第3話座学も戦場
春の柔らかな日差しが差し込む教室。
神徒学園の1年生たちは、整然と並んだ木製の机に向かい、ノートを広げていた。ホワイトボードには《神性理論/塔階層対応表》と題されたスライドが表示され、そこには古今東西の神々の名と属性、関連階層、由来がびっしりと記されている。
「よく覚えておけ。塔の各階層には“対応する神の神域”が再現されている。そこに宿る神性に無知な者は、試練の謎も解けず、力の暴走で命を落とす」
教壇に立つのは、神性理論担当の雪見先生。涼やかな眼差しで生徒たちを見渡しながら、静かに、だが鋭く言葉を続ける。
「たとえば――第5
生徒たちの手が、一斉にノートに走る。
「……力は、すでに君たちに与えられている。だが制御できなければ神格は暴走し、仲間を傷つけ、契約そのものを破棄される。力を保ち、塔を登るには《神を知る》ことが最も重要だ」
隣でノートをびっしり埋めている一臣に対し、勇征は腕を組んで唸っていた。
(チンプンカンプンだな……“神域”とか“象徴の理解”とか。オレは拳でぶっ倒して進むほうが性に合ってんだが……)
「座学は基礎だが、軽視してはならん」と雪見先生は続ける。「ここで学ぶ神話理論、塔内法、契約制度、すべてがいずれ命を救う鍵になる」
次に映されたスライドには、過去の事故例が映し出される。塔内で神性暴走により消滅した数名の使徒の記録だった。教室の空気が一気に緊張する。
「命令や筋力ではどうにもならん試練が、塔にはある。“神の論理”で築かれた場所に、“人の理屈”で挑むな」
勇征の拳が机の下でぎゅっと握られる。
彼は無言でノートを開き、ペンを手に取った。
放課後。夕焼けが教室を照らし、2人は廊下を並んで歩いていた。
「なぁ一臣、ほんとにあれ、全部必要か?」
「必要だ。塔に登るなら、なおさら」
「……くそ、地味なのに大事ってのが一番キツイぜ……」
一臣は微かに笑ったように見えたが、表情は変わらない。
「まぁ、模擬塔演習が始まったら本番だ。お前、また組むよな?」
「もちろん。……こっからテッペンまで競争だ。一位はもちろん俺だからな、覚悟しとけよ」
「ああ」
二人の影が長く伸びていく。
その先には空に溶けるように聳え立つバベルの塔――
神々の理と人の希望が交差する、果てなき試練の象徴が、確かに存在していた。
授業を終えた夕方、寮の食堂はすでに賑わいを見せていた。
長机がずらりと並ぶホールには、各国訛りの日本語が飛び交い、制服の上から民族装飾や神紋アクセサリーを付けた生徒が目立つ。神徒学園の寮は、国内外から集まった“神に選ばれし者たち”が寝食を共にする場。塔のように、ここにもまた、縮図としての世界があった。
「おい、あれ……“ミネルヴァの千里眼”ってアカウントの人じゃねぇか?」
「マジ?フォロワー10万超えてんじゃん……!」
数席先のテーブルでは、スマホをチラ見しながらざわつく一団。
指差されたのは、銀縁メガネの女学生。知的な空気を纏いながらも、サラダと豆腐しか取っていない。
「SNSでは神性の応用解説がめちゃくちゃ分かりやすいって話題なんだよ。去年、60階まで行ったんだってさ……!」
その声に、勇征は「すげーな」と口笛を吹きながらカレーを盛っていた。
一方、一臣はその横で黙々と和定食を選び、食事トレイを整えている。
二人が座ると、少し離れたテーブルでは別の会話が飛び込んできた。
「今日もまた、光明神の使徒の子が図書室こもってたって。夜中までいたらしいよ」
「真面目すぎじゃない? っていうか、神様がそういう子を好むんでしょ。ウチの雷神なんて“力は拳で語れ”だもん。まじキツい」
「わかるぅ」
天界も地上も、神々の理想はそれぞれだ。
勇征は飯を頬張りながら、「勉強してる暇あんなら、模擬塔ぶっ通しで潜ってたほうがいいだろ」などと呟くが、一臣はそれに対してすぐに言葉を返す。
「神性は知で整え、力で昇華する。前者が欠けたら、後者はただの暴走だ」
「……お前、先生より厳しくね?」
「当たり前だ。塔で死なないための話だ」
夕食を終えた後、寮へ戻ると廊下から漂うのは、カレーや焼き魚の匂いと、ほんのりとしたインクの匂い――どこか懐かしい空気だった。
各部屋の扉は開け放たれ、パジャマ姿でストレッチする者、スマホでSNSの塔攻略動画を観ている者、そして教科書に真剣なまなざしを注ぐ者。
「おい、一臣……あれ見ろ」
階段の踊り場に敷かれた毛布の上、静かに祈る少女の姿があった。
小さな祭壇と、神の象徴らしき風の羽の紋章。きっと風の神の使徒だ。
「……信仰も、学びの一部だ」
そう一臣が呟くと、勇征は鼻を鳴らしながらも、部屋へ戻る足を早めた。
「明日、演習だっけか?」
「ああ。模擬塔、第二階層まで解放される」
「よっしゃ、やっと拳が唸るってもんだ!」
一臣はその言葉に笑いはしなかったが、ほんの少しだけ足を止めて頷いた。
夜はまだ長く、塔の入り口までは遠い。
けれどこの場所から、確かに彼らの物語は始まっていた。
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