第2話 禁書庫の写本と闇市場
セレスティアに新しい観測レンズを届けてから数週間。彼女の「星詠み配信」は、以前にも増して熱を帯びていた。
『新しい観測機器のおかげで、星々の微細な動きが手に取るように分かるようになりました! 古文書の記述と照らし合わせると、やはり……「大いなる揺らぎ」の兆候が強まっています』
彼女の言葉は専門的で難解だが、その声には確信と、ほんの少しの焦りが感じられた。
どうやら、俺の作ったレンズは期待以上の働きをしてるらしい。そりゃそうだ、俺が全身全霊を込めて作った最高傑作だからな。
だが、そんなある日の配信で、セレスティアは深いため息をついた。
『……この「大いなる揺らぎ」の正体を突き止めるには、どうしても「アトラトル天文古写本」の情報が必要です。でも、それは王立大図書館の、それも一般の閲覧が禁じられている「禁書庫」にしか収蔵されていないのです……』
禁書庫、ね。厄介な話だ。
王立大図書館の禁書庫ってのは、その名の通り、特別な許可がなきゃ入れない場所だ。王族とか、一部の高位貴族、それからギルドの筆頭クラスの学者様とか、そういう連中だけが利用を許されてる。
俺みたいな場末の落第錬金術師が、正面から「見せてください」なんて言っても、門前払いされるのがオチだ。
だが、セレスティアが必要としてるんなら、手に入れないわけにはいかねぇ。
「さて、どうしたものか……」
俺は顎に手を当てて考える。
方法は一つしかねぇよな。
──潜入して、ブツを拝借する。これっきゃない。
もちろん、盗むわけじゃねぇ。必要な情報を写し取るだけだ。所有権は王立大図書館様に置いといてやる。心が広いだろ、俺?
というわけで、まずは情報収集だ。
ギルドの隅っこにある情報屋の溜まり場とか、裏路地の怪しげな酒場とかを巡って、禁書庫の警備体制、見取り図、見回りのローテーションなんかを徹底的に調べ上げた。金はかかったが、必要経費だ。
次に必要なのは、潜入用の特殊な道具だ。足音を消すための「消音軟膏」、短時間だけ姿を消せる「
これらを作るには、それなりに質の良い素材と、触媒が必要になる。つまり、金がいる。
また金かよ……。俺の懐は常にスカスカだ。
仕方ねぇ。久しぶりに、あの場所に顔を出すか。
俺が向かったのは、王都の地下に広がる「忘れられた遺物市場」──通称、闇市場だ。
ここは、表の世界じゃお目にかかれないような怪しげな品物や、盗品まがいのブツが取引されてる、アングラな市場だ。錬金術師ギルドが眉をひそめるような、禁断の素材なんかも手に入ったりする。
俺はフードを目深に被り、人混みをかき分けて市場の奥へと進む。
目当ては、この闇市場の元締め的存在、「マダム・シャドウ」の店だ。
マダム・シャドウは、年の頃は不詳だが、妖艶な雰囲気を漂わせた女だ。闇市場の全てを知り尽くしてると言われる情報通でもある。
「あら、レオじゃないの。久しぶりね。今日はどんなガラクタを持ってきたんだい?」
薄暗い店のカウンターの奥で、マダム・シャドウがキセルをふかしながら俺に声をかけた。相変わらず、全てを見透かすような目をしている。
「ちょっとした小遣い稼ぎにね。これ、どうかな?」
俺は懐から、手のひらに乗るくらいの小さな箱を取り出した。中には、俺が暇つぶしに作った超小型の永久機関が入っている。
いや、永久機関つっても、古代技術の劣化コピーみたいなもんで、出力はロウソクの火を揺らすのがやっとくらいの微々たるもんだ。実用性は皆無。まさにガラクタ。
だが、見た目だけはそれっぽく、精巧な歯車がカチカチと音を立てて回り続けている。こういうのをありがたがる、金だけ持ってる目の利かないコレクターってのがいるんだよな。
マダム・シャドウは、片眼鏡モノクルでそれをじっくりと鑑定すると、ニヤリと笑った。
「ふぅん……相変わらず、面白いモンを作るじゃないか。いいだろう、これで銀貨三十枚。どうだい?」
「銀貨三十……まぁ、そんなもんだろうな。それでいい」
本当はもっと価値があるのかもしれんが、足元を見られるのは承知の上だ。今の俺には、すぐに現金が必要なんだ。
取引を終えると、マダム・シャドウが意味深な笑みを浮かべて言った。
「あんたほどの腕がありながら、なんでそんな場末の工房で燻ってるんだい? ウチで専属になれば、もっといい暮らしができるだろうに」
「はは、俺は今の自由な暮らしが気に入ってるんでね。じゃ、また来るよ」
俺はマダムの誘いを適当にかわし、足早に店を後にした。あんな胡散臭い女の世話になるのはごめんだ。
銀貨三十枚。これで潜入用アイテムの材料は揃う。
工房の地下ラボに戻り、早速アイテムの製作に取り掛かる。数時間後、全てのアイテムが完成した。
決行は今夜。警備が一番手薄になる、深夜二時だ。
黒ずくめの格好に着替え、顔には影を作るための特殊な軟膏を塗る。準備は万端。
月明かりもない新月の夜、俺は王立大図書館の分厚い壁に取り付いた。
自作の「吸着グローブ」と「消音軟膏」のおかげで、俺はヤモリみてぇに壁をスルスルと登り、音もなく禁書庫の窓の一つに辿り着く。
窓の鍵は、これまた自作の「スケルトンキー」で数秒で解除。俺ってば天才じゃね?と心の中で自画自賛。
音もなく禁書庫の中に滑り込む。中は、古書の独特の匂いと、静寂に満ちていた。
事前の情報通り、目当ての「アトラトル天文古写本」は、禁書庫の最奥、厳重なガラスケースの中に収められていた。
ガラスケースの鍵も、ちょちょいのちょい。
古写本を傷つけないように慎重に取り出し、特殊なインクとペンで、必要なページを寸分違わず写し取っていく。これも古代の速記術を応用した俺の特技だ。普通の人間なら数日かかる作業を、俺は数時間で終わらせちまう。
全ての写し作業を終え、古写本を元通りにケースに戻した時だった。
「……レオさん? こんな時間に、ここで何を……?」
背後から、ひそやかな声がした。
しまった! 完全に油断してた!
恐る恐る振り返ると、そこには、見覚えのある若い男が立っていた。
アルト。ギルドの後輩で、数少ない俺の理解者……というか、俺のことを「落第錬金術師」と見下さずに、普通に話しかけてくれる奇特な奴だ。こいつも、特別な許可を得て夜間研究でもしてたのか?
アルトは、俺の黒ずくめの格好と、手に持った写本を見て、目を丸くしている。
ヤベェ、これはどう言い訳しても……。
「……あー、アルト君か。いや、ちょっと夜風に当たりに来ただけだよ。君も、あまり根を詰めると体に悪いぞ?」
我ながら苦しすぎる言い訳だ。アホか俺は。
俺はそう言って、アルトの脇をすり抜け、足早に窓から脱出した。
背後で、アルトが何かを呟く声が聞こえた気がしたが、振り返る余裕はなかった。
クソ、見られちまったのは計算外だが……まぁ、アルトなら
今はとにかく、この貴重な情報をセレスティアに届けねぇと。
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