第21話
まだ空は深い藍に沈んでいた。
月は低く、森の影に隠れかけ、
焚き火はすでに落とされ、煙も立っていない。
だが、拠点は動いていた。
誰も声を上げない。
ただ、足音と布の擦れる音が、規則正しく広がっている。
テントの中でまどろんでいた拓海は、
誰かに呼ばれたわけでもないのに目を覚ました。
空気が違う。
「……もうそんな時間か」
薄暗い中、鞘に収めた曲刀を手探りで探して背に背負い
静かに立ち上がる。
外に出ると、もう仲間たちが動き始めていた。
ソフィアが道具袋を肩にかけ、無言で武器の調整をしている。
リィナは目元をこすりながらも、弓と矢筒の確認を終えていた。
セファは既に霊符を揺らしながら霊たちと沈黙の対話を始めており、
アミラは森の縁に溶け込むように、気配を消して立っていた。
そして、中央では──
ウィンストンが立っていた。
黒と赤の外套に身を包み、
仄かな月明かりのもと、まるで“戦場の象徴”のように。
彼女はすでに剣帯を締め、
隣にはミルラとヨミが立っていた。
ミルラは地図を手に、細かく囁くような声で最終確認をしており、
ヨミは肩を回しながら低く笑っていた。
「おはよう、拓海」
ミルラが穏やかに声をかける。「準備は?」
「いつでも。……遅れずに起きられたよ」
「それは何よりだわ。今日の動きは、早く、静かに、確実にね」
ヨミが拓海の背中を軽く叩く。
「よう。いよいよ出番だな、“先発組”の一員さんよ」
「頼りにしてるぜ。後ろから俺がついて行くってのも、案外悪くねえかもな」
拓海はその重みのある手に、少しだけ肩で笑う。
「……足、引っ張らないようにな」
そして静かに、
仲間たちが持ち場へ散っていく。
火はない。声もない。
だが、この闇のなかで確かに──
“戦いに向かう意志”が、音もなく燃えていた。
ー ー ー
森の外れ、崖道に続く獣道の入口には、すでにふたつの影が待っていた。
ひとりは、緑のフードを目深に被った細身の弓兵――ネリア。
もうひとりは、無造作な短髪にラフな装い、腰に斧を提げた筋肉質な女――ベルモットだった。
拓海が足音を殺して近づくと、ベルモットの方が最初に気づいて口を開いた。
「よっ、遅いじゃないの。寝坊でもしてた?」
茶目っ気たっぷりの声に、拓海は苦笑する。
「そっちこそ、もう動いてたのかよ。相変わらず早いな」
「年取ると寝つき悪くてねぇ。って言っても、あんたより2つ3つ上ってだけだけどさ?」
ベルモットは肩をすくめて笑う。斧の柄に手をかけたまま、どこか余裕のある立ち姿だった。
「……今日の目、冴えてる。たぶん、射るタイミング外さない」
静かにそう呟いたのはネリア。フードの影から鋭い視線をこちらに向け、弓の弦を無言で引き、確認していた。
「二人とも、頼りにしてるよ」
拓海が素直にそう言うと、ベルモットが目を細めた。
「へぇ、素直になったじゃないの。ちょっと前まで“とりあえず生き残るので精一杯です”みたいな顔してたくせに」
「言うなよ……」
「でも、いいじゃない。背筋伸びてきたし、目つきも変わった。ま、まだ半人前ってとこだけど?」
ベルモットは笑いながらも、軽く拓海の肩を叩いた。その手にはしっかりとした体温と力があった。
「今日は稼ぎ時だしね。あたしたちが一番手。静かに、でも確実に。“いいもの”持って帰るよ」
ネリアは無言のまま、深く一度頷いた。
そして三人は、わずかにうねる夜の道を見つめる。
その先には、クラッシュ・タグの拠点――“ラストホールド”。
沈黙のまま、先発部隊は動き出す。
森の密度が徐々に変わり、
風の流れに微かに油の匂いが混じり始めた。
近い。もうすぐだ。
拓海は立ち止まり、足元の地面を見下ろす。
そして、茂みに手を伸ばした。
手際よく短い草や蔦を引きちぎり、腕や肩の装備に巻きつける。
背中や頭にも、視界を邪魔しないように緑を忍ばせていく。
それは自己流ながらも、明らかに視界に溶け込むことを意識した動きだった。
それを見ていたネリアが、何も言わずしゃがみ込み、
同じように草を集め始める。
肩掛けの装備に上手く絡ませ、フードのラインに沿って自然に葉を配していく。
一切の言葉なく、ただ“戦場の効率”だけを見て動く手。
後方からその様子を見ていたベルモットが、ぽかんと口を開いた。
「……え、え? それ、やんなきゃダメな感じ……?」
ふたりとも振り返らない。
ネリアは最後に一房の蔓を腰帯に編み込んで立ち上がった。
「……マジで……やる流れ……? うっそでしょ……?」
ぶつぶつ言いながら、ベルモットも渋々しゃがみこむ。
「誰かあたしの斧にまで巻いてくれるんだったらやるけどさ……っつーかさ、これ地味にセンスいるやつじゃん……」
草を不器用にねじりながら、
それでもちゃんと腕と足の一部を覆い、輪郭を少しだけ崩していく。
「……なんか、自分が雑草になってく気がしてくるね、これ……」
「少なくとも、静かにはなったんじゃないか?」
拓海が静かに返すと、ベルモットは小さく肩をすくめた。
「ま、たまには地味なのも悪くないか。どうせすぐド派手に暴れるしね」
そして三人は再び前を向く。
視界の先、林の切れ目の奥に──
金属の壁と高いフェンスが、夜の青に浮かび始めていた。
金属の壁が近づき、拠点の輪郭が夜明け前の青に浮かび上がる。
湿った土と鉄の匂いに混じって、風の中に微かな足音が混ざった。
「……来る」
ネリアが呟く。
その声に反応して、ベルモットは斧に手をかけ、拓海も咄嗟に身を低くした。
木立の間を抜けて現れたのは、ふたりの哨戒兵。
照明器具を持ち、軽装ながら油断のない歩き方。
拓海は息を潜め、剣に手をかけはしたが──動けなかった。
無音で“仕留める”自信は、まだない。
だが、その代わりにふたりの先輩がいた。
ネリアが先に消える。
草を巻いた細身の体が、風と同化するように木の影をすり抜け──
瞬間、枝上から放たれた矢が、音もなく先頭の兵の首元を貫いた。
男の体が地面に沈むより早く、ベルモットが飛び出す。
「っし……!」
低く吐き捨てるような声とともに、
斧の柄で残る兵の背後から首筋を叩き、崩れたところを膝で押さえ込む。
もがく前に──
刃が斜めに振り抜かれた。
ごく小さな息が漏れたかと思うと、すぐに音が止んだ。
「……よし、処理完了っと」
ベルモットは死体を木陰に引きずりながら、拓海を振り返る。
「見てた? 今の。静かにやるのって案外疲れるんだ」
「……ああ。すごかった」
「ま、任せといて。あんたはまだそういう動きはしなくていいの。
大事なのは“バレないこと”だから。ね?」
ネリアは死体を確認し終えると、短く言った。
「見張りは、一巡五分。……このタイミング、次の隙がある」
「今が、通り抜けるチャンスってこと。行こうか」
ベルモットが軽く手を挙げて先に進み、
ネリアは矢を一本だけ新しくつがえて、そのあとを追った。
拓海はふたりの背中を見ながら、深く呼吸を整える。
自分にはまだできないこと。
けれど、だからこそ今は“見て学ぶ時”だと、強く感じていた。
ふたりの兵士の亡骸は、すでに木陰へ引きずられていた。
ベルモットは斧の血を拭い、ネリアは周囲の気配を再確認していたが、
拓海はその場にしゃがみ込み、兵士の装備に視線を落とした。
腰のポーチ、ジャケットの内ポケット、太腿のサイドポーチ。
「……これ、なんだ?」
細身の金属筒に、コードと小型のスイッチがついた機械。
缶詰ほどのサイズだが、妙に重く、重心が不自然に偏っている。
拓海はすぐにポーチの中を探り、簡易な警告ラベルを見つけた。
【C-TYPE起爆式圧縮爆薬】
【非接触式スイッチ起動:赤点灯=安全/青点灯=起動】
「爆薬……だな。小型だけど、起爆用にしては構造がしっかりしてる」
ベルモットが気配に気づき、ひょいと覗き込む。
「うわ、それ持ってんのか。そりゃ近距離で使うと自分も吹っ飛ぶやつだ。
そいつら、何かの準備してたのかね?」
拓海は爆薬を手に取り、遠くに見える壁を見た。
「……たぶん、これで壁、崩せるかもしれない」
「は?」
「見た感じ、あの壁……厚みはあるけど継ぎ目が甘い。
工場の残骸を無理やり補強してるだけみたいだから、
うまく仕掛ければ、正面突入よりもずっと静かに中へ入れる」
ネリアが無言で頷いた。
「構造は、間違ってない。あそこ、足場が浮いてる」
ベルモットが拓海を見て口角を上げる。
「おー……出たね。“頭を使うタイプ”の貢献ってやつ」
「俺にはまだ、無音で人を殺すのは無理だから……」
「いや、それでいいんだよ。
“今できることをきっちりやる”ってのが、一番頼れるからね」
拓海は安全状態を確認しながら、爆薬をポーチにしまう。
静かに立ち上がり、ふたりの後を追った。
ー ー ー
木々に隠れるように設置された監視カメラを避け、
三人は拠点の裏手、崖沿いの狭い足場にたどり着いた。
正面からは見えない、だが明らかに継ぎ足された金属パネルの歪みがそこにあった。
「……あそこ。ボルトが甘い」
拓海が指差すと、ネリアがすでに弓を構えていた。
彼女の手元には、さっきまでポーチに収まっていた爆薬。
小型で軽量、だが致命的な力を持つそれが──一本の矢に括り付けられていた。
「……重さ、弾道に影響しない範囲」
ネリアは呟きながら、しっかりと麻紐で固定し、
スイッチのセーフティランプが赤から青に切り替わるのを確認した。
爆薬は起動状態にある。
もう、戻れない。
「いけるか?」
「……いけるわ」
ネリアの声は静かで、しかし絶対に外さないという確信に満ちていた。
拓海とベルモットは素早く左右の木陰へ下がる。
そして──
ピン、と弦が鳴った。
音はごく小さく、夜の風にさえ紛れる程度。
だが、放たれた矢は見事に軌道を描き、金属の壁の継ぎ目へ。
カンッ!
金属に刺さった矢の根元が揺れ、
一瞬の静寂。
「起爆する」
拓海が低く言った。
手元のリモートスイッチを押す。
ボゴォンッ!!
爆薬が炸裂。
継ぎ目の鉄板が内側から大きく吹き飛び、
鉄屑と火花が夜明け前の空に散る。
拠点の裏側に、黒い裂け目が刻まれた。
「今だ!」
ベルモットが斧を構えて跳び出し、
ネリアがすぐに矢を番えて走り出す。
そして、その轟音は正面の仲間たちにも届いているはずだった。
──それは、突入の合図。
今この瞬間、拠点の外と内から、
ウィンストン盗賊団の牙が同時に突き立とうとしていた。
ー ー ー
鉄と煙の臭いが混ざる中、爆破で空いた穴を三人は滑り込むように突入した。
警報はまだ鳴っていない。
だが、奥から足音と怒鳴り声が次第に近づいてくる。
「なんだ!? どこからの爆発だ!?」「西側の壁がやられたぞッ!」
最初に反応したのはネリアだった。
滑るような動きで支柱の陰に飛び込み、
そこから一射。
「……っぐあッ!」
咄嗟に銃を構えた兵の喉元に矢が突き立ち、
声にならない叫びを上げて崩れ落ちる。
ベルモットは次の瞬間、斧を振りかざしながら敵の脇腹に突っ込んだ。
「わりぃけど、寝ててもらうよ!」
ザシュッ!!
硬質な音と共に壁に血が散り、兵の身体が吹き飛ぶように倒れた。
「二階通路からも来る!」
拓海が叫ぶと同時に、上階の柵の向こうに兵が数人姿を現した。
銃を構える暇はない──そう判断した拓海は、
背中に背負っていた短機関銃を引き抜いた。
慣れていない構え、けれど躊躇はなかった。
「──っは!」
ダダダダッ!!
乱れた弾道だったが、一発が男の肩を撃ち抜き、
よろめいたところにもう一人が引きずられるように身を引いた。
「命中、ナイスだよ!」
ベルモットが振り返って叫ぶ。
拓海は再度引き金に指をかけながら、
口の中で息を整えた。
足は止まらなかった。
ネリアが側面に回り込む。
三人は乱れた動線を避けながら、敵を一点に追い詰めていく。
敵は完全に混乱していた。
「外から入ってきた!?」「裏が破られてるぞ!?」
──だが気づいたときには、すでにもう遅い。
拓海は短機関銃の薬室を確認しながら、小さく呟いた。
「……俺にも、やれることがある」
鉄板を継ぎ接ぎしただけの粗末な通路を突き進む三人は、
煙と銃火の混じる空気の中、中枢区画に肉薄していた。
前方から敵兵がふたり。
うちひとりは分厚い重装ジャケットに身を包み、
もう一人は銃を構えながら叫び声を上げていた。
ネリアの矢が重装兵の脇をかすめ、
ベルモットの斧が勢いよく肩に叩きつけられるも──
まだ、倒れない。
(──届かない)
拓海は、その一瞬を見逃さなかった。
咄嗟に短機関銃を構える。
照準はぶれない。
首筋に、まず一発。
反動を制御しながら、倒れかけた頭に──
パン。
正確に、一発。
銃声の直後、敵兵の身体が崩れるように倒れた。
もう一人。
ベルモットの斧で脚を砕かれた男が、半身を引きずりながら銃を構える。
拓海は一歩踏み出す。
ダダッ。
眉間を貫いた。
銃を持った手が脱力し、そのまま沈んだ。
しばらく、耳鳴りのような静けさがあった。
誰も、すぐには動かなかった。
拓海は、銃を下ろす。
そして──静かに笑っていた。
自分でも気づかぬほど、わずかに、口元が緩んでいた。
(こんなに、怖くないんだな)
心臓は静かに、しかし確かに打っていた。
だがそれは“恐怖”ではない。
むしろ今、脳が異様なまでに冴えている。
視界が澄んで、呼吸が滑らかだ。
「……ありがとね、マジで」
ベルモットが肩で息をつきながら、笑いかけてくる。
「しっかりしてた。前より……ずっと、ね」
ネリアもそう言って、弓を下ろした。
拓海はふたりの視線を受けながら、
うなずこうとして──ふと、手の震えに気づいた。
でも、それは“怖さ”のせいじゃない。
「……これが、戦場ってやつか」
そう呟いた自分の声が、
どこか他人事のように耳に響いた。
三人は奥の隔壁を蹴破って中枢へと踏み込んだ。
そこには机と機器が並ぶ、粗雑な作戦室らしき空間。
地図、通信端末、弾薬箱。戦略の心臓部。
だが、その心臓を止める暇はなかった。
──直後。
「全員配置に就けッ!」「後衛回せッ、挟め!」
無線が飛び交う。
その次の瞬間、銃撃音が轟いた。
ダダダダダッ──ッ!!
壁やコンソールが弾け、破片が飛び散る。
「っくそ、囲まれたか!」
ベルモットが机を倒して即席の遮蔽を作り、
ネリアは棚の影に滑り込む。
拓海も叫び声とともに金属のロッカーの影へ飛び込んだ。
銃弾は無秩序に飛び交い、
天井の鉄板にまで弾痕が刻まれていく。
(やばい、早すぎる……いつの間にこんな数が)
拓海は短機関銃を抱え、冷たい鉄に背を預ける。
呼吸は落ち着いているが、鼓膜が打ち鳴らされるような緊張がある。
ベルモットが笑い混じりに叫んだ。
「ったく、奇襲のつもりがこっちがネズミじゃないの!」
ネリアは何も言わず、視線だけで二階の柵越しを警戒している。
弾幕は、しばらく続いた。
だが、やがて音が途切れる。
──沈黙。
その静寂を切り裂くように、どこかから声が響いた。
「中の連中、聞こえているな!」
それはスピーカー越しのように、どこか反響していた。
「貴様らは完全に包囲されている!
今なら命までは取らん……武器を捨て、投降しろ!」
声は男。
機械的な調子だが、どこか“余裕”のようなものが滲んでいた。
拓海は、静かに銃を握る手を見つめた。
震えは、もうなかった。
それでも、選ぶべき言葉が喉の奥で渦巻いていた。
ネリアとベルモットが、無言でこちらを見る。
「武器を捨てろ! 抵抗は無駄だ!」
拡声器の命令はなおも続いていた。
が──
その声が響き渡るさなか、
拠点の正面ゲート付近で、爆発音が轟いた。
ゴオォンッ!!
「っな、何だ!?」
敵兵たちが一斉に後方を振り返る。
その直後、新たな銃撃音が重なるようにして拠点内部へ響いた。
ダダダダッ!!
「来た……!」
拓海が遮蔽の隙間から顔を上げる。
ベルモットは口元に笑みを浮かべ、
「ふふっ、ようやくお出ましってわけね」と呟いた。
その瞬間、扉を蹴破って現れたのはヨミだった。
戦斧を両手に構えたその姿は、
夜明けを背負った獣のように、敵陣へ突っ込む。
「てめぇらヌルすぎんだよォ!!」
斧が一閃するたびに敵兵が吹き飛び、
銃を持つ暇すら与えず、混乱の中へ叩き込まれていく。
続いてミルラが姿を現す。
無言のまま手にした刺突槍を突き出し、
敵兵の腹部を正確に貫いた。
背後からは団員たちが雪崩れ込み、
拠点内に銃火と怒声が広がっていく。
「ネリア、ベルモット、行くよ!」
拓海の声に、ふたりが頷いた。
三人は遮蔽物から飛び出し、
背を見せた敵の側面へ一斉に襲いかかる。
ネリアの矢が首筋を裂き、
ベルモットの斧が肩甲骨を砕き、
拓海の短機関銃が背を向けた兵の後頭部を撃ち抜いた。
「後退しろ! 包囲されて──ッぐあッ!」
「撤退線が……く、くそッ!!」
敵は完全に混乱し、秩序を失ったまま各所で崩れ落ちていく。
短機関銃が、乾いた“カチッ”という音だけを返した。
「……もう、いい」
拓海は構えていた銃をそのまま放り捨てる。
床に転がったそれは、もはや用済みの道具。
そして彼は、背へと手を伸ばした。
シュルッ──
革鞘を滑る音とともに、曲刀が抜かれる。
刃が空気を割った瞬間、
その刀身には霞のような、青白い靄がうっすらと絡む。
だが拓海は気づいていない。
自分がいま、“恐れてなどいない”ことすら──気づいていなかった。
「ひ、ひいいいっ……!」
「なんだあいつ、近づくなッ!」
敵兵たちは明らかに“銃を捨てて刀を抜いた男”に対して混乱していた。
銃声の中で剣を抜く者に、常識的な対処法などなかった。
だが、拓海はもう立ち止まらない。
ズバッ──!
一人目、背中を向けて逃げようとした兵の肩口から背中を斬り裂く。
悲鳴は、刀が肉を裂く音に掻き消された。
二人目、壁際で膝をついた男の首元へ、斜めの一閃。
抵抗する暇もなく、頭部が傾き、赤が床に咲く。
三人目は、足をもつれさせながら後ずさる。
拓海は歩を緩めないまま、刀を持ち直し、
足元を払うようにして腿を斬る。
崩れ落ちた身体に、容赦のない突き。
ベルモットが遠目にそれを見て口を半開きにする。
「……うっわ。
ちょっと、あの子……様になってきてるじゃん」
ネリアは何も言わず、ただ見ていた。
戦場に溶けるように斬り進むその背中を。
「怖くない」のではない。
「感じる間もなく、進んでいる」のだ。
今の拓海は、
自分の意思で“殺して”いる。
迷いも、躊躇もない。
敵兵たちはもはや戦意を失い、
叫びながら通路の奥へ、闇の中へと散っていった。
鍵の壊れた鉄扉を蹴破ると、
その奥に広がっていたのは、暗く狭い作戦指令室だった。
装備は散乱し、通信機器は破壊され、
床には泣き崩れた男たちの影がいくつも見えた。
クラッシュ・タグの末端。
上官を失い、仲間を殺され、もう逃げ場のない彼らは──
ただ、膝を抱えて震えていた。
だが拓海は、その光景に何も感じなかった。
ただ、歩いた。
一歩。
また一歩。
手には、霞を帯びた曲刀。
「……た、頼む……やめてくれ……!」
「降伏する、もう戦わねえ……!」
声は届いていない。
ズバッ。
一人。首を斬る。
ズシャッ。
二人目。胸を貫く。
グシャ。
三人目。背中から、真っ直ぐに。
「──やめてッ!!」
その声は、剣の音よりも強く、
空気を裂いて飛び込んできた。
「もう、もうやめてよ!!」
振り返ると、そこにはリィナが立っていた。
肩で息をしながら、
弓も矢も捨てたまま、ただ素手で拓海に向かってきた。
「……もう十分でしょ!?
拓海!いつから“そんな目”になったの……?」
拓海は、刀を持ったまま立ち尽くす。
血がしたたり、床に赤い線を描いている。
呼吸は静かで、視界も明瞭で、
……けれど、心だけが追いついていなかった。
リィナはそのまま、彼の前まで走り寄ると、
刃を両手で重ねて止めた。
「もうやめてよ……そんな顔しないでよ……!」
拓海の手から、力が抜けた。
刀が、カランと落ちた。
彼は、ようやく――
自分が“何をしていたのか”に気づいた。
曲刀が床に落ちた音は、血の海に沈んだまま、誰にも拾われなかった。
拓海は俯き、リィナはその隣で黙っていた。
ふたりとも、なにかを語るには、まだ呼吸が浅すぎた。
そのとき──
「拓海っ! いたな!」
低く力強い声が通路の向こうから響き、
ヨミが真っ先に駆け込んできた。
「よくやった! あの混乱の中でここまで……マジで、やるようになったな!」
彼女はいつもの調子で拓海の背中をどんと叩く。
だが、その手に込められた力は、どこか“誇り”すら帯びていた。
「お前さあ……なんでそんなカッコいいとこ見るんだ?」
続いてソフィアが現れ、苦笑混じりに口を開いた。
「全身血まみれでしれっと立ってんじゃん。何? 今日から“血塗れの剣士”とか名乗っちまうか?」
軽口を叩きながらも、彼女の目には確かな敬意があった。
最後に入ってきたのはミルラ。
血の匂いと破壊のただなかにあって、
彼女は一歩一歩静かに、だが確かに場の中心へと歩み寄る。
「敵中枢の制圧。最小の人数で、最大の成果を出したわ。
あなたの判断と行動、見事だったわよ、拓海」
その言葉に、ヨミとソフィアも小さく頷いた。
団員たちの足音と、どこか誇らしげな声が、
血塗れた指令室に静かに響く。
だが──
その中央に立つ拓海だけが、何も言わなかった。
言葉は喉の奥で凍りつき、
顔は俯いたまま上がらない。
そして隣に立つリィナもまた、複雑な表情を崩さなかった。
皆が賞賛する“功績”と、
自分の中に沈んでいく“感覚の空白”。
それは剣を振るった瞬間にはなかった重みで、
いまになって、じわじわと胸に溜まっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます