シン・演繹法

加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】

一見壊れない、壁を、殴る。

 演繹えんえきとは、なんだろう。


 それは、数学や科学に見られるような、絶対(草)普遍の大前提から、抽象的論理的(?)推論によって具体的論理的(?)結論を導く、などと言われている。


 既存の演繹的推論は、「三段論法」という例を用いるならば、


 大前提:生き物は、死ぬ。

 小前提:爬虫類は、生き物である。

 結論:爬虫類は、死ぬ。


 のようであるが。


 違う。

 違うのだ。


 視野が狭い。


 「実は生き物が死なない世界がある」としたら、どうだろうか。


 力ーズ的、工イリアン的な究極生命体が、いるかもしれない。


 本当だと思っていたことが嘘だった、なんてことは、この世にありふれている。


 宇宙はないかもしれないし


 地球は丸くないかもしれないし


 地球は回っていないかもしれないし(ホバリングしてみよう!)


 地球温暖化はないかもしれないし


 海面上昇で沈む国はないかもしれないし(ツバノレ?)


 ←ん!竹輪←は兵器かもしれないし(というかそうですよね? 白堊館はくあかんや一部野党の見解は?)


 力"ンは¡🔥ポンプかもしれないし


 スススでタップタプなサイボウグはあるかもしれないし(ありまぁす!)


 人工起床操作はあるかもしれないし(ある。目覚まし時計)


 人工気象操作はあるかもしれないし(ある。ソースは内閣府https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub8.htmlと東京都奥多摩https://www.koho.metro.tokyo.lg.jp/diary/report/2022/12/19/01.html)


 きゅうりには栄養がたくさんあるかもしれないし(ある。カリウムなど。栄養の定義が狂っている)


 献血の血は、高利で売られているかもしれないし


 吸血鬼はいるかもしれないし(最寄りのエナジーバンパイアを人間関係断捨離しよう!)


 恐竜はいなかったかもしれないし


 巨人はいるかもしれないし


 オータニはすごいし(それはそう)


 雑草は意外と食えるし


 ここまでの私の発言は全て嘘八百かもしれない。


 普遍の真理だと大前提が崩れ去った時(その時はしばしばやってくる)、演繹という推論法は、より外側の入れ子の、より大きな前提を認めることとなる。


 己が、あるいは己の知恵や考えが、真理の入れ子の最外殻に位置するなどと、思わない方が、良いのではないだろうか。


 アルコールスプレー噴射で消毒される細菌など微生物は、人間のアルコールスプレー開発以前に、まさかそのような強力な毒霧が己が身に降り注ぐなどと、想像しただろうか。


 植物たちは、まさか己が根で地から吸い上げるよりも多くの、より有害な霧を、上方から、浴びるなどと想像しただろうか(人工の防腐剤や農薬のことである)。


 古来から温和安定な土地に住んできた人間も、狂気の連弾台風やゲリラ豪雨や線状降水帯といった、しばしば汚ねぇ何かを含む毒雨毒嵐を浴びる羽目になると、想像しただろうか。


 なんならもっとヤバい何かが、我々を襲うかもしれない。


 空から、

 泥団子が降ってくる。

 人が降ってくる。

 ナイフが降ってくる。

 亀が降ってくる。


 世の中何が起こるかわからないのだから、既存の演繹的推論の牢獄に引き篭もるのも、ほどほどにした方がいいのではないだろうか。


 世は入れ子である。


 外側には外側がある。


 ウォールなんとかの外にウォールなんとかがある。


 科学とカルト宗教は紙一重である。


 改宗というのがあるように、改科学、いや開花学、新たな境地へ開花することが、あってもいいはずだ。


   〈了〉

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シン・演繹法 加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】 @sousakukagakura

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