第10話 奈落の心臓部──神々の残火

 ゴオオオ――。

 昇降台が最後の衝撃とともに停止した。耳をつんざく低音は、いつの間にか胸骨の裏を叩く鼓動へ溶け込み、周囲の空気から“重さ”が消える。


「う、浮いてる!?」

 コリンが盾を抱えたまま宙にぷかり。足場も壁も“下”へ落ちていったように感じるのは、ここが 無重力領域だからだ。


「エーテル密度が臨界を超えると、質量が希薄化するって文献に……って聞いてないわね」

 セレスティアは平然とマントを泳がせて姿勢を整える。半精霊の身体感覚は人間より柔軟らしい。


 ライルは剣を支えにしようとするが、肝心の剣もふわふわ。代わりに“残響”の糸が耳奥で震え、空間のどこか一点を強く指し示した。

「重力の代わりに“音”が方向を教えてる……?」


 正面――〈心臓室〉と呼ぶのがふさわしい巨大空洞。中心に真紅と蒼白が層を成すコア炉が脈打ち、内部で炎のような光が渦を巻いている。

 しかし外殻の一部が抉れ、そこだけ漆黒の“空洞跡”が広がっていた。


「ゼクスが欠片を剥ぎ取った痕ね」

 セレスティアの声がほんの少し遅れて届く。音速すら揺らぐ濃密な空気。


 ライルの短剣――“灰色命令符”付きの刃が、炉へ引き寄せられるように震え出した。

「ここで初期認証を通さないと、封印の制御権を奪われる」

「やるしかないな」


 無重力下の“泳ぐ”移動でコア炉の制御台へ近づくと、半球状の端末が灰光を散らすスロットを露わにする。

 ライルが短剣を差し込むと、端末が低いうねりを上げた。

『灰色命令符 第1世代ID──認証……』


 刹那、空間が共振した。

 リンクは“波”ではなく“点”に圧縮され、ライルの胸へ針のような衝撃が突き刺さる。

「ぐっ……!」

「ライル!」


 セレスティアが腕を伸ばすより早く、端末から赤と蒼の火花が噴き上がり、残存フレアが放射された。

 炎が燃え広がる様子はなく、むしろ“光が凍る”ように空中に留まり、触れた盾の表面をガラス質へ変えていく。


「これが〈神々の残火〉……エーテルが固形化した結晶炎だ!」

 セレスティアが呟くのと同時に、空洞の暗部で巨大な影が蠢いた。


 影は一枚の翼のように広がり、無数の眼孔が赤く灯る。

 ――ディオス=ギア欠片と直結して肥大した影獣強化体(ギア・アビス)。ゼクスが置き土産として残した怪物だ。


「ここ重力ゼロだから、衝撃波が逃げない……一撃でも食らったらアウトね」

「飛び道具なら俺より任せろ!」

 コリンは盾裏から応急ボウガンを取り出した。鍛冶屋の廃材を組み直した即席兵器だが、矢じりには回収したディオス動力セルを装填済み。

「【フライパン・カタパルトΩ】発射ァ!」

「ネーミング長い!」


 放たれた矢はセルの余剰エネルギーで青い光尾を曳き、影獣の一眼孔を弾けさせた。だが数十の眼が同時に開き、黒い触手が網のように広がる。


 ライルは残響の“点”感覚を掴み、剣の刃先へ集中。刃がチリ、と光子を裂いて一点の共鳴槍へ変質する。

「……行ける!」

 一撃、まるで星を貫く隕石のように直線で突き抜け、触手網に穴を開けた。瘴気が漏れ、炎結晶が空中に散る。


 セレスティアは風精霊の矢を連射。無風のはずの空間に“精霊風”が流れ、散った結晶炎を巻き上げて光の弾幕を作る。

「残火を矢羽に纏わせる!」

 紅蒼の火花が尾を曳き、影獣の核へ収束した。


 核がヒビを生み、影獣が凄まじい歪みの悲鳴を発する。だが最後の足掻きで黒い口腔が開き、コア炉そのものを丸呑みにしようと襲い掛かった。


「させるかぁぁ!」

 コリンが盾をジャイロハンマーのように回し、影の口内に突っ込む。盾が砕けてもセル弾は残り、炉壁で暴発――。

 白熱の閃光とともに、影獣は四散した。


 静寂。無重力空間を、かすかな炎の粒と灰色の光が漂う。

 ライルは端末に残った短剣を抜き、深呼吸した。

『第1命令符起動──封印制御権:暫定回復』


「……成功、した?」

「うん。けど封印レベルは五割まで低下してる。ゼクスが持ち去った欠片が“制御核の右半分”なら、残り三枚の命令符だけじゃ追いつかないかも」

 セレスティアが残火結晶を試験管へ回収しながら眉をひそめる。


 ライルは剣の輝きを見つめた。波ではなく、点として聴く共鳴――新しい感覚が指の先で脈を打つ。

「追いつけないなら、共鳴をもっと細かく――“線”や“面”に織り上げればいい」

「布地にする気か!? 発想だけは大胆だな!」

 コリンが盾破片に腰を下ろし、肩で息をする。盾は二枚目も粉々だ。


「ありがとう。盾がなかったら終わってた」

「はは、鍋蓋テイストは減ったけどな。次はもっと硬いのを鍛えてやるさ」


 コア炉の残火が揺れ、その奥に新しい通路が現れた。

「ゼクスはこの先の“竜骨輸送管”を経由して第2フォールトへ移動したとみて間違いない」

「陽炎地帯……火属性過剰環境だったな」

 セレスティアが地図を示すと、ライルは頷く。


「重力を取り戻す前に休憩を挟もう。次は地獄の熱波だって聞くし」

「休む前にまず飯!」

「ここで? 無重力で?」

「ぐぬ……浮くスープは飲みづらい!」


 結局、三人は“残火”で温めたパン片をかじりながら、コア炉の穏やかな鼓動を背に息を整えた。

 無重力に浮かぶ橙の炎越し、ライルの眼に“灰”の輝きが灯る。


 ゼクスは先へ行った。欠片も奪われた。

 だが灰の騎士の剣は、まだ燃えている――。

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