ある民俗学者の語り2

夏の強い日差しがアスファルトを焦がす昼下がり、私は学生の高梨と共に、所在地の駅からほど遠い、各駅停車しか停まらない寂れた駅前に立っていた。吹き抜ける風は生温く、小さな駅舎の影だけが、僅かな涼を与えてくれる。待つのは雨宮という若い男。彼は、神崎家の手記に記されていた黒い花の由来を知っているという。異なる専門を持つ人間同士が、一つの謎を共有する。知的好奇心とは、かくも人を駆り立てるものなのだ。

やがて、Tシャツにジーンズというラフな格好の雨宮が、少し息を切らせながら現れた。挨拶もそこそこに、私たちは駅前の古びた純喫茶へと場所を移した。薄暗い店内、年季の入ったソファ、そしてどこか懐かしいコーヒーの香り。時代に取り残されたような空間が、却って思索には適している。

雨宮によれば、黒い花は「くろまんじゅ」という俗称で呼ばれており、その特異な薬効から、かつては高額で取引されていたらしい。彼は薬草研究の過程で、神崎家と永禮村のことを知って、この地の伝承に興味を持ったという。一方、私は永禮村の焼失、そして高梨が遭遇した謎の祠について語った。失われた村、記録から消えた伝承、そして、不気味な影を宿す祠。それぞれの点が、まだ線として繋がらない。

話が煮詰まりかけた頃、店のドアベルが控えめに鳴り、一人の女性が入ってきた。見慣れた顔だった。元ゼミ生の矢代だ。彼女は市役所に勤務しており、所有者不明の地蔵尊や祠などの管理・撤去を管轄する部署に配属されている。私がフィールドワークとして調査研究する代わりに、彼女が調査に必要な許可証や情報を提供してくれる。いわば、持ちつ持たれつの関係だ。

「お久しぶりです、先生」

矢代はにこやかに私に挨拶し、隣に座る高梨にも「久しぶり」と手を振った。雨宮には、「どうも、初めまして、矢代です」と軽く頭を下げた。

私が矢代に会いに来てもらったのは、神崎家の地図に記されていた二つのバツ印についてだった。高梨が訪れた祠は、この場所からそう遠くないらしいが、もう一つのバツ印は一体どこを示しているのか。

矢代は地図に目を凝らし、「この感じだと、恐らく一駅先の市街地になると思います。彼女に渡した地図と同じ場所かと。」と答えた。

それならば、まずは高梨が訪れた祠の場所へ皆で向かうのが得策だろう。それぞれの持つ情報を照らし合わせることで、何かしらの糸口が見つかるかもしれない。

矢代によれば、祠の近くで落石があり、祠の一部が損壊したとのことだった。すでに工務店に修繕を依頼しており、一週間後には作業が行われる予定だという。その前日には、作業の無事を祈念して、簡単な神事が執り行われるらしい。

再び駅に戻り、住宅地を抜けて小路から山道に入る。鬱蒼とした木々に囲まれた、昼なお暗い場所に祠はひっそりと佇んでいた。しかし、周囲は綺麗に手入れされており、下草は刈られ、供えられた和菓子はまだ新しく、ペットボトルのお茶には水滴が付いていて、まだ冷えているようだった。誰かが今もこの祠を大切に守っているのだろうか。

雨宮は、目の前の光景に感嘆の声を上げた。「ここが、かの場所ですか……」

私は、資料のために写真を撮ろうとしたが、高梨の「うまく写らなかった」という言葉と、あの不気味な赤黒い指跡が脳裏をよぎり、躊躇してしまった。代わりに、祠に敬意を払い、静かに手を合わせた。そして、懐から手帳とペンを取り出し、余白に簡単なスケッチを描き始めた。

その時だった。「ひっ」という、短い悲鳴のような叫び声が聞こえた。声の主は雨宮だった。彼は、何か黒いものが素早く目の前を通り過ぎた、と言い、驚きのあまり尻餅をついていた。一体、何が……?周囲を見回したが、それらしき影は見当たらない。ただ、じめっとした夏の空気が、重く肌にまとわりついていた。

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