二章:絵に描いた美少女
本来休息を取っている筈のノエルは、寒さも幾らかは大人しくなる昼日中、陰鬱な面持ちで立ち尽くしていた。
眼前には砦のように重厚な机。そしてそこに腰掛ける、恰好だけは立派な中年の男達。
何をこんな僻地まで。ヨックモックはその最北端に位置する城塞都市ラクスエルヴ。そのまた更に北西の軍事拠点フィリップ――「ごみ
心なしかただ設えられているだけだった机も、久々にちゃんとした仕事が出来ると張り切っているようにも見える。まったく余計なやる気だと思うノエルは、しかし小さくため息を吐くことも儘ならなかった。
「此度の呼び立てに、何か心当たりはあるかね」
「日々の業務お疲れ様です」の定型文もなしに、真ん中の「偉い人」が口火を切った。ご立派な髭のせいで口が動いているのは見えなかった。
「いえ」
消え入りそうな声でノエルは返事をする。心当たりがないからこそ、彼女は余計に緊張し、動悸から呼吸も浅くなっていた。
彼女なりに真面目に仕事に勤しんでいる。最近は特にその真面目さに成果も伴っている。このような威圧することを目的にしているような空間へ呼び出されることに、心当たりなどある筈もなかった。
「養成学校を卒業して以降、君の戦績は下落の一途を辿っていた。これに誤りないか?」
別の「偉い人」が嫌味っぽさの滲む声でそう尋ねてくる。ノエルは短く応じた。
「しかしここ数日で、急激に霧魔の討伐数が上昇している」
これには何か原因があるのかね?値踏みするような不躾な視線を男達は遠慮容赦なしにノエルへ浴びせかける。
「勘違いしないでくれ。君を責めているわけではないんだ」
比較的若い男が笑みを浮かべ語り掛ける。
「はい……」
いやいやいや。ノエルの内心を読み取ったような、呆れた声が響く。他の者には聞こえない、彼女の頭の中でだけ。
「君がそうであったように、就役期間を重ねる中で力が弱くなっていく『
今までで最も誠実そうな声が厳かに部屋の空気を震わせる。その声にはノエルも聞き覚えがある。
フィリップ所属の創手の頂点、アレクセイ・イーサルミ。
「一度調子を崩し始めれば、最盛期まで完全復活することはあり得ない。それが定説だ。だが――」
両肘を机に付き、背中をやや丸め勿体つけた所作で、たっぷり間を置いてイーサルミは言葉を続ける。
「君は調子を取り戻すどころか、私の記憶している限り、戦績は以前の比ではない。そうなるきっかけが何かあったのなら、教えてほしいと思ってね」
「……」
ノエルはようやく呼び出された理由を知る。しかしこれでは、調査というよりも尋問だ。
事実疑われているのだろう。創手としてのノエルの能力は、決して高くはなかった。
そんな者が一夜で大型、準大型の霧魔五体を倒し、以降連日同程度の戦果を挙げている。これはあまり現実味のない話だ。
そして力の回復、増大に効果があるという謳い文句に釣られて、麻薬をはじめとした薬物に手を伸ばした創手の話は挙げればきりがない。加えてここは「ごみ箱」。人材の掃き溜めなのだ。
「偉い人」達はこの地で、薬物が流行しているとでも考えているのだろう。
「……」
俯くノエルは視線だけで改めて、「偉い人」達の、彼らが無遠慮に向けてくる威圧的な視線を確認する。
これまでに彼女が、否定的な言葉を浴びせられてきた際には、必ずといっていいほどに、あの目が一緒だった。
絵を描けなくなる、楽しいことを考えられなくなる原因の一端。
思考も言動も、呼吸さえ上手く出来なくなってしまう。
どうすればこの場をやり過ごせるか。この人達が求めている「答え」はなにか。そんなことしか考えられなくなる。
そんな
――はぁーーーー……嫌になる。
心底辟易したようなため息。しかしこれはノエルの発したものではない。勿論「偉い人」達のものでもない。
――し。静かに。胸中でさえ文句を吐けなくなっていたノエルは、代弁してくれた声に同意するより先に諫めていた。
「何か言ったかね?」
「い、いえ……!」
まさか聞こえてしまったのだろうか。ノエルは消え入りそうな声で否定した。
「どうした。ここ数日の、自分のことだ。心当たりくらいあるだろう」
詰問の声は威圧的で、ノエルの喉を押し潰す。腕は自然に腕を抱く。
――行きましょうか
「……」
感情を押し殺した冷静な、冷静でいようとしているような助けの声にさえ、ノエルは応えられなくなっていた。
「黙っているだけでは何も進まないぞ」
「偉い人」達はそんなノエルの姿にただ機嫌を悪くしていくばかり。俯く彼女の顔色が青褪めていくことも、気にも留めない。
「答えられない理由があるのかね?」
或いはそれさえも作戦であるかのように。更に追撃が加えられる。
「……もう少し、詳しく話を聞かせてもらう必要がありそうだな」
「――っ⁉ぁ……」
ただ重苦しいだけだった部屋の空気が、その一声で害意を帯びる。ノエルは何か反論しようと咄嗟に口を開くも、しかし言葉を紡ぐことは叶わなかった。
イーサルミが席から立ち上がり、それを合図とするかのように背後の扉が開かれ、衛兵が二人入ってくる。
――はーーーーーーあ」
聞こえよがしに吐かれた大きなため息は遂に部屋中に響き渡り、男達はびくりと動きを止め一様に、滑稽に天井を仰いだ。
男のそれにしては高く、女のそれにしてはやや低い中性的な声。
「何者だ。姿を表せ!」
「言われなくても。――まぁずっと目の前に居たんですケド」
つとめて呆れたような、気怠げな、飄々とした声音。しかしノエルだけは、それがほんの僅かに固くなっていることに気付いた。
ノエルの纏う外套が、風もない中でざわめいた。――外套の模様が蠢いた。
『――っ⁉』
瞠目する「偉い人」達を見据える半眼。その虹彩はぐるぐると渦を巻いている。小さなへの字に尖らせた唇が不機嫌さを表している。それに輪を掛けているのが組まれた両腕で、着崩された外套の袖は随分と余っている。
誰の目にもそれは少女に見えた。児童書に載っているような、くだけた画調で修飾された独特な風貌の少女に。
「はじめまして。知合いたくもなかった方々」
彼女はきっと、何者かを演じているのだろう。或いは大きく深く痕を残す傷を、再び負わぬように。そう感じながら、しかしノエルは何も言えなかった。
一部の「偉い人」達を驚嘆させたのは、少女の絵が口を利いたから、だけではない。
「貴様、何者だ。何をした!」
イーサルミが獰猛に唸る。誰何などと意味もない。しかし問い質さずにはいられなかった。
「見ての通り、絵に描いた美少女です」
たっぷりと間を置いて、少女は珍妙なポーズを取ってそう宣言する。「いや、こっちの方がいいか」呟いて彼女はポーズを変え――
「――ふざけるな、霧魔め!」
そう。何者かなどはっきりしていた。少女が彼らと対峙したそのときから、彼女からは幽かではあるが霧魔の気配が漏れ出ていたから。
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