第10話 厄災の予兆
「
昼夜問わず、複数の目つきの悪い密偵どもが、交代で見張り、工房の周囲をネズミ一匹通さない勢いで固めてやがる。まったく、そんな熱意と人員があるなら、とっととエーテル結晶体でも完成させて、国の役に立ってみろってんだ。あの男の優先順位は、どうも根本的にズレてるらしい。
俺は数日間、密偵どもの行動パターン、交代のタイミング、警戒が緩む瞬間などを徹底的に分析し、ついに奴らの監視が最も手薄になる一瞬の隙を突いて、工房の地下に昔こっそり掘っておいた秘密の脱出通路(賢者の石事件の後、万が一の事態に備えて用意しといたんだ。錬金術師たるもの、常に二手三手先を読んで行動しなきゃな。備えあれば憂いなし、だろ?)から、夜陰に紛れて脱出。
さらに、数種類の変装を重ね、追跡をかわし、ようやくセレスティアの天文台に星光鋼の触媒を届けることができた。我ながら、どこぞのスパイ映画の主人公も真っ青の、神業みてぇな潜入離脱劇だったぜ。
その頃、俺の個人的な苦労とは裏腹に、セレスティアの予言通り、世界には日に日に不穏な影が色濃く忍び寄り始めていた。「厄災の
王国各地で、説明のつかない原因不明の異常気象が、まるで示し合わせたかのように頻発した。春だというのに記録的な大雪が降って交通が麻痺したり、穏やかな湖が突然荒れ狂って津波を引き起こしたり、何日も何週間も灼熱の豪雨が降り続いて大規模な洪水と土砂崩れが起きたり、逆に雨が一滴も降らない極度の日照りが続いて大地は干上がり、作物が全滅したり。まさに、世界の終わりを予感させるような、天変地異のオンパレードってやつだ。
それだけじゃねぇ。普段は比較的大人しいはずの森林地帯の魔物が、突如として目を血走らせて凶暴化し、群れをなして人里や都市近郊まで襲撃してくる事件が、王国の至る所で多発。ギルドの冒険者たちは、その対応に昼夜を問わず追われててんてこ舞いだ。討伐しても討伐しても、次から次へと新たな魔物の群れが現れる。まるで、何かに駆り立てられているかのようだった。
さらに、不気味な地鳴りと共に、大小様々な地震が、これまでにない頻度で起こるようになった。王都の歴史ある古い建物なんかは、あちこちで壁に大きなヒビが入ったり、一部が崩落したりする被害が出ているらしい。民衆の間には、漠然とした不安と恐怖が急速に広まっていた。
「……やはり、始まってしまいました。『終焉の凶星』が、この世界にその冷たい牙を剥き始めたのです。星々の囁きが、それを明確に告げています」
セレスティアは、彼女の「星詠み配信」(視聴者は相変わらず俺くらいのもんだろうが)で、沈痛な面持ちでそう語った。彼女の美しい顔には、深い憂慮と、しかしそれを乗り越えようとする強い意志の色が浮かんでいる。その言葉の一つ一つが、まるで警鐘のように俺の心に重く響いた。
「このままでは、数ヶ月、いえ、もはや数週間後には、取り返しのつかない規模の大災厄が、この世界全体を飲み込むことになるでしょう。ですが、まだ希望はあります。先日、ある尊い方のご尽力により、ついに儀式を執り行うために必要不可欠な『星光鋼の触媒』が、私の手元に届きました。これがあれば……! これさえあれば、あるいは……!」
セレスティアは、俺が命がけで届けた星光鋼の白銀の円盤を、まるで祈るように両手で大切そうに掲げてみせる。その清浄な輝きは、暗い天文台の中で、唯一の希望の光のように見えた。彼女の瞳には、絶望の淵から這い上がろうとする、不退転の決意の光が宿っていた。
だが、王国の権力の中枢にいる連中は、そんな彼女の悲痛な叫びに耳を貸そうとはしなかった。権威のない、ただの若い星詠みの巫女である彼女の言葉に、真剣に耳を傾ける者はほとんどいなかったんだ。
王宮に巣食う老獪な学者や、ギルドの頭の固い幹部連中は、これらの頻発する異常現象を「たまたま複数の自然災害が、不幸にも同時期に重なっただけのこと」とか「太陽黒点の活動周期が、例年になく活発なせいであろう」なんて、何の根拠もない適当な理由をつけて片付けようとしていた。要するに、自分たちの無能さを認めたくないから、見て見ぬフリをして、問題を先送りにしてるってやつだ。本当に救えねぇ連中だぜ。
一方で、そんな世界の危機的状況などどこ吹く風、我がギルドの誇る(笑)筆頭錬金術師のバルドゥス様は、ますます精神的に追い詰められ、その醜態を晒していた。
国家の威信と、自らの名誉をかけたはずの「
何百回、何千回と実験を繰り返しても、できるのは安定性の欠片もない、低品質の役立たずなクズ石ばかり。おまけに、最近の頻発する異常気象のせいで、実験施設の精密な環境制御装置の調子も最悪で、思うように研究が進まない。まさに八方塞がり、泣きっ面に蜂ってやつだ。
王宮からは連日のように、「進捗はどうなっておるのだ!」「いつになったら結果が出るのだ!」という厳しい催促と、無能の烙印を押さんばかりの叱責の使者が訪れ、ギルド内でも、あれだけ彼を持ち上げていた取り巻き連中でさえ、彼の指導力を公然と疑問視する声が上がり始めていた。あれだけデカい口叩いて、大見得切ってたんだから、当然の報いってもんだ。
「くそっ! なぜだ!? なぜ私の完璧な計算通りに事が進まんのだ! 私の錬金術は、この国で最も優れているはず……! 何かが、何者かが、私の輝かしい成功を邪魔をしているに違いない……! そうでなければ、こんなはずはないのだ!」
バルドゥスは、豪華だが今は荒れ放題の自室で一人、高価な調度品を蹴飛ばし、苛立ちと焦りにその醜い顔を歪めて身を震わせていた。彼が長年かけて積み上げてきた、虚飾にまみれた名声と、根拠のないプライドが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくのを、彼は恐怖と共に感じていたのかもしれない。
失敗の原因を自分以外の何かに転嫁したい。その切羽詰まった醜い心理が、彼にある一つの、そして極めて悪質な疑惑を抱かせた。
「……そうだ、あのレオめ! あの忌々しい三流錬金術師が、龍の寝床から持ち帰ったという、あの怪しげな『星屑の鉱石』! あれこそが、この異常事態と何か深い関係があるのではないか? 奴は、この王国の危機的状況を利用して、何か良からぬ古代の危険な力を手に入れ、それを悪用し、私的利益を得ようと、あるいは私を失脚させようと企んでいるのかもしれん!」
もはや、まともな思考力を完全に失ったバルドゥスは、レオ=全ての悪の根源という、支離滅裂で荒唐無稽な妄想に取り憑かれ始めていた。自分の数々の失敗と無能さを棚に上げ、全ての責任をレオという都合のいいスケープゴートに押し付けようという、浅はかで卑劣極まりない考えだ。
バルドゥスは、すぐさまギルドの上層部に顔が利く者や、懇意にしている王宮の有力貴族たちに、根も葉もない嘘と悪意に満ちた情報を吹き込み始めた。
「王国各地で頻発する災厄……これは、単なる自然現象では決してありますまい! ギルドの一員でありながら、常に不審な行動を繰り返しているレオなる錬金術師が、禁断の古代遺物を密かに持ち出し、何か世界を揺るがすほどの不穏な実験を繰り返しているとの、確かな情報があります! 奴こそが、この未曾有の混乱の元凶である可能性が極めて高いのですぞ! 一刻も早く、奴の工房を捜索し、その危険な活動を調査し、必要とあらば即刻拘束すべきです! 手遅れになる前に!」
もちろん、何の具体的な証拠もない、完全な言いがかり、いや、もはや捏造だ。だが、王国の危機的状況という混乱と、バルドゥス自身の筆頭錬金術師としての権威を巧みに利用して、彼は周囲の不安を煽り、巧みに自分に都合の良いように扇動し始めたんだ。
その結果、俺のオンボロ工房周辺の監視は、以前にも増して厳重かつ悪質なものとなった。ギルドの正規の警備兵まで公然と動員され、俺は完全に「国家の敵に与する危険人物」として、ギルドのブラックリストの筆頭にマークされる羽目になっちまった。
やれやれ、とんだとばっちりもいいところだぜ。俺はただ、セレスティアを助けて、ついでにこの世界がぶっ壊れるのを止めたいだけだってのによ。なんでこう、俺のやることはいつも邪魔が入るのかねぇ。
だが、バルドゥスの焦りは、それだけでは収まらなかった。彼の狂気じみた執念は、やがて暴走し、さらにエスカレートしていくことになる。それは、もはや誰にも止められない破滅へのカウントダウンの始まりだったのかもしれない。
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