第5章【文学なんて、うんざりだ。】
早く刑期を終えようと頑張り、模範囚に選ばれ、8ヶ月で出所することができました。刑務所の門をくぐると、親方が出迎えに来てくれていました。
親方のトラックに乗って、かつてぼくが住んでいたアパートへと帰る途中の信号待ちをしているときのこと。交差点の角にある書店に並んだ文芸誌の表紙に『うんこたろう』の文字を、発見したのです! 車からおろしてくれるよう頼み、手に取って、間違いないことを改めて確認しました。ぼくの小説が、新人賞をとっていたのです! しかし、それはつかの間の喜びでした。どうして知らせが来ていなかったのだろうと思いながら、もう一度よく表紙を見直してみると、なんとそこに作者名として記されていたのは、隣人の名前だったのです。なんてことでしょう。
塀の中にいることが選考に悪影響を及ぼさないようにと、わざとそうしたのかもしれません。
とりあえず購入し、アパートへと向うことにしました。そういえば以前なら本屋が怖かったはずなのに、さっきは何ともありませんでした。本をたくさん読んだおかげで、恐怖症は治ってしまっていたようです。
アパートに着き、親方と別れてから、まずは隣人の部屋の呼び鈴を鳴らしてみました。出てきたのは、見知らぬ男性でした。
「どなたでしょうか?」
「ここの住人ですけど、何か?」
「いつから住んでるんですか?」
「半年くらいになるよ」
一緒に住んでるのかもと思い、それも聞いてみましたが、違いました。なんてことだろうか、と思いながら、ぼくはかつて自分が住んでいた部屋に入りました。
文芸誌を開き、小説に目を通してみましたが、やはりぼくの書いたものでした。隣人の顔写真入りの受賞コメントを読んでみると、自分で書いたとしか取れない内容で、ぼくのことには、一切、触れてないのです。猛烈に腹が立ってきました。
どうにかして証明してやろうと、事実を知っているミクに連絡をとってみようと思いました。携帯電話の番号を控えたメモは、戸棚の中にしまってありました。
またミクの父親が出たら怖いな、とも考えたのですが、そんな悠長なことを言ってる場合ではないのです。果たして、本当に、ミクの父親が出てしまいました。怒られるのを覚悟で、事情を話してみたところ、ミクの父親は意外なことを話し始めました。
「ミクなら、死んでしまったのだよ」
「どういうことですか?」
嘘をつかれているのかもしれない、と思いました。しかし嘘にしては、あまりにも巧妙すぎるのです。
ミクは、ぼくとの間にできた子供を宿していたというのです。1ヶ月ほど前に出産した後、体の調子を崩し、死んでしまったというのです。どうしても信じられないと思い、ぼくはミクの実家まで行ってもいいかどうか、尋ねました。
ミクの父親は、少し渋ったような声を出して考えた後に、
「まあ、あんたは娘をたぶらかしたひどいやつだが、娘が愛した男なわけだし、孫の父親でもあるからな。線香くらいはあげにきてもいいぞ」と言ってくれました。
実家に行ってみると、確かに、仏壇にミクの遺影が置かれていました。子供には会わせてもらえませんでした。ミクによく似た女の子だ、ということだけを教えてもらい、そこを後にしました。
帰りの電車の中でぼくはミクの夢を見ました。夢のなかでミクと話すことができました。
「ミクが死んだなんて、信じられないよ」
「ごめんね。だけど、新人賞受賞して、よかったね。でもミクがいないと、手柄を横取りされたままなのか!」
「なんかもう、そんなこと、どうでもいいや」
「どうして?」
「もう、疲れちゃった。せっかく親友になれたジョンも、恋人になってくれたミクも、ぼくから離れてしまった。もう、なんのために小説を書けばいいのか、わからないんだよ」
「だったらさ、ミクとあんたの間にできた子供のためとか、あんた自身のためにさ、書いてみたらいいんじゃない?」
「でもさ、ぼくは自分の失われた過去の物語を作ろうと思って、あの小説を書いたんだよ。だからもう、自分のための小説はいらないんだ。それに、小説を書くことが、ぼくらの娘のためになんてなるんだろうか?」
「まあ、好きにしなよ。とりあえず、ミクの分まで長生きしてね。これからも、あんたと娘のことを、見守っているから」
「そうかい。うれしいな。どうもありがとう」
目覚めたぼくの頬には、涙の流れた後が付いていました。
それにしても、ぼくはあの小説を仕上げるために、たくさんのものを失ってしまったんだな、と思いました。でもとりあえず、あの小説を書き上げたことによって、ぼくは自分の過去を作ることができたわけだし、ミクは、ぼくらの娘という、未来を作ってくれたのです。ぼくの手を離れて、小説は売れ、娘は成長していくのです。他には何もいらない、と思いました。
だからもう、文学なんて、うんざりだ。いつかまたミクと再会できるその時まで、このまま平凡な人生を送っていければ、それでいいかな、と思うのです。(了)
文学なんて、うんざりだ。 知因子雨読(ちいんし・うどく) @shinichikudoh
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