第12話【誓いの儀式】

 ――そして、数か月後。


 とうとう、その日が来た。


 ディートリード公爵家とミラース伯爵家。

 両家の正式な婚姻の儀――つまり、私の結婚式だ。


 (……まさか、私が、本当に結婚するなんてね)


 鏡の中の自分が、信じられなかった。


 真っ白なウェディングドレスに身を包み、ブロンドの髪は美しく結い上げられ、金色の瞳が、ほんの少しだけ揺れている。

 頬には控えめな紅。唇には自然な艶。


 息を呑むほど“綺麗に仕上げられた私”が、そこにいた。


 「……エディティ。行こうか」


 静かにかけられた声は――父、ミラース伯爵。


 私は小さく頷き、差し出された手を取る。


 (はいはい、バージンロードね。……あー、ほんとにやるんだ、この式)


 ゆっくりと、扉が開いた。


 そこに広がっていたのは――


 眩しいほどの光と、ぎっしりと埋まった参列者たちの姿。


 (――ちょっと待って!?)


 最前列――

 第一王子に王女殿下、王室女官に護衛騎士まで勢ぞろい。


 (王室案件!? ねぇ、それ、聞いてないんだけど!?)


 しかも視線が刺さる。強すぎる。煌びやかなドレスの貴婦人たちがこちらをじっと見ている。


 でも――今さら引き返せるわけもなく。


 私は父に手を引かれながら、絨毯の上を一歩、一歩と歩いていく。


 白いバージンロード。

 足を踏みしめるたびに、空気が変わっていくのが分かる。


 祭壇の先。視線の先に立っていたのは――


 黒髪に、鋭くも深い青の瞳。

 白の礼装に身を包んだ、アヴェル・ディートリード。


 凛とした、そしてどこか神聖なまでに整った立ち姿。


 (……この男に、されるがまま……)


 少し前まで、「ぐーたら独身ライフ上等!」と叫んでいた私が、今では白いドレスで祭壇へ向かっている。


 でも、足は止まらなかった。


 彼を見つめながら、心の中でぽつりとつぶやく。


 (……まぁ。顔が良いから、許してあげるか)


 その隣で、父が突然、ぶわっと鼻をすする音を立てた。


 「うっ……わ、我が娘が……ついに……っ! 一生独身だとあれだけ反抗していた娘が……っ」


 (いや、まあ、そうよね。私も独身でいるつもりだったのよ、お父様。)


 祭壇の手前で立ち止まる。

 父が、そっと私の手を、アヴェルへと託した。


 あたたかな手のひら。

 そして――視線が合う。


 アヴェルの瞳は、いつもよりも柔らかく、けれどやはり凛としていた。

 その手は、私の手を確かに握っている。


 (……なんだか、ほんとに始まるんだなって感じ)


 静まり返った式場に、神父の声が響いた。


 「アヴェル・ディートリード。あなたは、エディティ・ミラースを生涯の伴侶とすることを誓いますか?」


 アヴェルは、私だけを見ていた。


 「――誓う」


 力強くも、穏やかなその一言に、胸がほのかに熱くなる。


 「エディティ・ミラース。あなたは、アヴェル・ディートリードを生涯の伴侶とすることを誓いますか?」


 私は、深呼吸をひとつして――そして。


 「――はい。誓います」


 会場の空気が、一瞬にしてやわらかく揺れる。


 感嘆の声。

 あちこちから拍手が巻き起こり、花の香りがふわりと流れた。


 (……言っちゃった。ほんとに、結婚しちゃったのね、私)


 そして、次は――指輪の交換。


 侍従が差し出した、小さな銀のトレイ。その上には、純白の細いリングが並んでいた。


 アヴェルがそのひとつを手に取ると、私の左手をそっと取った。


 「っ……」


 指先が触れ合った瞬間、びくりと肩が跳ねる。

 冷たいはずの金属よりも先に、彼の体温がじんわりと指に伝わってきた。


 薬指に、ぴたりと収まるリング。


 ――それだけのことなのに、胸がきゅっと締めつけられるようだった。


 続いて、私の番。


 緊張で少し震える手を隠すように、もう一つのリングを持ち上げる。


 そっと、アヴェルの左手をとり――指輪をはめる。


 (……なんで、こんなに鼓動が……)


 ただ、指輪を交わしただけ。

 けれど、何か――大きくて、決して引き返せない契約を交わしたような気がした。


 胸の奥が、じわじわと満たされていく。


 神父の静かな声が、空気を震わせる。


 「それでは、お二人は晴れて夫婦となりました。誓いのキスを――」


 そのときだった。


 アヴェルの手が、私の顎にそっと添えられた。


 「っ……!」


 至近距離。息が触れそうな距離で、彼の蒼い瞳がまっすぐに私を見つめている。


 (ち、近……っ)


 唇が近づいてくる。


 優しい触れ合いを予感したその瞬間――


 「……っ……!?」


 それは想像よりずっと深くて、強くて、思わず目を見開くほどの熱だった。


 私の唇は、完全にアヴェルに捕らえられていた。


 逃げ場もなく、ただその感触に巻き込まれていく。


 ようやく唇が離れた時、彼の口元にはうっすらと私の紅がついていた。


 (……な、なにこれ……)


 完全に――恋愛結婚のノリなんだけど!?


 式場の拍手と歓声が鳴り響く中、私は呆然としたまま祭壇を後にした。


 そのまま披露宴。気づけば夜も更け――


 そして、初夜。


 白い寝間着に身を包み、私は広すぎる寝室の一角でクッションにうずくまっていた。


 (……夢、じゃないんだよね?)


 あの眩しい式の光景が、まだまぶたの裏でちらついている。


 そのとき、後ろから布団がふわりと揺れた。


 「どうしたんだ? ずっとその顔だな」


 アヴェルの声。

 隣に座った彼は、相変わらず表情を崩さずに私を見ていた。だけど、どこか――温度が違う。


 「いえ……なんだか現実味がなくて。驚いているといいますか……」


 「……そうか」


 その言葉と共に、アヴェルの体が動いた。


 ゆっくりと、けれど確実に――私に覆いかぶさってくる。


 「な、なにを……?」


 「何って……初夜だろう?」


 「……あ……」


 目が合った。

 彼の蒼い瞳に、一切の迷いはなかった。


 「……しないと思っていたのか?」


 「い、いえ……ま、まさかぁ……あ、あはは……」


 笑ってごまかそうとしたその瞬間――


 「悪いが、手加減はしないぞ」


 「え、………えぇえええっ!?」


 思わず逃げようと身をよじった、その刹那。


 アヴェルの腕がするりと伸び、私の腰をしっかりと捕まえた。


 「おとなしくしていろ。君が“誓う”と言ったのだからな」


 「ま、まって! そ、そんな! わ、私、初めてなの!!」


 「……なに? 五度も婚約して、なのか?」


 「そ、そうよっ。誰とも……そういうのはなかったんだから!」


 アヴェルは、ふっと目を見開いて――それから、小さく頷いた。


 「わかった。その……俺も初めてだ。一緒に、頑張ろう」


 「っ……」 (でしょうね!!見てればわかります!!)


 ――けれど確実に、距離が縮まっていく。


 触れ合う額。重なる息。

 布団の中で、交わる体温と鼓動。


 言葉はいらない。


 ただ、肌と肌とで、お互いを確かめ合うように――


 夜が、静かに、深く沈んでいった。

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