もしないうちに、想像を遥かに超える悪質な形で現実のものとなった。
バルドゥスは、武力で俺たちを直接制圧するのが難しいと悟ったのか(俺のトラップがよっぽど堪えたらしいな)、今度はより陰湿で、より悪質で、そして何よりも俺の心を抉るような、卑劣な手段に打って出やがった。
それは、俺の忌まわしき過去……錬金術師としての俺の全てを否定され、社会から爪弾きにされた、あの悪夢のような「賢者の石」事件を、再び白日の下に、それも極めて歪められた形で晒し上げることだった。
ある朝、王都の街角の至る所に、こんな扇情的な見出しの、悪意に満ちた怪文書が、まるで毒キノコのように張り出された。
「緊急警告! 王都に潜む禁断の錬金術師レオ、その恐るべき危険なる本性を徹底的に暴く! 記憶に新しいか? 数年前、王都に未曾有の大惨事を引き起こし、多くの市民を恐怖のどん底に突き落とした、あの忌まわしき『賢者の石』再現実験の大失敗! その全ての責任を負うべき張本人、首謀者こそ、このレオである! 奴は、その時に得た禁断の知識と危険な思想を再び悪用し、今また、自称『星詠みの巫女』と名乗る正体不明の小娘と共謀し、世界を再び破滅に導くやもしれぬ、恐るべき古代の儀式を秘密裏に企んでいる! 王都の善良なる民よ、目を覚ませ! レオこそが、全ての災厄の元凶であり、我々の平和を脅かす最大の敵なのだ!」
ご丁寧にも、俺の若い頃の、しかも極めて人相の悪い瞬間の似顔絵(あんまり似てねぇが、その悪意だけは痛いほどたっぷり込められてやがる、実に胸糞悪い代物だ)まで、デカデカと添えられてやがる。
この巧妙に仕組まれたプロパガンダは、まるで燎原の火のように、瞬く間に王都中に広まった。ギルドや王宮にも、匿名を騙った同様の、しかしより詳細で扇動的な告発状が、山のように大量に送り付けられたらしい。噂は尾ひれをつけ、俺は一夜にして「世界を滅ぼす大悪党」に仕立て上げられていた。
元々、俺のギルド内での評判なんて、地に落ちて泥にまみれてたようなもんだが、これで完全に「王都の敵」「危険思想の持ち主」「触れてはいけない狂人」という、取り返しのつかないレッテルが、ベッタリと貼られちまった。今頃、工房の周りでは、俺を糾弾する市民デモでも起きてるかもしれねぇな。まぁ、天文台に引きこもって修理に没頭してるから、直接的な影響はまだねぇけど。
「酷い……いくらなんでも、こんな……こんなデタラメな話、許されるはずがありません! レオさんは、そんな人じゃありません!」
アルトは、街から持ち帰ってきたその怪文書を怒りでビリビリに破り捨て、悔しさに声を震わせている。セレスティアも、俺に深い同情と、そして変わらぬ信頼の眼差しを向けていた。彼女たちのその態度が、今の俺にとっては唯一の救いだ。
「……気にするな、アルト君。どうせ、今更だ。俺の評判なんて、元々こんなもんだったのさ。俺が何者だろうと、俺たちがやるべきことは、何も変わらねぇ」
俺は平静を装って、努めて冷静にそう言ったが、内心は、マグマみてぇな怒りと、そして消し去ることのできない過去のトラウマで、グツグツと煮え繰り返っていた。
賢者の石事件……。あれは、俺にとって最大の汚点であり、決して消えることのない心の傷だ。あの事件で、俺は多くのものを失った。ギルドからの信頼、錬金術師としての名声、そして何より、錬金術という学問への純粋な探究心と情熱の一部を、あの爆発と共に失ってしまったんだ。
だが、同時に、あの絶望的な事件があったからこそ、今のこのひねくれた、しかしある意味タフな俺がいるのもまた事実だ。世間の評価や常識なんざクソ食らえと割り切り、誰にも頼らず、自分の信じる道だけを、孤独に、しかし頑固に突き進む、この面倒くさい性格も、ある意味、あの事件が俺に与えた歪んだ教訓の産物かもしれねぇ。
バルドゥスは、俺のその最も触れられたくない、心の奥底に封印してきた過去を、これでもかというほど無慈悲に抉り出し、俺を社会的に、そして精神的にも抹殺しようとしている。奴のその執念深さと、底知れない悪意には、もはや反吐が出るぜ。あいつは、自分の保身のためなら、平気で他人を地獄に突き落とすようなクズ野郎だ。
「レオさん……本当に、大丈夫なのですか……? 辛い記憶を、思い出させてしまって……」
セレスティアが、割れ物を扱うかのように、心配そうに俺の顔を覗き込む。彼女のその純粋で優しい瞳が、今の俺には少しだけ眩しすぎた。
俺は、彼女のその清らかな瞳を見て、ふっと自嘲気味な、しかしどこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。
「ああ、大丈夫だ、セレスティア。こんなことで、俺の覚悟が揺らぐとでも思ったか? むしろ、火に油を注いでくれたようなもんだぜ、あの馬鹿は」
そうだ。俺はもう、昔の俺じゃねぇ。過去の亡霊に怯える、弱い俺はどこにもいない。
今の俺には、命を賭してでも守るべきものがある。セレスティア、アルト、そして、彼女たちが心から信じるこの世界の、ささやかな未来だ。そのためなら、どんな汚名を着せられようと、どんな困難がこの先に待ち受けていようと、俺は最後まで戦い抜く。それが、俺の信念なんだからな。
「バルドゥスが何を企んでいようと、世間が俺をどう罵ろうと、俺たちのやるべきことはただ一つだ。この魔力調律器を完璧に修復し、セレスティア、お前の儀式を必ず成功させる。それだけだ。他のことは、その後でゆっくり考えればいい」
俺の力強い言葉に、アルトとセレスティアの顔に、再び不退転の決意の光が灯った。そうだ、それでいい。俺たちは、まだ終わっちゃいねぇんだ。むしろ、ここからが本当の始まりだ。
だが、その時、俺たちの知らないところで、事態はさらに深刻な、そして取り返しのつかない最終局面へと、急速に向かっていた。
「厄災の
王都の上空には、以前にも増して濃密な、血のように赤黒い不気味な紫色のオーラが、まるで天蓋のように立ち込めるようになっていた。それは、巨大な異形の捕食者が、今まさにその
もはや、一刻の猶予もねぇ。世界の終末へのカウントダウンは、誰にも止められない勢いで進んでいた。
俺たちの戦いは、バルドゥスという矮小な人間の悪意との個人的な確執を超え、この世界の存亡そのものを賭けた、文字通りの最終決戦へと、否応なく突入しようとしていたんだ。
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