ある薬草研究者の語り
製薬会社の研究室に籠る日々、遠心分離機が唸る音を聞きながら、私は新たな薬効成分の探索に没頭していた。合成化合物も重要だが、長年培われてきた民間薬の知恵には、現代科学では解明しきれない力が宿っていると信じている。特に、その伝来、薬効、製法に関する情報収集は、私のライフワークと言っても過言ではない。
ある時、地方に伝わる奇妙な民間薬の噂を耳にした。飲むとたちまち痛みが消え、嗅ぐと癇癪が鎮まり、塗ると永く若さを保てるという。まるで霊薬のようなその薬は、「くろまんじゅ」という薬草を主成分に作られるらしい。「くろまんじゅ」とは一体何なのか。文献を渉猟する中で、偶然、古本屋の埃を被った棚の奥から、明治時代の道修町にあった商家の出納帳を見つけた。
薄茶色に変色した和紙を丁寧に紐解くと、「くろまんじゅ」の項目があった。それは、黒い曼殊沙華を意味し、開花後の鱗茎を含んだ植物全体を仕入れていたようだ。帳面には、商家の主の趣味だろうか、黒い曼殊沙華の繊細な図まで描かれていた。仕入れ元は、唯一、「永禮村 神崎」と記されており、希少な植物であったことが窺える。取引額は一度にかなりの高額に上り、しかし、その頻度は不定期だった。
永禮村。聞き慣れない地名だった。調べてみると、戦前に大火で消失し、現在は近隣の市に合併されているという。その地に、今はもう存在しない幻の薬草、「くろまんじゅ」がかつて自生していたのだろうか。そして、その特異な薬効は、本当に伝承の通りなのだろうか。
いてもたってもいられなくなった私は、久々に大学時代の恩師に連絡を取った。希少な植物の痕跡を探したい、永禮村について何か手がかりはないだろうか、と。恩師は快く協力してくれ、永禮村が合併された市の歴史に詳しい人物を紹介してくれることになった。
紹介されたのは、大城大学文学部総合歴史学科 民族学研究室 教授、柳井純一という人物だった。専門は土着信仰で、私の研究とは全く異なる分野だが、地域に根差した伝承や歴史に詳しいという。面識はなかったが、藁にもすがる思いで、私は彼にメールを送ることにした。黒い曼殊沙華、「くろまんじゅ」の謎を解き明かすための、小さな一歩を踏み出したのだ。果たして、幻の薬草は、歴史の闇に消え去っただけなのだろうか。それとも、今もどこかにひっそりと息づいているのだろうか。私の探求は、始まったばかりだった。
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