ある女子学生の語り2

夏の午後の研究室は、いつもより静かで、窓から差し込む陽光だけが埃っぽい空気を照らしていた。レポート作成のためにパソコンに向かっている私の横で、珍しく教授室が片付いていた。普段は書類の山に埋もれている先生が、今日は清潔感のあるシャツにチノパンという、どこかよそ行きの格好をしている。

「何かご予定でも?」

そう尋ねると、先生は珍しく微笑んで、「ああ、永禮村について、貴重な資料を持っているという方がいらっしゃるんだ」と答えた。

しばらくして、控えめなノックの音が響いた。ドアが開くと、上品なワンピースに身を包んだ、物腰の柔らかな女性が立っていた。四十代くらいだろうか。若い頃は、さぞかし美しい女優のようだっただろうと、一瞬そう思った。先生は立ち上がり、丁寧に彼女を教授室へと招き入れた。慌てて準備したお茶菓子と冷たい麦茶を彼女の前に置くと、先生は軽く挨拶と自己紹介を済ませ、私のことを助手として紹介してくれた。同席を許されたことに、少し緊張する。

女性が大切そうに鞄から取り出したのは、深い緑色の風呂敷だった。丁寧にほどかれた中から現れたのは、和紙で綴じられた古い手記と、一枚の、見慣れない土地の描かれた地図だった。

彼女は静かに語り始めた。彼女の祖父は、永禮村の神崎という由緒ある神主の家系の出だったという。可愛がっていたミヨという妹がいたが、悲しいことに、村を襲った山火事で家族全員を失ってしまったらしい。語る彼女の声は、どこか遠い記憶を辿っているようだった。

先生は、その手記をしばらく預からせてほしいと丁寧に彼女に頼んだ。女性は快く頷き、先生が用意した借用書と同意書にサインをした。先生は、控えのコピーを私に頼み、律儀に控えと原本、そして大切な手記と地図を丁寧に揃えて机の脇に置いた。彼女には、借用書と同意書の原本が手渡された。

彼女からの相談は、その地図についてだった。広げられた古びた地図を覗き込んでいると、ふと、奇妙な既視感に襲われた。どこかで、これに似た地図を見たことがある。

私は、おもむろに自分のカバンの中のクリアファイルを取り出した。市役所の先輩から、例の祠の調査のために渡された地図だ。それを先生と彼女の目の前に広げると、二人は目を丸くして私を見た。「これは、どちらの地図ですか?」と、彼女は少し声をうわずらせて尋ねた。

私は、これは先日調査に行った、とある祠の地図であることを説明した。周辺の撮影は済ませたものの、肝心の祠だけ、写真撮影に失敗したことも付け加えた。さすがに、あの赤黒いすすのようなものが付着した不気味な写真については、言葉にすることができなかった。そして、先輩からもらった地図には、祠の場所を示す印とは別に、もう一つ、離れた場所にバツ印が記されていたが、まだ調査できていないことも話した。実際、あの写真のことを思うと一人で調査に行く気にはなれなかったのだ。

彼女は、私の説明に納得したのか、深々と頭を下げ、「ありがとうございます」と静かに言った。先生は、何か新しいことが分かれば、また連絡すると彼女に伝えた。彼女は、もう一度丁寧に頭を下げ、研究室を後にした。

彼女と別れた後、先生は神妙な顔つきで、私の撮ったという祠の写真について、改めて尋ねてきた。私は、躊躇しながらも、パソコンのフォルダーを開き、あの異様な写真を先生に見せた。画面に映し出された赤黒い指の跡を見た先生は、 はっきりと「やはり、ただ事ではなかったんだな」と呟いた。その言葉には、確信のようなものが宿っていた。

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