第6話【深夜の襲撃】

さすがは公爵家の寝室――広すぎるほどの空間に、ふっかふかの天蓋ベッド。

 煌びやかなシャンデリアに、火の揺れる暖炉。刺繍入りのカーテンに、香り立つリネン。


 「やったーーー!! この時間だけは自由よーーっ!!」


 私は勢いよくベッドにダイブし、手足をばたばたとばたつかせた。


 「ふふふふふ……ぐーたらしてやるわ! ぐーたらライフよ!!」


 着替えたのは、サラリと肌を撫でる高級ルームウェア。

 頬を押しつけた枕は極上のふかふか感。脇には、こっそり持ち込んだお気に入りの恋愛小説。

 テーブルには、侍女が用意してくれたマカロンと、胃に染み入る甘ったるい紅茶。


 「っは~~~……このまま永遠に夜になれ……」


 うっとりしながらページをめくり、脳内では理想の王子様と至福の夜を――


 ――が、その理想は突然、爆音と共に木っ端みじんに吹き飛んだ。


 バンッッ!!!


 「た、助けてくれ!!!!!」


 轟音を立てて寝室の扉が開かれ、まるで嵐のように男がなだれ込んでくる。


 「――っ!?」


 驚きのあまり、小説を顔面にぶん投げてしまう私。


 飛び込んできたその男の姿――濡れた黒髪、引き締まった長身、赤らんだ頬に浮かぶ汗の光。そして……


 なぜか、完全に素っ裸。


 「ぎゃああああああああああああああ!!!!!!」


 全身全霊の叫びが部屋中に響き渡る。

 私の視線は、顔と股間を全力で往復中。目玉が飛び出し、顎は今にも地面に落ちそう。


 「うそでしょ!? なんであんた、裸でうちの部屋に入ってくるのよおおおお!!」


 「いや、違うんだ!! 本当に、助けてくれ!!」


 青く澄んだ瞳が必死に私を見つめてくる。


 「いや、そっちの“キノコ”が本気すぎるんだけど!!?」


 もはや叫ぶしかなかった。


 「メイド達に襲われかけたんだ!! 鍵も閉めたのに、なぜか開けられて、風呂場に突入され――薬湯を混入されて!!」


 「それ……媚薬風呂ってやつじゃないの!? なにそれ!!小説の世界のネタじゃん!!」


 アヴェルは壁に背を預けるようにして、身を小さく丸める。

 顔は真っ赤に火照り、普段の冷静な雰囲気はどこにもない。


 「くそ……っ、身体が熱くて、意識が……っ」


 「いやいやいや! なんでこっち来たのよ!? 衛兵呼ぶとか、執事のリダを叩き起こすとかあるでしょ!? なんで私なのよ!?」


 「お前が一番信用できる!!」


 「信頼の方向おかしい!! 私、あなたの急所に嘔吐した女よ!?」


 理性と羞恥が同時に爆発する中――


 「公爵さま~♡」

 扉の向こうから、女の子たちの甘ったるい声が漏れてきた。


 「やば!! こわっ!!」


 背筋に冷気が走る。けれど、私は決意した。


 「……もういい! わかった! 私が守ってあげるわよ、あんたのキノコも含めて!!」


 床に落ちていた布をつかみ、反射的に股間にばさっと被せる。


 「助かる!!」


 アヴェルの顔が、ほんの少し救われた気がした。

 そのまま彼の腕を引き、よろめく身体を支えながらバスルームの奥――トイレに突っ込む。


 「それがおさまるまで、そこから出ないで!!」


 「了解した!!」


 完全に戦地のようなやり取り。だが、まだ終わっていなかった。


 私はくるりと踵を返し、扉へ。


 そして、ついに開けられたそれの向こうに――


 「公爵さま、今宵こそ――きゃっ!?」


 出てきたピンク髪のメイド頭に、容赦なく頭突き。


 「フンッ!!!」


 メリッという音と共に彼女はその場で沈み落ちた。



◇◆◇◆◇



 ――しばらくして。


 ふかふかだった私のベッドの中心に、氷の貴公子がぐったりと横たわっていた。


 火照った額には冷たい布。うっすらと浮かぶ汗。

 呼吸は浅く、胸元が荒く上下している。


 その隣では、40代とは思えぬ敏捷さでリネンを替え、濡れタオルを差し替える男――


 「……本当に、お疲れさまでございます、公爵様」


 執事リダが、まるで深夜の病室のような気配で看病していた。

 照明も暖炉も、妙に静まり返っていて、まさかここが新妻の部屋とは思えない。


 私はベッド近くの椅子に腰をかけ、目の前の地獄絵図に、疲労と困惑の入り混じった視線を向けた。


 「……あの。公爵様の部屋って、使えないわけ?」


 問うと、タオルを絞っていたリダがぴたりと動きを止める。


 「はい。今夜、あの部屋に再び襲撃がある可能性を排除できず。安全を確保するため、こちらへ避難させていただきました。申し訳ございません」


 「……まったく……」


 私は思わず額を押さえた。


 どれだけ想像を働かせても――

 “貴族令嬢に襲われて自室を放棄した公爵”なんて前代未聞にもほどがある。


 「……まあいいわ。とにかく、私はちょっとトイレに――」


 「待て!! そっちに行くな!!」


 突然、アヴェルが身を起こし、焦燥に染まった声を上げた。


 「えっ、な、なに!?」


 私は慌てて立ち止まる。だが、すでに手はドアノブにかかっていて――


 ガチャッ。


 「……………………………」


 扉を開けた、その瞬間だった。


 世界が、止まった。


 床に散らばる使用済みのタオル。倒れたローションの瓶。

 壁には……なにかが飛び散って、テカってる。


 なんか、一角だけ完全に【R指定エリア】なんですけど!?


 鼻をつくのは、どこか熱を帯びた香りと、わずかな金属臭の混じる、やたらと“生々しい空気”。

 えっ、なにこの“男の戦場”みたいな空気!? 


 「――ッッバンッ!!」


 反射的に、全力で扉を閉めた。蝶番がミシッと悲鳴を上げる。


 「リダァアアアアアア!!!!」


 屋敷中に響き渡る大絶叫。


 「早くここを掃除してぇぇぇぇっ!! トイレに行きたいのぉぉぉぉ!!」


 「はっ!! すぐにっ!!」


 全力疾走で飛び出す執事。その後ろ姿に、私の中の何かが崩れた。


 「……と、とにかく。いつもこんなの? 毎晩、あんな惨状なの!?」


 ベッドへ戻ると、アヴェルは片手で額を覆ったまま、ずーんと沈んでいた。

 その姿は、まるで“失われたプライド”を抱きしめているかのようだった。


 「……まさか。今日が初めてだ」


 ぼそりと呟く声に、思わず動きを止める。


 「……わかっていれば、騎士を立たせていた」


 「……そ、そう……」


 私はすっと視線を逸らした。


 怒りも、呆れも、ドン引きも。

 感情という感情が一周して、逆に落ち着いてしまった。


 (で、私は今日どこで眠るのかしら)


 天蓋のカーテンがゆらりと揺れる。

 その奥でぐったりしている氷の貴公子と、今後の人生が急に重なった気がして――


 私は、どっと疲れが押し寄せた。



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