第17話【狂宴行きは誰の番?愛が重すぎる公爵様】

 「……終わった~~~~~~」


 その言葉と同時に、エディティは机に突っ伏した。

 執務机の上には一枚の書類――『アビオン・ディートリード、嫡子認定』の証書が置かれていた。


 アヴェルの膝の上に座ったまま、彼女はぐったりと肩を落とす。


 「これで……アビオンも、ディートリード家の正式な第一子。戸籍も財産相続も完璧。書類も法印も全部通したし……」


 「……ありがとう、エディティ」


 低く甘い声とともに、アヴェルがそっと彼女の首筋にキスを落とす。


 「ちょ、くすぐったいってば……!」


 身じろぎする彼女を、アヴェルはさらにぎゅっと抱きしめた。


 ――彼は、帰還して以来、一度もエディティの側を離れていなかった。


 食事も。就寝時も。入浴も。

 しまいには、エディティがトイレに立つたび、ドアの前でじっと待つ始末。


 (いや……そこまでされると、流石に申し訳なくなってくるわよ……)


 思い返すのは、あの一年間の監禁生活。

 当初は「気持ち良いことされてるんだし大丈夫でしょ」などと思っていたが、彼の中には癒えぬ傷が刻まれていたのだ。


 だから、こうしてくっついてくるアヴェルを、エディティは突き放せなかった。


 「アヴェル……そろそろ仕事に戻らない?」


 「いやだ。君の体温を感じていたい……」


 「……あのねぇ……」


 その時、執務室の扉がノックされた。


 「……失礼します」


 入ってきたのは執事リダ。

 書類を抱えているが、その顔色はいつになく悪い。


 「奥様……こちらが届きました」


 差し出されたのは――赤黒い封筒に金の縁。王室の封蝋。


 「………………」


 エディティの眉がぴくりと動いた。


 (あぁ……これは……)


 開封するまでもなく、意味はわかっていた。


 “強制出席”を意味する、最上位ランクの招待状。


 「“ジ・オージィ・オブ・インサニティ”……来ちゃったのね……」


 中身を確認する。

 予想通り――『ディートリード家より、必ず一名出席のこと』。


 つまり、今回は逃れられない。


 「アヴェル。私が行くわ。だから……お留守番、お願いね?」


 その瞬間――


 「いやだ」


 即答と同時に、アヴェルの腕がぐいっと彼女の腰を引き寄せる。


 「えっ」


 「君を一人にしたくない……絶対に行かせたくない……あんな場所に……」


 「……アヴェル?」


 顔を見ると――青い瞳が真剣そのもの。心底、嫌がっている。


 (ちょっと待って……可愛くない!? いや、可愛いけども!?)


 エディティは思わず眉をひくつかせた。


 「大丈夫よ。私、あのパーティーのベテランなんだから。今回は“強制枠”だからしょうがないの。行かなかったら、ディートリード家が王室から睨まれちゃうのよ?」


 「それでも嫌だ。俺が行く」


 「あなたが行ったら……またトラウマ抱えて帰ってくるでしょうが!!」


 アヴェルが一瞬黙った。


 その後、エディティの肩に額をこすりつけるようにして呟いた。


 「……じゃあ、一緒に行こう?」


 アヴェルが真顔でそう告げた瞬間、エディティの思考が一瞬、静止した。


 「……え?」


 一拍、間を置いて、ようやく彼女の口から言葉が漏れる。


 「――一緒に行こうって……無理よ。狂宴ジ・オージィ・オブ・インサニティは“一人ずつ”しか入れないの。男女ペアでも、三十一歳以上の“戸籍上の夫婦”じゃないと、同伴は不可能なのよ。つまり、今の私たちじゃ無理」


 そう理詰めで返すと、アヴェルはほんの少し眉を寄せ、けれどすぐに答えた。


 「……じゃあ、俺が行く。君は馬車で待っていてくれないか?」


 「………………」


 言葉の意味を理解するまでに、数秒かかった。

 ようやく処理しきった彼女は、目を細めてアヴェルを見つめる。


 「……本気なの? あそこが、どんな場所か知ってるでしょう? “女が男を狩る”異様な空間よ。純潔でも、夫帯者でも、構わず獲物扱いされるの」


 アヴェルは、静かに頷いた。その青い瞳の奥に、迷いは一切なかった。


 「……エディティが、他の男に少しでも触れられるくらいなら……」

 彼の声は静かに、けれどひどく苦しげに続いた。

 「すでに“汚された”この俺が、代わりに“汚れる”方がいい」


 「――は?」


 絶句。いや、むしろ呆然。


 (こじらせてる。重症もいいところ。メンタルが完全にナナメ45度に傾いてるわ……!)


 エディティの脳内で警鐘が鳴り響いた。即座に対処せねばならない。

 彼女は息を整え、そっと彼の頬に手を添えた。温もりを伝えるように、そして目を覗き込むように。


 「アヴェル……そんなふうに、自分を卑下しないで」


 落ち着いた声で、優しく語りかける。


 「どれだけ貴方が“汚された”と思っても、私は信じてる。……あなたの心は、綺麗なまま。優しいまま、ずっと変わってないわ」


 その一言で、アヴェルの目がはっと見開かれる。呼吸が一瞬、止まったようだった。


 「……エディティ……!」


 その名を呼ぶと同時に、彼は彼女を強く抱きしめた。


 「ますます……君の代わりに行かせるわけにはいかなくなった……!」

 「アヴェル……?」

 「君を、他の男の目に晒すなんて……絶対にできない……!」


 (あぁあああああ……!! こじらせ直しきたあああああ!!!)


 エディティは内心、地面に頭を打ちつける勢いで崩れ落ちていた。

 しかし、アヴェルの手はさらに強く背を抱き寄せる。


 「君こそが……俺の心だ……」


 「………………」


 (え? え? 今、何て? “私がアヴェルの心”? ちょっと待って、どの単語がどう響いて、そこに着地したの? 翻訳機持ってきて誰か)


 あまりの発言に思考がショートしかけたその時、アヴェルは柔らかな笑みを浮かべた。


 「……俺はもう、君なしでは、呼吸もできそうにない……」


 「………………」


 (うん、詰んだわねこれ)


 言葉の温度差に凍えそうになりながらも、エディティは必死に“聖女の仮面”を貼り直す。


 「……わかったわ。じゃあ今回は、あなたが行って。けどね、アヴェル」


 彼女は、そっと顔を寄せて、真剣な眼差しで彼を見つめた。


 「もし、今回行ってみて、あなたが少しでも不安定になったら――次は、私が行くわ。いいわね?」


 アヴェルは、迷いのない声で頷いた。


 「わかった……頑張る……」


 「……うん……」


 (……子供か!!)


 その声色はどう聞いても、21歳の男とは思えない“頑張る坊や”。

 (これはもう、完全に子供帰りコースでは……? 本当に大丈夫かしら)

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