第13話【拉致監禁】

一週間が――過ぎた。


 私は、未だに布団の中から動けずにいる。


 ようやく、月のものが来た。それをアヴェルに伝えたとき、彼は「……そうか」とだけ呟いて、ようやく私を――解放した。


 ……つまり、何が言いたいかというと。


 初夜から昨日まで、連続で毎日八時間は“それ”だった。


 新婚旅行? そんな洒落たもの、あるわけがない。

 というか、ベッドから出ることすら許されなかった。


 (ぐーたら生活どころの話じゃないわよおおおおお!!)


 食事? 立って取る余裕がどこにあるのよ。

 本? 開いた瞬間、“別の意味”で開かされるに決まってるじゃない。

 紅茶? そんな優雅なもの、この一週間、影も形もないわよ。水よ、水だけ。命の水だけ。


 (なによ!? 氷の貴公子じゃなかったの!? どこ行ったの、その称号ォ!!)


 今や、私のなかの“ぐーたら魂”が、ベッドの中で絶賛泣き叫んでいる。


 ――そして今日。


 私の部屋には、またもやメイドたちが集結していた。


 「奥様……おいたわしや……」


 「こちら、腰回りを優しくマッサージいたしますね……」


 「脚は私が……氷で冷やしておきます……」


 泣けてくるほど丁寧な看病。

 いや、ちょっと待って。これもう完全に**“戦場から生還した兵士への処置”**じゃない……?


 私は、タオルで汗をぬぐわれながら、ぼんやりと天井を見つめていた。


 (……このままじゃ……ほんとに私、死ぬかも……)


 あれほど嫌だった“第二夫人”の存在。


 (……でも……今なら、少しだけ、わかる気がする……)


 誰か――いてほしい。


 できれば、控えめで従順そうな子でお願い。

 ほんとに、お願いだから、“旦那の体力”を分担してほしい。


 だって、私……知らなかったのよ……!?


 あのアヴェル・ディートリードが、

 “絶倫だった”なんて――!!


 最初の夜こそ、お互い初めてで、あたふたしながら手探りだったのに。

 二日目からはもう完全に覚醒してた。


 ……初めての“肉の感触”がよほど気に入ったのか。

 はたまた、若さゆえの探究心なのか――


 氷の貴公子、寝室では完全に――猿だった。


 しかも。


 「朝もする」

 「昼は昼で、時間が空いたから」

 「夜は、当然だろう?」


 って、スケジュール帳みたいに組み立ててくるあたり、地味に仕事脳が混ざってて性質が悪い。


 (……この結婚生活、ほんとうに……ほんとうにうまくいくのかしら……)


 私は、涙目になりながら、マッサージを受ける。

 揉まれながら、冷やされながら、白目で考えた。


 ようやく訪れた“月の救済”によって、つかの間の休息を得ていたそのとき――


 「奥様! 大変です!!」


 バァンッと勢いよく扉が開いた。


 駆け込んできたのは、我が家の忠義の執事・リダ。

 私は顔だけを枕から持ち上げ、ぞんざいに返す。


 「……何よ。こっちのほうがどう見ても“大変”でしょ……」


 体力根こそぎ吸われて、今だって看護されてる真っ最中なんですけど!?


 「い、いえ……今回は、本当に、緊急事態でして……!」


 「…………言ってみなさいよ」


 (こっちより大変じゃなかったら、あんたの頭にマカロンぶちまけてやるわよ)


 リダは一瞬だけたじろぎ――けれど、顔を引き締めて告げた。


 「……旦那様が、拉致されました」


 「……はっ?」


 ……一瞬、時が止まった。


 「な、なんですってぇぇぇぇぇぇええええええ!!??」


 私は、跳ね起きた。


 ――そして、秒速で崩れ落ちた。


 「ぎゃあああああああああああああ!!!!」


 (な、なにこれ!? 腰砕けてる!? いやむしろ内臓どこ!?)


 全身に走る震えと激痛をこらえながら、片肘でなんとか体を支える。


 「ど、どういう状況よ! アヴェルは確か、事業の視察に行ってたはずでしょ!? リダ、説明して!!」


 「はっ。今朝、南方の事業所へ向かわれたのですが――」


 「うん、そこまでは知ってる」


 「……現地到着直後、何者かに襲われ、眠り薬を撒かれ……」


 「……っ!」


 「護衛や随行の者は倒れていましたが、アヴェル様の姿だけが消えておりました」


 (眠り薬……!? 狙われてたの!?)


 「で、でもっ! 視察のスケジュールは!? 今日を逃せば、工期にも資金にも影響が――!」


 叫びかけた私に、リダは――なぜかちょっとだけ、気まずそうな顔をした。


 「………………」


 「……リダ?」


 「ええと……その件は……わたくしが代行しまして」


 「えっ!? こなしたの!?」


 「はい、何とか……。ですが、奥様にしか対応できない“口利き”案件がひとつ残っておりまして!」


 「もう……っ! ったくもう!!」


 私は歯を食いしばり、掛け布団を蹴り飛ばす。


 「すぐに出かける準備して! 場所と人員、それと地図と資料! 全部用意して!!」


 「し、しかし旦那様の捜索は――」


 「それは後よ! この家の存続がかかってるの! 夫なんて一日くらい平気でしょ!!」


 「……はいぃぃぃぃっっっっ!!」


 リダがバッと敬礼し、すごい勢いで部屋を出ていく。


 私はベッドの端に手をつき、ぐらぐらする体をなんとか支えながら、鏡に映った自分を睨みつけた。


 髪はボサボサ、目は据わり、頬にくっきり枕の跡。

 完璧に、疲弊しきった女の顔。


 (……でもやるしかない)


 私はぐっと眉を吊り上げ、自分を奮い立たせる。


 「……夫より、金よ……!」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


冷たい石床。


 湿気を含んだ空気が、肌にじっとりと貼りつき、鼻を刺すのは――血と金属の、嫌なにおい。


 アヴェル・ディートリードは、かすかな呻き声を漏らしながら、ゆっくりと目を開けた。


 意識はまだ朧げ。けれど、体は確かに、ありえないほどの不自由さを訴えている。


 手は、頭上で吊るされていた。

 足には、動かすことも困難なほどの分厚い枷。

 そして衣服は――すべて、剥がされていた。


 (……どこだ、ここは……)


 天井には粗末な灯り。小さな蝋燭の明かりが、ぶらさがる鎖を陰に照らす。


 (……眠り薬か。視察先で……誰かに仕組まれた?)


 薄暗い牢獄のような空間。足元は冷え切った石の感触。

 アヴェルの鋭い視線が周囲を走る。


 ――そのとき。


 ギィ……ギィ……


 鉄格子の向こうから、ゆっくりと足音が近づいてきた。


 やがて、現れたのは一人の女。


 紫の長い髪。

 濡れたような青い瞳に、媚びた笑み。


 その顔には、見覚えがあった。記録上では知っている――だが、関わるには値しないと思っていた女。


 「ごきげんよう、公爵様♡」


 そのねっとりとした声に、アヴェルは鋭く言い放つ。


 「……誰だ」


 「まぁ、お酷いこと。ロビエと申しますわ。エストロール伯爵家の次女でございます」


 「知らん。……こんな真似をして、ただで済むと思うな。公爵の身に手をかければ、それは国家反逆――死罪に値する」


 その声は静かで、凍てつくように冷たい。

 だがロビエは、むしろその脅しにうっとりと酔うように、口元を歪めて笑った。


 「えぇ……でもそれは、“ここから出られれば”の話でございましょう?」


 アヴェルの目が細くなる。


 「……どういう意味だ」


 「ふふっ、公爵様はね……ここで、ず~~っと私と暮らすんですのよ♡」


 「……貴様、何を言って……寄るな!! ……っぐ」


 体を揺らせば、軋む鎖が耳に刺さる。

 だが、睨みは逸らさない。たとえ武器を奪われても、誇りまで失うことはない。


 しかし――


 「ふふふ……♡ あらあら、あらあらあら♡」


 ロビエの囁きは、狂気の香りを含んでいた。


 「何度夢に見たことかしら……氷の貴公子が、私だけのものになる瞬間を……♡」


 「やめろおおおおおおおおおッ!!」


 怒声と共に、アヴェルは鎖を強く引いた。

 だが、鎖はびくともしない。肉が擦れて痛みが走るだけだった。


 ――そのとき、彼の脳裏に浮かんだのは、ひとつの名。


 (……エディティ)


 あの自由奔放で、

 やかましくて、

 賢くて、

 そして、誰よりもあたたかい“妻”。


 この身を縛る鉄の鎖よりも、遥かに強く自分を繋ぎ止めていたのは、

 ほかならぬ、彼女の存在だった。


 (――俺は、帰る。あの女のところへ)


 狂気の女の声が、遠く霞む。

 彼の意識はただ、あの金の瞳の令嬢へとまっすぐに向けられていた。

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