第7話

 結局閉店間際まで居座り、帰りは肩を貸す羽目になった。ここまで酔うのは珍しいというか、今まで見た事が無い。

「重くて申し訳ない」

「そうでも無いが」

 鎧や装備品は食堂に預けてあり、今はむしろ軽い方。普段は感じない柔らかい肢体が、熱を帯びて俺の身体にしだれかかる。

「もう一軒、もう一軒行きましよう」

「今日は無理だろ。大人しく家に帰れ」

「まだ飲み足りないんですよ、私は。せっかくあなたが、冒険に行ってくれるようになったんですから」

「冒険はずっと行ってるだろ」

 そう答えつつ、彼女が言っている意味は理解している。俺が1人でやっていたのは、あくまでもクエストの報酬目当て。それも、元の世界での知識を頼りとしたアイテム探し。

 つまりは単なる作業に過ぎなかった。

 だけど今は魔物を狩り、宝箱を開けては一気一喜一憂し、酒場でくだを巻く。俺がかつて思い描いていた、冒険像そのものだ。

「分かりました。だったら、あなたの家で飲みましょう。それなら良いでしょう」

「何が良いんだよ」

「酔いつぶれても、誰も困りません」

「俺が困るだろ」

 人の話を聞かず、俺を引きずるように歩き出す女性。

 俺は仕方なく彼女を抱え直し、共に歩き出した。


 扉を開け、ランプに火を灯して彼女を椅子に座らせる。本来のセキュリティはリモートで一部解除済み。見た目は、この世界の鍵しか備わっていない。

「思ったより良い家ですね」

 机に伏せ、顔だけを上げて俺を見る女性。頬は上気し、潤んだ瞳が柔らかく俺を見据える。

「善意の見返りとか言われて、街から提供してもらってる。本来の稼ぎだったら、安宿か馬小屋暮らしだ」

「情けは人のためならず、ですか。では私にもお情けで、お酒を下さい」

「少しだけだぞ」

 グラスに火酒を注ぎ、水で割る。本来なら氷を入れたいが、彼女の前で冷蔵庫は使えない。

「何か、つまみでも・・・・・・」

「良いですから、一緒に飲みましょう」

 軽く引かれる袖。その勢いで俺は椅子に腰を落とし、彼女の隣へ座る事となった。

「ほら」

 グラスに注がれる火酒。それは水で割られる事無く、俺の前へと置かれる。

「乾杯」

「ああ、乾杯」

 軽くグラスを重ね、口を付ける。名前通りの焼けるような感覚が喉を通り、全身が熱くなる。

「そう言えば、家に招待されたのは初めてですね」

「そうなるかな」

 招待かはともかく、彼女を招き入れたのが初めてなのは間違い無い。また彼女以外の人間を招いた事もなく、その意味でも初めてだ。

「お店の喧噪的な感じも良いですが、家だとゆったり出来ますね」

 軽く身体を寄せてくる女性。柔らかな肢体が、先ほどよりも重みを持って寄りかかる。

「これからは、こうしてここで飲んでも良いですか」

「時間が合えば」

「時間は合わせるものですよ」

 耳元でささやかれる言葉。火酒とはまた違う甘い香りが漂い、さざめくような笑い声が耳に残る。

 

 俺は間を取るようにグラスを傾け、息を付いてそれをテーブルに置いた。

「ですから、合い鍵があると助かるんですが」

 気を抜いた隙を狙ったような台詞。

 俺は曖昧に頷き、それでもポケットから合い鍵を取り出しグラスの横に置いた。

「ありがとうございます。これはこれで、預かっておきますね」

 鍵の上に置いた俺の手に、彼女の手が重なる。

 少しの沈黙。そしてそれを破ったのも、また彼女だ。

「本当の鍵も預けて頂けると、助かるんですが」

「言っている意味が・・・・・・」

「分かりますよね」

 俺の胸ぐらを掴み、自分の顔へと引き寄せる女性。その端正な顔が、鼻に触れそうな程の距離まで近付く。

「今更隠し事は無しにしましょう。私とあなたの仲ではないですか」

「俺が秘密を隠してるとでも」

「ええ。これは私の私物。正確には当家の私物なのですが、この世界では到底なしえない性能を持っています」

 胸ぐらを掴む手が離され、代わりにテーブルへ小さな箱が置かれる。何の事は無いただの電卓で、100円あれば買える代物だ。

 現代日本ならば。

「イセカイと言うのですか。ごく希にこういったアイテムが見つかり、当家はそれを幾つか保有しています。これがイセカイでどれほどの価値を持つかは分かりませんが、少なくとも我々にとっては秘宝と呼ぶにふさわしい性能です」

 テーブルに置かれた電卓は、本当に簡素な性能のみ。四則計算と、未だに使い方が分からないメモリー機能が付いているだけの。

 ただこの世界ならば、彼女が言う通り金貨を積み上げるだけの価値はある。

「あなたの持つアイテムを横取りするとか、奪うとか。そういう類いの話ではありません。使い方を教示して頂き、今後見つかった物については共有管理出来ればという話です」

「俺以外にも、異世界から来てる奴はいるだろ」

 今のところ出会った事は無いが、アイテムがこれだけ見つかるのだから俺以外の転送された人がいて然るべき。むしろいない方が不自然だ。

「彼等に使い方を尋ねてみたのですが、知らない分からないの一点張り。おそらくは、このアイテムを製造した時より前の時代から来た方々なのでしょうね」

「その人達はどうなった」

「ご心配なく。全員、相応の待遇で過ごしています」

 どうなったとは答えない女性。殺してはいないが、軟禁と言ったところか。


 何を読み取ったのか女性は改めて俺に身を寄せ、別な小箱をテーブルへ置いた。

「手付けと言うには、些少ですが」

 小箱はモバイルバッテリーでもなければ、外付けのSSDでもない。ましてやスマホでも。

「宝石」

 俺でも分かるのは、ダイヤと赤のルビーくらい。後は綺麗と言うだけで、種類は見当も付かない。

 分かるのはこれが些少どころか、この世界でも相当に希少だと言う事だ。

「あなたが望むのであれば、爵位や領土。それ以外の事でも、仰って頂ければどんな望みも叶えるとお約束します」

 単なる豪商や貴族の台詞とは思えない台詞。つまりは、そういう事だ。

「お察しの通り、私は王族に連なる立場です。今の継承順位は、あってないような物ですが」

 自嘲気味に呟く女性。

 これは普段の言動、例の胡乱な店からの情報で分かってはいた。実際の名前や立場は、今この瞬間も分からないが。

「悪いが、そういう物に興味は無い。俺は平穏に過ごしたい、ただそれだけだ」

「本心からそう思っていますか? それなら何故、冒険者を続けていたのですか?」

「他に適当な仕事が見つからなかったからだ」

「もう十分に、平穏に過ごせるだけの状況は整っていたのでは?」

 彼女の追求に返事を返さず、宝石箱に蓋をする。

 その言葉に間違いは無く、敢えて冒険者稼業を続ける理由は何も無かった。希少なアイテムを得られるとはいえ、それは生活を快適にするため。

 果てしてそれが、命を賭けてまでする事だったのか。

「私と共に冒険へ出かけて、楽しくはなかったですか」

「楽しかった、かもな」

「私と共に過ごして、楽しくはなかったですか」

「楽しかった、かもな」

 そう答えた途端、彼女が俺に抱きつき耳元へささやいた。

「先ほどの言葉に偽りはありません。あなたが望めば、どんな望みも叶えると」

「・・・・・・どんな、望みでも?」

「ええ。私と添い遂げる、という事でも」

 より強く寄せられる身体。耳元に掛かる吐息。甘い香りが鼻をくすぐる。

 後は俺が返事をするだけだ。


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