第8話【裏帳簿】
――公爵夫人になって、数日が経った。
「ふぅ~~~……さいっこう……」
私は、ふかふかのクッションに沈み込み、紅茶を片手に読書中。
優雅な日差し、香る紅茶、甘ったるいマカロン――
目の前には読みかけの恋愛小説。そして足元には、ぬくぬくの猫柄スリッパ。
(同室になったとか言って、アヴェルったら端っこで壁向いて寝てるし……実質、私の“ぐーたらライフ”は守られてるのよね)
もちろん、早寝早起きくらいは仕方ない。タダ飯食らいだし。
でも小説は読めるし、マカロンも出るし、おやつも夜食も用意されるし――
(……これ、思ったより悪くないかも……)
そんな贅沢な一日の締めくくりは――そう、書物庫。
今日は、ひさしぶりに“新しい恋”を探しに出かけるのだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……うわ、すごい」
書物庫の扉を開けた瞬間、空気が変わった。
壁一面にびっしり並ぶ本。本。本。
皮装丁から布装丁まで、ありとあらゆる時代とジャンルが詰まっている。
私は迷わず“恋愛小説コーナー”に突進し、片っ端から背表紙を指でなぞった。
「どれにしよっかな~……王子と婚約破棄? 悪役令嬢のやり直し? あ、これも面白そう……」
――が。
そのときだった。
「……ん?」
棚の奥に、ひとつだけ妙にくたびれた、分厚い本が引っかかっていた。
「なにこれ……装丁だけはやたら豪華だけど……」
引き抜くと、重い。どっしりしてる。
恋愛小説っぽい、薔薇の柄の表紙。だけど――
パラ、とページをめくった瞬間、私は違和感に目を細めた。
「……これ……数字?」
紙面いっぱいに並ぶ、金額、日付、名目。
収支表。出納帳。しかも――その数字、どこかで見たことがあるような。
(……え、これ……帳簿!?)
瞬間、脳内で鐘が鳴った。
(こ、これは……裏帳簿ッ!?)
がばっとページを開き、目を走らせる。
出入りの記録。妙な名目。消えている資金の流れ。明らかに怪しい。
そして私は――確信する。
(ふふふふふ……公爵様ったら、こぉ~んなにいけないことして……♡)
読み解く限り、公爵家の資金の一部が、かなり不自然な名目で消えている。
資材費? 教育費? 公的寄付? ぜんぶ多すぎる。そもそも日にちが重複してるし、変な小切手番号……。
(前に“算術得意系令嬢が王都で成り上がる”って小説読んだことあってね……)
(実際にやってみたくなって、算術、ちょっと勉強したのよ。数字だけは読めるの。残念だったわね、公爵様……)
パタン、と本を閉じる。
私は、クッションの上でニヤリと笑った。
(これで脅して離婚よ!!)
鼻歌すら出そうなテンションで、部屋へ小走りに戻っていく。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ふふふ……これでようやく、私も自由の身ね」
私は鼻歌まじりに、公爵邸の執務室の扉をノックした。
ドアを開けると、中には机に向かって書類をさばく黒髪の男――アヴェル・ディートリード。
彼はちらりと顔を上げ、目を細める。
「なんだ。珍しく機嫌が良さそうだな」
「ええ、いい気分なの。ほら、これを見て」
にんまりと笑いながら、私は重厚な帳簿を“ドンッ”と机の上に叩きつけた。
「……これは?」
「貴族小説風に偽装されてたのよ。恋愛小説の奥に、こっそり仕込まれてたの。まさか、こんなベタな隠し方するなんて……ふふっ、公爵様、やりますわね?」
自信満々で言い放ったその瞬間――
アヴェルの指が帳簿をぱらりとめくる。
が、その手が途中で止まった。
「……リダ。ハウゼルを連れてこい」
静かに、けれど地を這うような低音が室内を震わせた。
(え……?)
ぴくりと空気が変わった。
やがて扉が開き、白髪の中年執事がすっと姿を見せた。
「公爵様、いかがなさいましたか……」
「ハウゼル。この帳簿について、説明を」
その一言で、男の顔色が一瞬で引きつる。
「そ、それは……っ!」
「君の署名もある。隠しページの細工……まさか“恋愛小説の奥”にまで仕込むとはな」
「ま、まさか奥方がそこまで見るとは思わず……!」
「っっえ、え、え……?」
私はぽかんと口を開けたまま、頭の中でパニックが弾けていた。
(な、なにこれ……!? 公爵様がやったんじゃ……なかったの!?)
(ただ“ふふふ♡脅して離婚”のつもりだったのに!?)
「元帳との差異も確認済み。君が仕組んだ流用は、父の代からか?」
「い、いえっ、その……! 大旦那様が当時、口頭で承認を……!」
「証拠は?」
「…………っ」
「ないな。奥方が帳簿を見つけなければ、今も好き放題していたというわけだ」
男が肩を落とし、その場にがくりと膝をつく。
「メイドを使って私の部屋に薬湯を運ばせたのも、君だな?」
「っっ……っ……」
「リダ。こいつを連行し、調査班へ引き渡せ」
「はっ」
ガシャン、と手錠の音。
目の前で展開される“粛清劇”に、私は完全に青ざめていた。
(ま、待って……!? こんなシリアス展開……私、望んでないんですけど!?)
私の計画ではこうだった。
→怪しい帳簿発見
→「ふふふ♡ こんな悪事がバレたくなかったら離婚して」
→「まいったな、君には敵わないな」
→さくっと自由! さくっと開放!
だったのに!!!
「……エディティ」
名前を呼ばれて、ビクッと肩が跳ねた。
顔を上げると、アヴェルがこちらをまっすぐ見つめていた。
「よく見つけてくれたな。そして、よく気づいた。君の観察眼と知識がなければ、今も屋敷の金は食い物にされていただろう」
「い、いや、そんな……私、別に……脅すつもりで……」
「ふっ」
不意に、アヴェルの口元が緩む。
「これはもう――君を手放せなくなりそうだな」
「………………………………っ」
私は、吹きそうになった。
「えっ、あ、いや、ちょ、え、え?」
顔が勝手に熱を帯びる。目線が定まらない。指先まであつい。
(ちがうの! 私、自由になりたかっただけなの!! なんで“夫婦の絆が深まった”みたいな流れになってるのよ!!?)
「……また何か見つけたら、遠慮なく俺に持ってこい。そうだな…明日から、領地関連のことについて教えておこう」
「いやいやいやっ!? まって、それって完全に“夫婦で家計を管理”する未来じゃん!?!?」
「当然だろう?」
「わあああああああああああ!!!!!」
天を仰ぎ、両手で顔を覆って絶叫する私。
その隣で――アヴェルは静かに、けれど確かに笑っていた。
その笑みは、これから始まる“夫婦としての日々”を、誰よりも肯定しているようで――
(……終わった…………。ぐーたらライフ……終わった…………)
私の自由、終了のお知らせである。
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