ある婦人の語り

三回忌を終え、がらんとした仏間に残されたのは、祖父の生きた証のような古びた品々だけになった。両親は二人とも介護施設に入り、広すぎる家には、時折顔を出す子供たちの気配と、夫の不在だけが重く漂っている。まるで、抜け殻のようだ、とふと思った。

今日は、残された葛籠つづらに手を付けることにした。重い蓋を開けると、黄ばんだ和紙に綴られた日記と、二か所に赤いバツ印が記された手書きの地図が出てきた。祖父の筆跡だろうか、丸みを帯びた文字が、過ぎ去った時間を物語っている。

祖父は生前、訥々とつとつと、しかしどこか寂しげに、永禮村という村で育ったことを語っていた。大火事で全てを失ったこと、ミヨという可愛らしい妹がいたこと、そして、父親が神主をしていたこと。多くは語らなかったが、その言葉の端々には、拭いきれない哀愁が滲んでいた。

日記を繰ってみると、終戦直後から書き始められているようだ。時折、過去の回想が挟まれており、その部分だけ、文字が少し震えているように見える。

八月某日の頁には、こうあった。『永禮村の大火事から、幾年経ったのだろうか。いまでも、あの日のことを鮮明に覚えている。足を骨折して、数年ぶりになるであろう永禮村のお清め祭に、参加できず、町の病院の窓から永禮村の方角を、不甲斐ない気持ちで眺めていた。窓を大きく揺らすような、大きな風が過ぎ去ったかと思ったら、永禮村の方向が、赤々と焼けているではないか。病室では、山火事だと騒ぎになり、看護師が部屋にやってきて皆を落ち着かせたが、心境穏やかではなかった。』

八月某日。それは、祖父が亡くなった日と同じ月日だった。偶然だろうか。

日記には他にも、祖父が住んでいた神社のことや、立派な邸宅のことが書かれていた。近所の人々からは「神崎のボン」と呼ばれていたらしい。神主だった曾祖父は、村の貧しい人々に施しや仕事を与え、生計を支えていたという。慈悲深い人だったのだろう。社殿の別棟の裏手にある祠の周りには、数年に一度、黒い花が咲いていたという記述もあった。その別棟には決して入るなと、曾祖父は祖父に厳しく言い聞かせていたようだが、幼い祖父は、妹のミヨを連れて、時々忍び込んで遊んでいたらしい。穏やかな思い出話の中に、ふと現れる不吉な黒い花。別棟への禁忌。小さな引っ掛かりが、心に残る。

しかし、あの二か所にバツ印がつけられた手書きの地図については、日記には一切言及がない。一体、何を意味する地図なのだろうか。祖父は、どこを示そうとしていたのだろう。

何気なく机の脇に目をやると、一枚の名刺が落ちているのに気づいた。確か、いつだったか、市のカルチャーセンターで民話と伝承の講演会に参加した時にもらったものだ。大城大学文学部総合歴史学科 民俗学研究室 教授、柳井純一。専門は、土着信仰。永禮村のことも、何か知っているかもしれない。私は、その名刺を手に取り、電話をかけることを決めた。祖父の残した謎を解く手がかりが、そこにあるかもしれない、と微かな期待を抱きながら。

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